鉄道員(ぽっぽや)のレビュー・感想・評価
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偉大なる映画人たちが遺した功績に思いを馳せる
東映時代の高倉健さんを全盛期とする人もいるだろうが、それ以上に「君よ憤怒の河を渉れ」「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」以降の、任侠映画のスターからイメージを脱却してからの健さんに、最近は更なる魅力を感じる。「夜叉」も最高に痺れますが、今作も何度だって観てしまう引力が溢れています。今は亡き健さん、降旗康男監督、坂上直プロデューサー、そして今年鬼籍に入られた志村けんさんの姿も確認することができる。ある意味、とても静かな作品だが夢のようなひと時を味わわせてくれる。
科学が進歩して
さいはてのローカル線にて・・・‼️
北の果ての終着駅で、雨の日も雪の日も業務を続ける駅長・佐藤乙松。一人娘、雪子を亡くした日も、最愛の妻を亡くした日も駅に立ち続けた乙松。そんな彼のもとに女の子が三人、続けざまに遊びに来たことから、やさしい奇跡が起きる・・・‼️この女の子たちが雪子の化身だと分かったとき、胸の奥から優しい感動の波が押し寄せ、その余韻がラストの乙松の死まで感動を盛り上げる、いわゆるファンタジーですね‼️黒い制帽と制服で一人ホームに立つ健さん‼️ホントにサマになってる‼️雪景色の中を走る列車‼️そして娘の愛と乙松の娘への愛‼️そんな映画ですね、この作品は‼️回想場面をモノクロにして部分的に色をつけるという技法で、美しい雪景色を映し出す木村大作さんの撮影も素晴らしいし、もう一人のけんさん、志村けんさんの演技も印象的‼️
●降旗康男監督『鉄道員(ぽっぽや)』(1999) 神保町シアターさ...
●降旗康男監督『鉄道員(ぽっぽや)』(1999)
神保町シアターさんにて特集上映「一度はスクリーンで観ておきたい――忘れられない90年代映画たち」2024年6月29日(土)~8月2日(金)にて。
久々のスクリーン鑑賞。
高倉健さんの出演作は名作ばかりですが、特に本作は後期作品群では指折りの名作ではないでしょうか。
雪深い最北の終着駅にたたずむ佐藤乙松の立ち姿が、そのまま高倉健さん本人の生き様とオーバーラップして、一つひとつの何気ない所作が涙を誘います。
実生活での健さんとの親密さが画面からも滲み出る小林稔侍さん、公開当時これ以上ない娘役のキャスティングであった広末涼子さん、これが映画初で唯一の出演となった志村けんさんも名演でしたね。
個人的には健さんが江利チエミさんの十八番「テネシーワルツ」を口笛で吹くシーンが一番グッと来ましたね。
因みに劇中で「鉄道員(ぽっぽや)も二代で終わりか…」と言っているが、三國連太郎さんが国鉄職員、健さんがその息子を演じた『大いなる旅路』(1960)と世界線が繋がっていると思っているですが…どうでしょうか。
何度観ても泣ける名作ですね。
あの頃の広末は、、、
北海道の健さんは永遠だ
やっぱりつまらん
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鉄道員の高倉健が若い頃に子供を失った。
そして嫁までも病気で死んで、仕事で死に際にも会えなかった。
らーしむの子を居酒屋の人が引き取って育てたりしつつ、
広末が出て来て、実はそれが死んだ娘だった。
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高倉健が嫌いなわけではないんやが、彼の映画って本当に退屈。
渋い男の役が多いんだか何だかわからんが、とにかく理解しにくい。
この映画も何が何なんやらようわからんかったわ。
ってか、幽霊かよ!ってな突っ込みもあるしね。
しかも何で死んだ人が歳を取って行ってるんだか。
ファンタジーなのか?
