八つ墓村(1977)のレビュー・感想・評価
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金田一耕助シリーズ映画、屈指の名作
文豪 横溝正史さん原作の傑作サスペンスドラマを巨匠 野村芳太郎監督と邦画史に残る名作「砂の器」の製作スタッフが2年以上の歳月をかけて完成させたというだけあって、映像・ストーリー共に重厚で大作の風格を備えた見応え満点の傑作です
“八つ墓村”の名前の由来が400年前の戦国時代の凄惨な出来事から来ていること
そして、それをなぞる様に現代を舞台にした本筋も人間の卑しさと弱さが動機で起きる凄惨な事件、とてもよくできたストーリー展開にグイグイ引き込まれます
横溝作品お馴染みの田舎の旧家の屋敷を舞台にしたアンサンブルキャストが豪華
主役は若き日の“ショーケン”こと萩原健一さんでカッコいいし、小川眞由美さんと山本陽子さんがメチャクチャ綺麗、特に小川さんがすごく色っぽくて素敵でした
そして金田一耕助を演じる渥美清さん、“寅さん”以外の渥美さんがとても新鮮でした、でもあらためて観てみると金田一耕助の出番ってすごく少ないんですね
それ以外の印象的だったキャラクター
・死人のように青白い顔をした不気味な双子の老姉妹
・山崎努さん演じる田治見要蔵が鬼の形相で日本刀と猟銃を持ち闇夜を駆け村人を大量虐殺
・400年前の戦国時代パートで出てくる夏八木勲さんの◯◯
など、ビジュアル的に脳裏に焼き付くほどのインパクトを残します
子どもの頃、TVで流れるCMにビビり、通学路の途中に貼ってあったポスターが怖くて前を走り抜けた事とかを思い出し、今となっては微笑ましいノスタルジックな気分にもなる、邦画史上に残るサスペンス映画の傑作だと思います
渥美清扮する金田一が読み解き語る部分は正直分かりずらい。 犬神家の...
渥美清扮する金田一が読み解き語る部分は正直分かりずらい。
犬神家のように回想シーンが理想だけど、家系図的なものでも映してくれればもう少し観ながら整理できたかなと思う。
市原悦子さんの声を聴くと、昔ばなしを見聞きしてるようで土曜19時の時間帯を思い出す。
豪華オールスターキャスト。特に大滝秀治、市原悦子、藤岡琢也、田中邦...
豪華オールスターキャスト。特に大滝秀治、市原悦子、藤岡琢也、田中邦衛、夏八木勲らを同作品で見られるのは嬉しい。金城武のようなイケメンのショーケン。妖艶な小川真由美。山﨑努の虐殺シーンは迫力あり。渥美清の金田一はやっぱり違和感あるけど、横溝正史の希望だったらしい。夫に殺される島田陽子と、顔も映らない風間杜夫、子役の吉岡秀隆には気付かず…。当時流行った「祟りじゃ〜!」が懐かしい。
これ当時にしては相当怖い話だと思います。
トラウマシーンが沢山あるスプラッターミステリー!
津山30人殺しの花が舞う中懐中電灯を頭に二本付けて走って行って次々に殺しまくるシーンも凄いし
騙した武士を皆殺しにしてからの
生首がズラっと置いてる場面とか 洞窟で追われる場面とか見た時の年齢が幼かったからトラウマ度が高いです。 2023年に公開になったアニメのゲゲゲの鬼太郎がまんま八つ墓村みたいな村の設定で凄かったです!
