劇場公開日 1977年10月29日

「古い日本の因習と現代との軋み 怪奇性への強い傾斜 横溝作品世界の核心を捉えた傑作だと思います」八つ墓村(1977) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0古い日本の因習と現代との軋み 怪奇性への強い傾斜 横溝作品世界の核心を捉えた傑作だと思います

2021年1月20日
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鑑賞方法:DVD/BD

1977年10月公開、松竹製作

同年は4月に「悪魔の手毬歌」、8月に「獄門島」が東宝から公開されています
ですからその年は本作をいれると3作品も横溝正史の金田一耕介シリーズの映画が立て続けに公開されたということです
しかも、年が開けた翌1978年2月には「女王蜂」が公開されるのです
どれも大きな予算を掛けて撮られ、広告キャンペーンにも巨額が投じられていました
集中豪雨のようなありさまです
この凄まじいブームの最高潮の中で本作は公開されたわけです

横溝作品の映画は角川映画というイメージがありますが、角川製作はこの70年代のブームの最初の作品「犬神家の一族」と、1979年7月公開の「金田一耕助の冒険」の2作品だけです
その他の作品は、ATG、東宝、松竹、東映と各社で製作されています

1976年の「犬神家の一族」が大成功したので、東宝は1979年の「病院坂の首縊りの家」まで立て続けに4作品を、東宝作品として製作します
市川崑監督、石坂浩二主演は「犬神家の一族」と同じなので、シリーズは都合計5作品とされているわけです

実は角川は文庫本を売る為のメディアミックス商法として「犬神家の一族」を製作しただけであり、この時点では映画を作りたかったわけではなかったのです
それも本当は映画化企画を映画会社に持ち込んで作ってもらう程度で考えていたと思われます
横溝作品は戦後小説誌に連載されて人気を博して
1949年から1961年にかけて11本も様々な主演俳優と映画会社で映画化されてきました
しかし、松本清張などの社会派小説が台頭した1960年代に入ると、この第一次横溝ブームは終わり、いつしか過去の忘れ去られた作家になっていました

第2次ブームはそれからしばらくたった1968年、
その彼の代表作のひとつ「八つ墓村」が、劇画化されて少年マガジンで連載され人気を博したことがきっかけです
怪獣ブームが一段落して、妖怪や怪奇、オカルトなどにブームが移っていったことが反映されたと思われます

横溝正史の作品が角川で文庫本になったのは1971年のこと
その劇画のファンだった子供達が、70年代に入ると文庫本の読者層の青年期になったということです
最初に角川文庫として刊行された作品は「八つ墓村」であるのは当然のことでした
これがベストセラーとなり、他の作品を文庫化すると次から次に売れ始めたのです

となると映画化しようという話がでるのは当然です
真っ先に目をつけたのは高林陽一監督です
彼はATGで「本陣殺人事件」を中尾彬主演で撮り、1975年9月に公開します
ところがこの作品は予算的な制約から現代劇として製作され、雰囲気も昔の映画化作品のように横溝正史の小説の怪奇さや淫靡さといったものが希薄であったのです
文庫本や劇画の読書が求めるイメージの映像ではなかったのです

それで角川は読者が求める本格的な横溝作品の映画化をやりたいと考えたものと思われます

そこで、まだ一度も横溝作品の映画化に手をつけておらず、文芸ものが得意というイメージのある松竹に映画化の企画を持ち込んで、同じ1975年に松竹と「八つ墓村」の映画化契約をしたのです
何故「八つ墓村」?
それは「八つ墓村」が第2次ブームのきっかけであるのですから、これでなければならなかったのです

ところが、松竹はのんびりしていて、なかなか映画の話が前に進まない
折しも、角川の社長が30代の若い角川春樹社長に交代します

文庫本の売上は、当時の日本史上最大のスーパーベストセラーの日本沈没の400万部を超える、合計発行数を叩き出していましたから、角川には唸る程の資金もあったのです
そこで自ら出資して、他の映画会社に先に「八つ墓村」以外の作品を製作してもらった方が早い!という考えにいたった
このような流れのようです

つまり松竹は良いものを作ろうとじっくりと準備していたら、角川と東宝に先を越されてしまったという形です

文句もいいたくなりますが、映画化の権利は角川が握っていますし、スーパーベストセラーで一大ブームの横溝作品の映画、それもその一番の代表作の映画化の契約を結んでいるわけですから、反古にすることはできません

東宝が次から次に大ヒットを市川崑監督で飛ばすのを指を咥えてみつつ、さらにじっくりと構想とロケハンを進めたのが本作と言うわけです

松竹の本作の製作の布陣は1974年の日本映画の金字塔「砂の器」のスタッフが再結集して撮ると決まりました
つまり松竹として考えうる最高のスタッフで撮るということです

そしてそれ以上の成功を得るのだという意味です
それは当然、作品の内容も興行の数字も「砂の器」を上回るものであり、そして誰も口にださなくとも、東宝の市川崑監督による横溝作品を凌駕するものを目指すのだということです

監督、野村芳太郎
脚本、橋本忍
撮影、川又昂
音楽、芥川也寸志

この布陣はそういうことです
当時の最強スタッフであったのは間違いないです

では何故1975年に映画化契約をしたのに、公開が1977年10月の末になるほど遅くなったのはなぜなのでしょうか?

