「人の人生の切なさのその先に。涙腺崩壊。」鉄道員(ぽっぽや) 夢見る電気羊さんの映画レビュー(感想・評価)
人の人生の切なさのその先に。涙腺崩壊。
子供の死に目にも、妻の死に目にも、鉄道員として働き続けた男の物語。
家族を顧みない仕事人間としてのあり方には現代においてはまるで共感できないが、終点の駅を自分が支えるという責任感の強さには、人として一貫した信念としてのある種のかっこよさとして捉えることができた。
この映画は常に、生きることと死ぬことが同居しており、人の死や、廃線という鉄道としての終焉が重なるようになっている。そして、主人公の死とも。
わずか生後2ヶ月で亡くなった娘が、幻なのか成長した姿で出てきた時に流した涙は、それまで職業人として一滴も流れなかったのに反して、そのシーンの彼の本当の気持ちがわかるようになっている。
この辺りの娘のシーンに関しては、もはや分かっていても、いや分かっているからこそ、娘と分かった時のシーンは、大号泣してしまった。死んだ娘が出てくるというシチュエーションかつ、初めてお父さんと呼ばれる心境を思うと泣ける。
義理の息子のような子からも、おじさんとしか呼ばれず残念だったし、お父さんと呼ばれたいと思っていただろうと思うと切ないよね。子は子で、おじさんとしか呼べないことへの残念さを滲ませていたのが、さらに切ない。
そこまでの回想シーンの積み重ねや境遇からしてやばかったので、このあたりはこの映画の巧妙さであろうと思える。
出てきた娘は死神か、天使か、それとも主人公がこれまでの罪を許してほしいと願って出てきた幻覚か。
やはり、素直に娘の魂が帰ってきたと思いたい。天国でこそ出会い、そこでは家族として仲良く生きていてほしいと思える作品。
ちなみに、今更になってこの映画を見たのは、志村けんの1シーンがNetflix公式に上がっていたのを見たから。志村けんは、志村けんでしたね。