全キャラがツマラン。
土着怨念に合理的洗練を被せる市川崑連作へのアンチか、
要は怪談という身も蓋も無さを楽しめるか?だが、
物語の凡庸、構成のダルさ、何よりショーケンと渥美清初め全キャラのツマラナさゆえに振るわず。
小川真由美の腐臭漂う色気、
桜吹雪の山崎努の画の強烈のみ印象に。
もう見ない。
オカルト版金田一
てっきり市川崑の監督だと思っていたら、別人だった。しかも、金田一耕助が渥美清とは。渥美清が演じていたことはどこかで知っていたが、うーん、全然、探偵に見えなかった。定番の袴じゃなくてスーツ姿だったし。帽子だけが、唯一金田一っぽかった。
しかし、懐かしの俳優が見られたのは良かった。みんな若いわー。クレジットを見てて、風間杜夫と吉岡秀隆の文字を発見したが、どこに出ていたかわからなかった…。小川真由美の匂い立つ美しさと色気。ショーケンの爽やかさ。山本陽子の楚々とした佇まい。山崎努の狂気。俳優はいい仕事していたと思うが、いかんせん演出が冗長であった。洞窟の中のシーンがちと長すぎる。ロケ洞窟は6つも使い、強い照明を使わずに撮影したので、映像が暗いし。東屋はロケなのかセットなのか、めっちゃ風格ある建物だった。この当時はCGがないから、火事シーンはほんとに燃やしたのかな。そごい大掛かりだわ。
どうもオカルト風味で、金田一シリーズの異端児だと思った。
BS松竹東急の放送を録画で鑑賞。
個人評価:3.5 渥美清が金田一耕助なだけで、もうぞくぞくする。 ...
個人評価:3.5
渥美清が金田一耕助なだけで、もうぞくぞくする。
制作は角川が最終的に手を引き、松竹の自社製作という形になったらしいが、
映像・雰囲気共にいかにも、あの頃の角川らしさがあり、なんとも言えない おどろしさがたまらない。
原作者、横溝正史のいちばんのお気に入りが渥美清だったらしい。 横溝正史原作らしく意外な人が犯人であることは終盤で渥美清の口から語られる。
動画配信で映画「八つ墓村(1977)」を見た。
劇場公開日:1977年10月29日
1977年製作/151分/日本
配給:松竹
渥美清
萩原健一
小川眞由美
花沢徳衛
山崎努
山本陽子
市原悦子
山口仁奈子
中野良子
加藤嘉
井川比佐志
綿引勝彦
下條アトム
夏八木勲(夏木勲)
田中邦衛
稲葉義男
橋本功
大滝秀治
夏純子
藤岡琢也
下絛正巳
山谷初男
浜田寅彦
浜村純
吉岡秀隆
横溝正史原作
萩原健一は新聞の尋ね人欄で自分を探している人がいることを知った。
萩原健一は旧家の跡取りらしい。
自分を迎えに岡山から来たのは小川眞由美。
とても美しい。
その岡山県の村で次々と殺人事件が起こる。
萩原健一は自分の両親は山崎努と中野良子だと思っていたのだが、どうも父親は違う人らしい。
中野良子もまたとても美しい。
多くの人が金田一耕助を演じたが、
原作者、横溝正史のいちばんのお気に入りが渥美清だったらしい。
横溝正史原作らしく意外な人が犯人であることは終盤で渥美清の口から語られる。
黒っぽいグロリア、セドリックのパトカー、ブルーバード、ハコスカの4ドアセダン、多くの旧車を見れてうれしかった。
JR天王寺駅の懐かしい駅舎もよかった。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
ホントに祟り
原作は祟りにカモフラージュした計画殺人、という点がプロットのキモなのに、本当に祟りモノにしてしまった和製ホラーの怪作。ある意味、動機も祟りなので、寅さん金田一はほぼ役立たずの脇役にw
最初は紛れもない入魂の大作!! と入れ込むが、その後の展開がどうにも散漫
製作陣が精魂込めて作ったであろうことは間違いなく、映画品質は上々とは思うのだが、ややオカルトまじりのサスペンスとしては緊迫感を欠いていたのは否めず、事件謎解きに到っても何の感心も感興も起こらないまま、150分の〝大作”は幕を閉じてしまった・・・
まず視聴前にキャストの最初に萩原健一とあったので、てっきり彼が金田一幸助なのだと思い込み、「ショーケンの金田一とはぜひ見てみたい!!」と大いなる期待があった。
リメイク版を以前視聴しパッとしない印象は残っていたけれど、巨匠:野村芳太郎監督にショーケン金田一なんてワクワク感しかなかったよ。笑
それが全くの勘違いで金田一幸助はなんと渥美清だったのだから苦笑。
その渥美金田一の登場の仕方もイントロがなくてヌボーっと、いつの間にか現地入りというのにも拍子抜け。
渥美金田一も主役とはとても言えず、完全な脇役扱い。
主役:ショーケンとヒロイン小川真由美の〝祟り悲恋物語”にどうやらフォーカスを絞った脚本だったみたいですね。