脚本に難航したこと、ロケハンに日本中探索をしたことが色々な資料にあります

横溝作品はどれも登場人物が多く、またその関係がとりわけ複雑に入り組んで、小説でも何度もページを戻って確認しながら読まないと混乱してしまう程です
これをまともに脚本にしたらならば、原作小説を暗記しているほどの愛読者でないとついていけないものになってしまうでしょう

つまり、小説は小説、映画は映画として内容を整理して、焦点を当てるところ、強調するところ、単純化したり省略したりすることをやらないと、映画としての魅力が成り立たない
そういうことだと思います

クラシック音楽には楽譜という絶対的なものがあります
しかし、演奏者や、とりわけ指揮者によって全く印象が異なってくるのと同じことだと思います

同じ原作でもそれをどう表現するのか、何に重点を置くのか、その違いこそが映画化作品の価値でもあるのだと思います
完全に原作と同一であることに拘る必要性は無いと思います

野村監督と脚本の橋本忍は「砂の器」と同じく悩んだと思います
本作では原作の何にポイントを置くのか?観客が望んでいるものはなにか?
推理の謎解きなのか?、怪奇的な雰囲気なのか?
その答えは後者であると選択され撮影されたのが本作ということです
自分自身も横溝作品に期待するものは、江戸川乱歩にも似た怪奇性、淫靡的、耽美的な雰囲気が濃厚であるものです
これを強調するために、敢えて現代に時代を移し、しかも主人公を空港のジェット機の誘導員という現代性の最先端に設定して、八つ墓村の古い因習に満ちた土地との対比を明確にしています
羽田空港、新幹線、在来線、車、と山奥の村に近づくにつれ時代を遡るように、私達観客もまた八つ墓村という、日本人の誰もが持つ古い精神世界がそのままの形で取り残されたところに連れていかれるのです
そして、幼いころ田舎の家で祖父や祖母から聞かされた怖い昔話を思いだすような構造に仕立ててあるのです
全く見事だと思います

配役は萩原健一、小川真由美、山崎努
これまた全く見事
序盤の32人殺しのシーンはもう伝説のシーンです
永遠に語り継がれる日本映画屈指の有名シーンです

問題はやはり渥美清
原作のイメージとは解離が激しい
時代を現代にした以上、金田一耕介が袴に着物という訳には行きません
それでも近づけることはできたはずです
フーテン風の長髪、バケットハット、ジーンズ
そんなものでも違和感なかったはず
問題は渥美清では、どこか抜けたところのあるインテリ感が皆無だということです
それが金田一耕介の基本的な雰囲気のはず
渥美清は原作者の横溝正史の指名として名前がででてしまった以上変えられなくなったのが本作の最大の失敗であったと思います
もし、古谷一行であったならどうか?
そう考えると残念でなりません

しかし、決して悪い訳ではありません
これはこれで良いのです
こういう金田一耕介も十二分にありと思います

しかし石坂浩二の原作イメージに最高に合致した映像を見てしまったからにはどうしても、それを金田一役に求めてしまうのです

日本全国の鍾乳洞を調べ尽くして、各地で場面に応じたロケを行って繋げた洞窟シーンは圧巻です

カメラの川又昂は照明技師の抜群の腕前にも支えられて、暗くて狭い洞窟の内部を、あのように美しくはっきりと撮影して見せています

それだけで、こりゃ撮影に時間がかかったのは当然だ!と感嘆しました

この洞窟内部のシーンがチープであれば全てが台無しになるのですから

多治見家の屋敷、村の遠景、村の食堂、各地の寺
これらのロケハンもまた見事なものでした

音楽もキャッチーな旋律こそないものの、格調の高い素晴らしいものでした

砂の器までには届かなくとも、東宝の金田一シリーズには十分肩を並べています
それは石坂浩二の金田一耕介があってのことです
部分的には勝っているといえると思います

古い日本の因習と現代との軋み
怪奇性への強い傾斜
横溝作品世界の核心を捉えた傑作だと思います

あき240