瞼の母(1962)のレビュー・感想・評価
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瞼のおっかさんを想い続けて
加藤泰監督1962年の作品。
“母を訪ねて三千里”は有名だが、江戸の日本にも。
賭博番場の忠太郎が生き別れた“瞼の母”を探して。
何度も映像化されている股旅物。
他の映画化で昔見た事あるような、しかと見るのはこれが初めてのような…?
タイトルは勿論知っていたが、内容も何となく知っていた。寅さんでもインスパイアされていたし。(『続・男はつらいよ』)
なので、ただ単に母を探す話だけかと思ったら、80分の尺の中にコンパクトに一期一会、人情、チャンバラ活劇…加藤監督の職人手腕が冴え渡る。
やくざと揉め事を起こした若い渡世人の半次郎を助け、母と妹の居る彼を渡世の稼業から足を洗わせる。
しかしこれがきっかけでそのやくざ一味に命を狙われる。ラストの大立ち回り前の「おメェら、親は居るか? 子は居るか?」がカッコいい。
母が居るという江戸へ。それらしき初老の女性に声を掛け、訪ね歩く。人違いではあるが、生き別れた子はおり、それぞれの親子にそれぞれの事情が。
とある料理茶屋の女主人、おはま。
過去も経緯も忠太郎の話とほとんど合う。
そう、おはまこそ忠太郎の実母。探し求めていた“瞼の母”。
が…
おはまは息子ではないと断として拒む。さらには、“忠太郎”という息子は九つの時に流行り病で死んだと。
忠太郎が生き別れたのは五つの時。相違するも、絶対に間違いない!
そんなおはまの目にうっすら光るものが…。
おそらくおはまも感じているのだろう。血を分けた我が子である事を。
でも、言えない。何故なら…。
訪ねて来た息子は堅気ではなく、やくざ者。会いたくなかった。
息子はやくざ者とは言え、孤独の身。金の無心なんかじゃない、ただただ逢いたかった。
双方の気持ちも分かるだけに…。
現在の邦画でも別れた家族の再生/再会の物語はスタンダード。
感動的なハッピーエンドもあれば、哀しく、切ない結末も。
本作は、邦画に於けるその古典だろう。(最初の映画化は1931年)
“会いたくなかった”から“逢いたかった”へ。
“逢いたかった”から“もういい”へ。
おっかさん、幸せに暮らして下せぇ。
あっしはお天道様の下では生きてけないやくざ者。
逢いたくなったら、瞼を閉じりゃあ、いつでも逢えますから…。
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