乱れるのレビュー・感想・評価
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高峰秀子が未亡人、その義弟に加山雄三。完全予測可能(笑) 昭和のメ...
乱れ髪
成瀬巳喜男による加山雄三
スーパーの進出によって、存亡の危機に立たされる商店街の店々。その内の一軒の酒屋を、亡き夫の後を継いで逞しく切り盛りする礼子(高峰秀子)と、そんな礼子に密かに思いを寄せる酒屋の次男・幸司(加山雄三)の恋の物語。
終盤の電車の中でのシーンは素晴らしかった。
電車が走り抜けるカットが逐一挿入され、それに合わせて、車窓の景色も山深くなっていき、車内の幸司と礼子の物理的距離も徐々に近づいていく。視線を送って目が合うと微笑んだり、「雑誌替えて」「みかん取って」などとしきりに話しかけ、子供のように礼子に甘える幸司。
高峰秀子の芝居が、(所々で、ちょっと…と思わせる)加山雄三から子犬の様について回る年下の可愛さを引き出していて、空間移動·時間経過のスマートな処理と重層的な演出の中で、この二人だからこそ生まれたのだと思わせる独特の場が作り上げられていた。鑑賞中はもう満ち足りた気持ちになって思わず「ぼかぁ幸せだなあ」と呟いてしまった。
しかし、幸せも束の間。
有無を言わせぬ圧巻のシークエンスで物語は衝撃のエンディングになだれ込む。ラストカットは、乱れ髪の高峰秀子をアップで写し、鑑賞中ずっと疑問だったタイトルの「乱れる」の意味を即物的にサッと回収し、「終」。まるで素晴らしく手際の良い強盗にでもあったみたいにキョトン…、だった。
この作品はラスト含めやはり加山雄三こそ、だなあと思った。ちなみに加山雄三のシーンでは、所々に若大将を思わせるギターのモチーフがさり気なく(これ見よがしに)使用されていた。
わからないのよ
1964年。成瀬巳喜男監督。職人気質の成瀬監督が最晩年に撮ったメロドラマ。スーパーマーケットの勢いに押される小さな商店をめぐって、一人で店を切り盛りしてきた長男の嫁と、ぶらぶらしながら同居している次男。「嫁」という家族内での異質で微妙な立場、さらにそこへ次男に愛されてしまうという事件が起こる。高峰秀子の、百面相というほかない微妙な表情の変化がすごい。怪演。
ついに家を出る嫁とそれを追う次男が電車のなかで位置を変えていくことで気持ちの変化を表現する有名な場面や銀山温泉でのラストシーンはさすがというほかない。温泉に誘っておきながら次男を拒絶する嫁の、本当に正直な本音としての「わからないのよ」。
自宅兼店舗では、嫁だけが商店と続いた一階の居間奥に寝起きしており、義母や次男は二階で寝起きしている。二階への階段と一階の居間をつなぐ細い橋のような板。家族のなかの嫁の立場、商店との関係、さらに次男との微妙な愛情関係をこの板一枚で表現している。なんという素晴らしいセット。最後に高峰が駆け降りることになる温泉の階段さえセット。
最後の刮目する表情は感情と肉体が相反する究極の官能美
もうタイトルが全てなのですが、最後の高峰秀子の表情に貴方がなにを見るのか、というのがこの映画の全てなのだと思う。
終盤の彼女の"こんなことになるなんて思わなかった"と言う言葉はあまりにも白々しいと思わないだろうか。
序盤から高峰秀子扮する未亡人は胸を強調するようなニットを着ていてかなりセクシーである。女として見られたいという欲望が最初の酒屋でのシーンですでに現れているのである。
この映画は言葉が全く信用できない。
高峰秀子は"わたしは唯一嘘をつきました。"と加山雄三に告白するが、正直彼女は自分が嘘をついていると認識しないで無意識に息を吐くように嘘をつく女なのだ。いや、加山雄三の存在が彼女をそうさせたのだ。加山の告白が彼女の中の女を呼び覚ましてしまったのだ。
この映画の世界では表情、声色、仕草にこそ真実があると教えてくれる。目は口ほどにものをいうと言われるがまさしくそれである。実は究極のリアリズム表現なのだ。隠せない肉体の反応にこそ真実はある。そして恋は儚く、死とつねに隣り合わせにある。