と、総体的にはあまり芳しい印象は残らなかったが、芥川也寸志の音楽は熱のこもったいい仕事だったと思います。
夏の夜の鍾乳洞&お化け屋敷ツアー
渥美清の金田一は思っていたより悪くなかった。石坂浩二と比べる必要がないほど作風が全く異なっていたし、最後、ストーリーにもひっかけて少し笑わせてくれてさすが!と嬉しかった。
女優さんでは久しぶりの中野良子が懐かしく美しくて素敵だった。小川真由美、好きなのだが最初から髪かきあげが多くてそればかり気になってしまった。仕事バリバリで都会のいい女感を出そうという演出なのだろうが、そういうのに向かない髪質のロングヘアーだったので重そうで逆効果だった。
市川崑監督&石坂・金田一シリーズ5作と比べてスピード感とモダンさが圧倒的に欠けていた。編集もカメラワークも進行も平板で飽きてしまい何度も睡魔に襲われた。閉鎖的な村の存在の説得力がもはやない時代設定(一応現代)だったので音楽も合っていなかった。
おまけ
山崎努、美しい。市原悦子の声はすぐにわかった!声の力はすごいなあ。
日本むかし話
津山事件を元にした、山崎努が村人を襲うシーンはなかなかの迫力。映像の古めかしさと市原悦子の声で、日本むかし話を観ているかのようで楽しかったが、いや〜151分は長すぎる。途中で犯人がわかってから眠くなり、んっ!渥美清??寅さんが出てるって寝ぼけてしまった。
古い日本の因習と現代との軋み 怪奇性への強い傾斜 横溝作品世界の核心を捉えた傑作だと思います
1977年10月公開、松竹製作
同年は4月に「悪魔の手毬歌」、8月に「獄門島」が東宝から公開されています
ですからその年は本作をいれると3作品も横溝正史の金田一耕介シリーズの映画が立て続けに公開されたということです
しかも、年が開けた翌1978年2月には「女王蜂」が公開されるのです
どれも大きな予算を掛けて撮られ、広告キャンペーンにも巨額が投じられていました
集中豪雨のようなありさまです
この凄まじいブームの最高潮の中で本作は公開されたわけです
横溝作品の映画は角川映画というイメージがありますが、角川製作はこの70年代のブームの最初の作品「犬神家の一族」と、1979年7月公開の「金田一耕助の冒険」の2作品だけです
その他の作品は、ATG、東宝、松竹、東映と各社で製作されています
1976年の「犬神家の一族」が大成功したので、東宝は1979年の「病院坂の首縊りの家」まで立て続けに4作品を、東宝作品として製作します
市川崑監督、石坂浩二主演は「犬神家の一族」と同じなので、シリーズは都合計5作品とされているわけです
実は角川は文庫本を売る為のメディアミックス商法として「犬神家の一族」を製作しただけであり、この時点では映画を作りたかったわけではなかったのです
それも本当は映画化企画を映画会社に持ち込んで作ってもらう程度で考えていたと思われます
横溝作品は戦後小説誌に連載されて人気を博して
1949年から1961年にかけて11本も様々な主演俳優と映画会社で映画化されてきました
しかし、松本清張などの社会派小説が台頭した1960年代に入ると、この第一次横溝ブームは終わり、いつしか過去の忘れ去られた作家になっていました
第2次ブームはそれからしばらくたった1968年、
その彼の代表作のひとつ「八つ墓村」が、劇画化されて少年マガジンで連載され人気を博したことがきっかけです
怪獣ブームが一段落して、妖怪や怪奇、オカルトなどにブームが移っていったことが反映されたと思われます
横溝正史の作品が角川で文庫本になったのは1971年のこと
その劇画のファンだった子供達が、70年代に入ると文庫本の読者層の青年期になったということです
最初に角川文庫として刊行された作品は「八つ墓村」であるのは当然のことでした
これがベストセラーとなり、他の作品を文庫化すると次から次に売れ始めたのです
となると映画化しようという話がでるのは当然です
真っ先に目をつけたのは高林陽一監督です
彼はATGで「本陣殺人事件」を中尾彬主演で撮り、1975年9月に公開します
ところがこの作品は予算的な制約から現代劇として製作され、雰囲気も昔の映画化作品のように横溝正史の小説の怪奇さや淫靡さといったものが希薄であったのです
文庫本や劇画の読書が求めるイメージの映像ではなかったのです
それで角川は読者が求める本格的な横溝作品の映画化をやりたいと考えたものと思われます
そこで、まだ一度も横溝作品の映画化に手をつけておらず、文芸ものが得意というイメージのある松竹に映画化の企画を持ち込んで、同じ1975年に松竹と「八つ墓村」の映画化契約をしたのです
何故「八つ墓村」?
