劇場公開日 1964年1月15日

「最後の刮目する表情は感情と肉体が相反する究極の官能美」乱れる hatakeyamadさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5最後の刮目する表情は感情と肉体が相反する究極の官能美

2021年10月27日
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興奮

知的

萌える

もうタイトルが全てなのですが、最後の高峰秀子の表情に貴方がなにを見るのか、というのがこの映画の全てなのだと思う。

終盤の彼女の"こんなことになるなんて思わなかった"と言う言葉はあまりにも白々しいと思わないだろうか。

序盤から高峰秀子扮する未亡人は胸を強調するようなニットを着ていてかなりセクシーである。女として見られたいという欲望が最初の酒屋でのシーンですでに現れているのである。

この映画は言葉が全く信用できない。
高峰秀子は"わたしは唯一嘘をつきました。"と加山雄三に告白するが、正直彼女は自分が嘘をついていると認識しないで無意識に息を吐くように嘘をつく女なのだ。いや、加山雄三の存在が彼女をそうさせたのだ。加山の告白が彼女の中の女を呼び覚ましてしまったのだ。

この映画の世界では表情、声色、仕草にこそ真実があると教えてくれる。目は口ほどにものをいうと言われるがまさしくそれである。実は究極のリアリズム表現なのだ。隠せない肉体の反応にこそ真実はある。そして恋は儚く、死とつねに隣り合わせにある。

最後の高峰の表情は彼女のあまりの突然の悲劇への驚きと強い悲しみや焦りの感情があらわれてはいるものの、彼が自分を思い、自分のために死んでいったことに対する突き上げるような快楽に肉体が我慢ができなくなっており目が爛々と輝いているように見える。しかも、よく見ると口元が一瞬ほころぶのである(怖い)。張り付く乱れた前髪はまるで性行している最中のようにすら見えるのである。恐ろしい作品だ。

hatakeyamad