最後の高峰の表情は彼女のあまりの突然の悲劇への驚きと強い悲しみや焦りの感情があらわれてはいるものの、彼が自分を思い、自分のために死んでいったことに対する突き上げるような快楽に肉体が我慢ができなくなっており目が爛々と輝いているように見える。しかも、よく見ると口元が一瞬ほころぶのである(怖い)。張り付く乱れた前髪はまるで性行している最中のようにすら見えるのである。恐ろしい作品だ。
【”女ですもの、私だって・・。”戦後の復興していく町の小さな酒屋で起こった事。品の良い、切ないメロドラマ。】
ー 今作の脚本は、松山善三氏である。今作製作時には、ヒロインを演じた高峰秀子さんとは結婚されている。 ー
◆お二人は、日本のみならず、世界を共に旅行されており共著で「旅は道づれシリーズ」を出されているが、如何に仲が良い夫婦であったのかが、良く分かる。今作品でも、高峰さんは、夫が書き下ろした脚本と、成瀬巳喜男監督に、全幅の信頼を寄せて、演技したのであろう・・。-
■感想
・戦後の復興していく町の小さな酒屋が今作の舞台であるが、当時、進出してきた”マーケット”に対しての小売店の経営状況や、それまで店に関わっていなかった酒屋の娘達が、マーケットにする話を聞きつけて、独りで店を切り盛りしてきた、戦死した長男の嫁礼子(高峰秀子)を、何だかんだ言って、店から追い出そうとする姿。
そして、礼子がそれに憤慨することなく、潔く身を引こうとする姿。
だが、正義感ある、酒屋の二男(加山雄三)が、礼子への想いを吐露し、彼女を見送ると言って、同じ汽車に乗って・・。
・礼子は、義理の弟からの思いがけない告白に、心乱れ・・。二人で途中下車・・。
<現代であれば、ここら辺からドロドロとした話になって行く感じがするが、流石、成瀬巳喜男監督と、松山善三氏はそのようにはせずに、”より深いドラマ”に仕立て上げている作品である。>
加山雄三がサークの映画のようだ
成瀬の映画の中でもダグラス•サークに接近した作風のように思う。加山雄三と高峰秀子、この2人の善良さを中心にしたメロドラマということになるのだろうか。
だが、微笑んで観ているといきなり画面に成瀬巳喜男が立ち上がってくる。加山雄三が積年の気持ちを高峰秀子に伝えるというシーン。限定された照明の中で、部屋の敷居の境界線を利用して俳優の気持ちを表現したかに見える演出。浮かび上がるような胸上のアップカット。男と女という観念が突如画面の上で再定義されていく感じがまさに。
さすがに今の感覚で観ていると高峰秀子はカマトト過ぎるような気もするが...恐らく彼女にとっては加山雄三との恋は初恋だったのだろう。そう考えると得心がいく。初恋に乱れるということを描いた映画だったのだ。
加山雄三の死はさすがに取ってつけだと思うけど。
それにしても、この年代の映画にしてスーパーマーケットと小売店という世界観をやっていたんだなという所も新鮮だった。
乱れるとはエロチックな言葉です
高峰秀子40歳、演じる礼子の役は37歳
加山雄三27歳、演じる幸司は25歳
劇中の会話を整理するとこうなります
19歳でお嫁に来て以来18年
夫は結婚して半年で戦死、嫁いだ酒屋も戦死公報が来た日に空襲で焼けてしまう
彼女一人が奮闘して店を再建した気丈な女性
高峰秀子の最早若くないと自覚する、女として見られる最後の時であるという、その風情が見事に出ています
加山雄三の持つ青臭い不安定さもまた演じる役にそのまま投影されて、恐るべき結末に納得感があります
本当のメロドラマとはこれです
デビッドリーン監督のメロドラマの名作逢びきに匹敵すると思います
女性であっても、大きな責任を持って仕事に没頭していれば、恋愛なんか二の次三の次で頭の中になく、気がつけば18年が経ちこの歳になってしまった
それは本作の戦争未亡人だけの話ではなく、現代では未婚の普通の女性に起こることでもあるのです
乱れるとはエロチックな言葉です
礼子の心が乱れるということなのですが、その言葉の響きどうりエロチックな心の乱れでした
一回り年下の好青年から好きだと強く言い寄られて、忘れていた女の芯が熱く燃えて理性が麻痺してしまった有り様を見事に表現している言葉だと思います
車中、礼子は幸司の寝顔をまじまじと見て泣いてしまいます
それは嫁に来たときは7歳の子供に過ぎなかった男の子を、男として見ることができるのか