それは「八つ墓村」が第2次ブームのきっかけであるのですから、これでなければならなかったのです
ところが、松竹はのんびりしていて、なかなか映画の話が前に進まない
折しも、角川の社長が30代の若い角川春樹社長に交代します
文庫本の売上は、当時の日本史上最大のスーパーベストセラーの日本沈没の400万部を超える、合計発行数を叩き出していましたから、角川には唸る程の資金もあったのです
そこで自ら出資して、他の映画会社に先に「八つ墓村」以外の作品を製作してもらった方が早い!という考えにいたった
このような流れのようです
つまり松竹は良いものを作ろうとじっくりと準備していたら、角川と東宝に先を越されてしまったという形です
文句もいいたくなりますが、映画化の権利は角川が握っていますし、スーパーベストセラーで一大ブームの横溝作品の映画、それもその一番の代表作の映画化の契約を結んでいるわけですから、反古にすることはできません
東宝が次から次に大ヒットを市川崑監督で飛ばすのを指を咥えてみつつ、さらにじっくりと構想とロケハンを進めたのが本作と言うわけです
松竹の本作の製作の布陣は1974年の日本映画の金字塔「砂の器」のスタッフが再結集して撮ると決まりました
つまり松竹として考えうる最高のスタッフで撮るということです
そしてそれ以上の成功を得るのだという意味です
それは当然、作品の内容も興行の数字も「砂の器」を上回るものであり、そして誰も口にださなくとも、東宝の市川崑監督による横溝作品を凌駕するものを目指すのだということです
監督、野村芳太郎
脚本、橋本忍
撮影、川又昂
音楽、芥川也寸志
この布陣はそういうことです
当時の最強スタッフであったのは間違いないです
では何故1975年に映画化契約をしたのに、公開が1977年10月の末になるほど遅くなったのはなぜなのでしょうか?
脚本に難航したこと、ロケハンに日本中探索をしたことが色々な資料にあります
横溝作品はどれも登場人物が多く、またその関係がとりわけ複雑に入り組んで、小説でも何度もページを戻って確認しながら読まないと混乱してしまう程です
これをまともに脚本にしたらならば、原作小説を暗記しているほどの愛読者でないとついていけないものになってしまうでしょう
つまり、小説は小説、映画は映画として内容を整理して、焦点を当てるところ、強調するところ、単純化したり省略したりすることをやらないと、映画としての魅力が成り立たない
そういうことだと思います
クラシック音楽には楽譜という絶対的なものがあります
しかし、演奏者や、とりわけ指揮者によって全く印象が異なってくるのと同じことだと思います
同じ原作でもそれをどう表現するのか、何に重点を置くのか、その違いこそが映画化作品の価値でもあるのだと思います
完全に原作と同一であることに拘る必要性は無いと思います
野村監督と脚本の橋本忍は「砂の器」と同じく悩んだと思います
本作では原作の何にポイントを置くのか?観客が望んでいるものはなにか?
推理の謎解きなのか?、怪奇的な雰囲気なのか?
