「敗戦が残した女と男の間の深い溝」めし jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
敗戦が残した女と男の間の深い溝
原作は林芙美子が1951年(昭和26年)4月1日から7月6日まで『朝日新聞』に連載した新聞小説です。著者の急死に伴い未完のまま連載終了となりましたが、それを東宝が成瀬巳喜男監督、井手俊郎と田中澄江の脚本で映画化し、1951年11月に公開されたのが本作です。連載終了から公開まで実に4ヶ月余りという短期間です。
描かれるのは若い夫婦、三千代(原節子)と初之輔(上原謙)の物語。設定は…
・戦後すぐに恋愛結婚、今5年目
・東京出身の二人は夫の仕事の都合で大阪へ
・大阪の下町一戸建ての生活
・子どもはおらず、夫婦二人とネコ一匹の暮らし
・夫は証券会社勤務だが薄給
・妻は夫に隠れて大切な三味線を借金の担保に差し出す
・東京の妻の実家の洋品店は妹夫婦が継ぎ、母もそこに
・東京の夫の実家は義兄義姉夫婦と二十歳の姪、里子(島崎雪子)がいる
本作のテーマは「結婚生活への妻の絶望」です。描かれるシーンの平和さと原節子の抑えた演技がより絶望の深さを際立たせます。三千代の絶望とは一体なんなのか。
夫の初之輔は暴力を振るうわけでもなく浮気をするわけでもない、一見普通の男です。仕事も真面目にこなしています。でも、喋るのは「おい、めし」。茶碗を受け取るときも妻の目を見ずに、新聞を読みながら。頭の中は株価のことばかり。この夫婦に心の交流はなさそうです。
初之輔もおそらく軍隊経験者なのでしょうが本作では言及されません。初之輔に戦争体験や敗戦はどんな影響を残したのか。
戦争は本来男のものです。あの戦争は男が起こし、男が戦い、男が負けました。中世であれば負けた国の男たちは皆殺しか奴隷です。現代ではそこまでひどい目に合わないにしても、すべての成人男性の胸に大きな屈託を残したはずです。
敗戦が日本の男たちに残したもの、それは表面的には「戦犯達の処刑」、深層的には日本人男性の「精神的去勢」だったのかも知れません。いずれにしろ敗戦体験は日本人男女の間に深い溝を残したと思います。
男たちは心の奥に屈託を抱えたまま次の戦いの場である「お金と経済」に夢中になっています。その姿はその後「エコノミックアニマル」と海外から揶揄されるようになります。残念ながらそんな男たちにはもう女性の胸を熱くすることはできません。
本作の女性たち、三千代や里子のように、日本の女性たちは戦争に負けた男たちである父や夫を敬うことも愛することもできなくなってしまいました。そして女性たちは新しい可能性を求めて家出を繰り返します。
三千代は夫を残して家を出ます。でも普通の主婦である彼女に多くの選択肢はありません。妹夫婦が切り盛りする実家に長居はできず、職業安定所には長蛇の列、夫を戦争で亡くした旧友の寂しい姿。彼女は厳しい現実を目の当たりにし、夫の元へ戻ることを決意します。
この夫婦の関係性の改善案を3つ考えました。
①子どもを作る
②もっと金を稼ぐ
③ちゃんと対話をする
初之輔の答えは②です。もっと給料のいい職場に移れそうだと嬉しそうに妻に報告します。妻は「私の本心を綴った手紙になんと書いていたか、知りたい?」と尋ねますが、「ぼく、ねむいんだ…むにゃむにゃ…」。相変わらず対話は成立しません。未投函の手紙を破り、列車の窓から捨てる妻。その横には無防備に無邪気な寝顔を晒す夫。妻のモノローグで映画は幕を下ろします。
『私のそばに夫がいる。目をつぶっている平凡なその横顔。生活の川に泳ぎ疲れて漂ってしかもなお戦って泳ぎ続けている一人の男。その男のそばに寄り添ってその男と一緒に幸福を求めながら生きていくことがそのことが私の本当の幸福なのかもしれない。幸福とは女の幸福とはそんなものではないのだろうか。』
妻は夫を一人の男として突き放し、極めて冷徹に観察しています。ここにあるのは愛情や敬意というより、ある種の憐れみ、あるいは菩薩や庇護者のような慈愛の心でしょうか。そしてその言葉の最後には諦念が滲んでいます。妻たちの心がこんなにも冷え冷えとしているのを知らぬは夫ばかりなりけり。本作は全国の無邪気な夫たちこそ観るべき映画だと思われます。