抗い得ない欲求と、その解放を許さない理性の規範との胸中の戦いです
彼女はその葛藤の苦しさに泣いたのです
そして敗北したのです
何から何まで完璧な作品です
ラストシーンの高峰秀子のアップの表情にすべてが結実しています
残酷な結末は、そのこと自体の衝撃、自分から誘っておきながら愛を拒絶した自己の残酷さ、そしてそれ程までに自分を愛していたのかという驚愕
それらがない交ぜになった表情を見事に演じています
駆け寄る彼女の着物の裾もまた乱れるのです
その表情を捉えるカメラの視線も鋭いのです
二人が途中下車してバスで訪れた銀山温泉は、近頃ランプの宿として何やらインスタ映えする温泉街としてにわかに有名となっているそうです
つい先日もテレビで紹介されていて、行ってみたいと思っていた矢先でした
川を挟んだ旅館の特徴的な建物も映像に写っています
綺麗に観光地として整備されているようです
夜の光景はそれは美しいものがインスタに投稿されていました
因習の中で揺れて乱れるヒロイン
結婚後まもなく夫が亡くなり、その後18年間、家業の酒店のために身を粉にして尽くしてきた未亡人礼子と、義弟(夫の弟)の悲恋がベースになった物語。1964年の成瀬巳喜男監督の作品で、脚本は松山善三氏(主人公高峰秀子さんの旦那さん)。
成瀬巳喜男氏の映画は3本目の観賞になります。
『歌行燈』、『浮雲』、『乱れて』の順に観ました。『浮雲』ほど重苦しさはないものの、時代の因習にのみこまれた「悲恋」で、突き刺さるラストでした。
礼子が「次の駅で降りましょう」と幸司と一緒に温泉宿へと繰り出して、「女」と「未亡人の立場」の間で揺れ動き、結局は寄り添ったところで「堪忍して」と幸司を突き放してしまう。なんと残酷な…と思えども、「僕はずっと姉さんが好きだった」と一途に進む幸司も向こう見ずで見てられない感はあります。
『乱れる』というタイトルがすごくて、どんな映画なんだろうと思ったが、幸司の強いアプローチで礼子の心が「乱れる」ということなのか。幸司もまた、姉さんが相手にしてくれず、燃えたぎる気持ちをどこにどうぶつけていいかわからずに、乱れているようにも思えました。
18年間も、ある意味、操を守り続け、お家のために働き続けた礼子。幼少の頃より息子のように、弟のように接してきたといえども、幸司の深い思いやりや優しさや一途な思い、ストレートな告白を受けたりしたら、女を刺激されて「乱れて」しまうだろうなあ。けれど、禁欲的で静かに乱れているところが、下手なメロドラマになっていない。
姉が女に変わる時
結婚したばかりの夫は戦死し婚家に残された嫁というのは、当時かなりいたんじゃないかと推察する。
実家に戻ったひともいただろうし、礼子さんのようにそのまま婚家に残ったひともいただろうし。
婚家を離れるか?止まるか?
その時、大きな判断材料になるのは、子どもの有無だったんじゃないかなあと思う。
礼子さんは結婚して半年で夫は出征し、こどもはいなかったけれど、夫の戦死の公報、空襲、店の再開。
毎日毎日必死に働いてきて気付いたら、18年の月日が流れていたということだったんじゃなかろうか?
礼子さんは幸司の7歳の時から成長を見守ってきて、
幸司から想いを伝えられるまで、彼を男としてみたことはなかったんだと思う。
年齢がもっと近ければ、もっと早い段階で意識しただろうけど(夫亡き後、夫の兄弟と結婚した女性の話もよく聞く話)。
幸司に想いを告げられて、初めて幸司をひとりの男として見た。
だからこその礼子さんの苦悩であり、
彼女の心が乱れたのだ。
そして、自宅を離れた時に、もう一段階、礼子さんに心境の変化があったのだと思う。
若さゆえに真っ直ぐに想いをぶつけてくる幸司を演じた加山雄三は適役だし、しっかりしたお嫁さんだったはずの礼子さんの心の変化、乱れを表現した高峰秀子は流石。
スーパーマーケットの進出で地方の商店街が廃れていくのも、この時代が始まりだったんだなあと興味深い。
それにしても『乱れる』というタイトルの秀逸さよ!
是非、たくさんの人に観てほしい
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