その答えは後者であると選択され撮影されたのが本作ということです
自分自身も横溝作品に期待するものは、江戸川乱歩にも似た怪奇性、淫靡的、耽美的な雰囲気が濃厚であるものです
これを強調するために、敢えて現代に時代を移し、しかも主人公を空港のジェット機の誘導員という現代性の最先端に設定して、八つ墓村の古い因習に満ちた土地との対比を明確にしています
羽田空港、新幹線、在来線、車、と山奥の村に近づくにつれ時代を遡るように、私達観客もまた八つ墓村という、日本人の誰もが持つ古い精神世界がそのままの形で取り残されたところに連れていかれるのです
そして、幼いころ田舎の家で祖父や祖母から聞かされた怖い昔話を思いだすような構造に仕立ててあるのです
全く見事だと思います
配役は萩原健一、小川真由美、山崎努
これまた全く見事
序盤の32人殺しのシーンはもう伝説のシーンです
永遠に語り継がれる日本映画屈指の有名シーンです
問題はやはり渥美清
原作のイメージとは解離が激しい
時代を現代にした以上、金田一耕介が袴に着物という訳には行きません
それでも近づけることはできたはずです
フーテン風の長髪、バケットハット、ジーンズ
そんなものでも違和感なかったはず
問題は渥美清では、どこか抜けたところのあるインテリ感が皆無だということです
それが金田一耕介の基本的な雰囲気のはず
渥美清は原作者の横溝正史の指名として名前がででてしまった以上変えられなくなったのが本作の最大の失敗であったと思います
もし、古谷一行であったならどうか?
そう考えると残念でなりません
しかし、決して悪い訳ではありません
これはこれで良いのです
こういう金田一耕介も十二分にありと思います
しかし石坂浩二の原作イメージに最高に合致した映像を見てしまったからにはどうしても、それを金田一役に求めてしまうのです
日本全国の鍾乳洞を調べ尽くして、各地で場面に応じたロケを行って繋げた洞窟シーンは圧巻です
カメラの川又昂は照明技師の抜群の腕前にも支えられて、暗くて狭い洞窟の内部を、あのように美しくはっきりと撮影して見せています
それだけで、こりゃ撮影に時間がかかったのは当然だ!と感嘆しました
この洞窟内部のシーンがチープであれば全てが台無しになるのですから
多治見家の屋敷、村の遠景、村の食堂、各地の寺
これらのロケハンもまた見事なものでした
音楽もキャッチーな旋律こそないものの、格調の高い素晴らしいものでした
砂の器までには届かなくとも、東宝の金田一シリーズには十分肩を並べています
それは石坂浩二の金田一耕介があってのことです
部分的には勝っているといえると思います
古い日本の因習と現代との軋み
怪奇性への強い傾斜
横溝作品世界の核心を捉えた傑作だと思います
子供のころに観た記憶
子供のころにテレビでみた記憶があり、主人公が村に帰ってきて、帰ってきてはならぬと村人に言われたシーン、落武者が殺されるシーンも覚えていた。
どんな映画だったかもう一度みたくなり観てみた。金田一が石坂浩二ではなくて渥美清。主人公はショーケン。
配役に小川真由美、山本陽子と豪華メンバー。山本陽子は上品な顔立ちで好み。400年前の因果応報と現代の無差別殺人の因果応報につなげている。
構成は間延びしているような印象はしたが、1970年代の色合いや当時、まだ残っていた村社会の感じが出ている。
松本清張みの強さ
「砂の器」の布陣なので当たり前と言えば当たり前かも知れませんが、今見るとロングショットに物哀しいストリングスのテーマ曲がかかるところとか、横溝正史というよりは、ザ昭和の松本清張感がすごい。
少し前に一度観てまた今回2度目。
若くて寡黙な役柄のショーケンは、美男ではないけどセクシー。山本陽子も小川真由美も麗しく、目の保養にはなります。
2時間半のうち2時間までは楽しめたのですが、残りの30分がめっちゃ長く、正直睡魔との闘いでした。
テーマ的には「ヘレディタリー」的なオチですが、途中まで推理ものの流れを取りつつ、強引にそこへ急カーブを切るのはさすがの橋本忍でもかなりの力技感が否めません。
貴重な渥美金田一は、がんばって心の眼で寅さんに見えないようするので精一杯でした。
独特な地形を持つ村のロケーションとか、祭りや葬式の風俗など画面の楽しさもあります。
ただやっぱりあのオチは、頭ではわかっても、気持ち的に納得できないものが残るのでした。
無粋とは思いつつ、ホラーなのか推理なのかはっきりして、とつい言いたくなります。
四百年の怨念が蘇る…血塗られた怪奇譚!
Blu-rayで4回目の鑑賞。
市川崑監督による「犬神家の一族」の大ヒットによって爆発的横溝正史ブームが到来していた時期に、松竹が巨額の製作費と2年余りの撮影日数を費やして完成させた超大作。
監督・野村芳太郎、脚本・橋本忍、撮影・川又昴、音楽・芥川也寸志―同じく松竹の「砂の器」を成功へと導いた布陣。これだけで本作のクォリティーは証明されたというもの。
ブームに上手く便乗したことと、妥協無き製作陣の熱意が実を結んだことで、本作は特大ヒットを記録。金田一耕助シリーズの中でも、今では抜群の知名度を誇る原作も、本作のヒットが無かったらここまで有名にはなっていなかったかもしれないと考えると、めちゃくちゃ感慨深いものが…。
角川映画・東宝製作の金田一映画と差別化を図るため、原作からの大胆な脚色が試みられているのが本作の見どころのひとつでございます。原作は怪奇風味のミステリーですが、本作は完全なホラーとして映画化。祟りを模した連続殺人を、本物の祟りとして描き出しました。
金田一耕助(渥美清が演じているというのも異色!)の推理場面を極力控えめにして風味だけを残し、怪奇譚としての趣を壊さないように工夫が施されていて、徹底しているなと思いました。さすがの名探偵も、祟りが相手とあっちゃあ、少々お手上げ気味というところでしょうか?(笑)
舞台設定も公開当時の1970年代に移し、現代社会と失われゆく日本の原風景、“呪い”や“祟り”などの日本古来からの因習や文化との比較と憧憬が籠められていて、まさに“ディスカバリー・ジャパン”。ここは市川監督版とも重なる部分だなぁ、と思いました。横溝作品は、このテーマを扱うのにお誂え向きなのかもしれませんねぇ…。
「八つ墓村」は過去に何度も映像化されているので、テレビドラマ版などをいくつか観たことがありますが、本作の面白さは群を抜いているなと思いました。
祟りを炙り出すような画づくりと、脚本の妙が炸裂していて、画面に惹き付けられました。怪奇とロマンに溢れていて、日本人のDNAに刻み付けられているものが呼び起こされる感じで、目が離せなくなる魅力があるなと思いました。
落武者を襲う村人たちの凄惨な殺戮場面、多治見要蔵の狂気の32人殺しのシーン、現代に巻き起こる陰惨極まりない連続殺人事件―それぞれの描写がリアルであればあるほど、恐怖が際立ち鳥肌が立つような想いでしたが、それでも夢中になって食い入るように観てしまいました。
鍾乳洞で繰り広げられるクライマックスが本作の白眉! 血塗られた怪奇譚を締め括るのに相応しい名場面だなと思いました。悪鬼のような形相で迫り来る祟りに取り憑かれた真犯人…。いやぁ、おぞましい…。愛欲、情念、得体の知れない何かに突き動かされての犯行…。
そんな不気味で恐ろしい世界観において、いい意味で異質な雰囲気を醸し出した渥美金田一の存在感…。そこだけ次元が違うのかなぁ、と疑いたくなるくらいに、安らかで優しいものが漂っておりました。やっぱり金田一耕助は天使か何かなのかもしれないなと思いました。
滅びの美学を感じさせる多治見一族の末路と祟りに翻弄された人々の行く末…。様々に感じ入るところがあって、とても心に染みて来る作品だな、と…。折に触れて何回でも観返そうと思いました。完璧な推理劇になっていないことも、飽きが来ないひとつの要因なのかもしれません…。
七生まで呪ってやると宣言した落武者たちが、滅び行く多治見家を丘の上から睥睨しながら不気味に微笑むシーンに、最後の最後で戦慄しました。夏八木勲…怖いよぅ! 祟りを生むのも人間、祟りに取り憑かれるのも人間、祟りを恐れるのも人間…つまり一番怖いのは人間、ということなのかな、と…。
※追記(2019/3/31)
萩原健一さんが3/26に亡くなられました。近年相次ぐ名優たちの死に、時の流れのやるせなさを感じる想いです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
※追記(2020/2/11)
NHKオンデマンドで吉岡秀隆版を観ましたが、やっぱり本作のクォリティーには到底及ばないなと思いました。
祟りじゃ~
横溝正史のミステリーはあくまで本格推理小説であってオカルトっぽい味付けはあくまで叙述上でのトリック(目眩まし)なのである。ああ、それなのにオカルト映画にしてしまって何ともはや、の怪作になってしまった。でも悪くはないですよ。
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