昭和の時代なら面白かったかも
全体に「あ、感動させに来てるな」と思うシーンの連続。
不器用だから、という理由で妻や娘の死に目に立ち会えず黙々と仕事をこなしたり、
家族や友人に自分の感情を表さなかったり、
死んだはずの娘が会いに来たり、
でもそれって他人に伝える努力を放棄してるだけだよね、というのが現在での感想になってしまう。
口に出さないことを美徳としているわりに、「こういうの格好いいでしょ?」と露骨に感動させようとしてくるので後半にはもう食傷気味。
黙々と自分の責務を果たす、という昔のアイコニックな人物像とお涙頂戴のファンタジーを混ぜた映画。この手の話に慣れた世代なら感動できるのかもしれないが、現代においてはかなり厳しい作品という評価。
親父曰く『ぽっぽやは国鉄員に対する蔑称だ』
国鉄は1987年4月に無くなった。
また、蒸気機関車は1982年に無くなっている。つまり、志村さんが暴れている時は既に蒸気機関車は走っていない。ピンクのサウスポーは1981年のヒット。
我が家族は国鉄一家である。
親父が国鉄員だ。蒸気機関車の機関助手から機関士を目指したが、時代はヂーゼル、電気の時代になり、電車運転士になった。だから、彼は蒸気機関車の機関士をやった事が無い。機関助手止まりだった。
構造上、蒸気機関車は一人では動かせない。だから、機関士と機関助手の二人で動かしている。しかし、
機関士と機関助手の間には徒弟関係があり、親父が国鉄に入った頃(戦中)は機関士が絶対的な権力を持っていたそうである。従って『ぽっぽやは蔑称だ』と当時の機関士は言っていたそうである。逆に機関助手を『釜炊き』と蔑視して、機関助手は機関士に奴隷の如く扱われたと親父は話していた。つまり、実際の労働者は機関助手であり、中には無能な機関士もいたそうである。
また、
『なみだのかわりにふえふきならし
げんこのかわりに旗振りおろす』
って、親父はそんな忍耐強い人格ではない。イメージで言えば、高倉健さんよりもフーテンの寅さん。
それはさておき、
国鉄が解体されて、地方の国鉄路線がどうなって、そこで働く者や、施設がどんな悲惨な結末を迎えてかを実感してもらいたい。そして、それを傍観していた私には、この映画やこの原作を評価できない。
親父曰く『(ぽっぽや)は国鉄員に対する蔑称だ』と原作者にクレームを入れた。勿論、原作者は無反応だった。
追記
親父も自分の生活の為に『スト破り』をやったと聞いた。しかし、労働組合から爪弾にされた。『集団就職の学生の為にスト破りを決行した』なんて、そんな善人は旧国鉄の職員には、個人として存在したとは思えない。
最終の集団就職列車はネットで調べると1975年の事。順法闘争の一番激しかったのは1973年だから、二年間重なって、そう言った事例はあるのかもしれない。しかし、理由は別にあると考えられる。親父のスト破りは全く別の時代。
親父は国鉄が嫌で、1982年(だいたい)に早期退職してしまった。それでも、国鉄には35年位勤務したとプライドを持っていた。
高倉健という人の佇まいが生きている
寡黙に、淡々と、冷たく
高倉健…不器用?とんでもない!!
高倉健といえば「自分、不器用ですから…」の人。もし、高倉健が鉄道員だったら?をまさに体現したような映画ではある。
でも、それだけでは終わらない味わい深〜いのが滲み出ていて、大スターと言われる格の違いを感じた。
確かに、地味は地味なので観る人は選ぶと思う。でも、高倉健演じる乙松の真面目さ、愛情深さ、ひたむきさ…滲み出る人柄は誰もが惚れるかっこよさで魅力される。
雪深い駅にたった一人で哀愁溢れる乙松もまたかっこいい。(画になる!!)
そんな乙松が笑顔になる出来事が!よかったと喜んだのも束の間のラスト…。泣かずにはいられない。でも、乙松らしく素晴らしかった。
けんさんの演技が良かった!
高倉健さんのぽっぽや。ずっと観たかった映画。
想像してた内容と違ってファンタジーだった。
運転室のシーンがCGで、初っ端から少し冷めてしまった。女の子が口移しでコーヒー牛乳をおじさんに飲ませるって、、あり得んよなぁ。
駅舎の中もおそらくセットだと思うのだけど、古いはずなのに柱や箪笥など全て綺麗なのが違和感があった。健さんの帽子は古いけどコートが綺麗なのも気になった。
インテリアも男一人で暮らしている割には、綺麗にレイアウトされているのに違和感があった。
健さんと小林稔侍さんが酔っ払って飲んでるシーンも、分かりやすく一升瓶や徳利が転がっている様子に、こんなに飲んで酔っ払ってますよーと言いたいのだろうけど、わざとらしく転がっているのが凄く気になった。
綺麗に配置されている小道具が、セットですよーという感じに見えて目につく。そこがとても残念だった。
とても良かったシーンといえば、志村けんさんの演技だ。酔っ払いといえば、志村けん。あの千鳥足は他にはできないと思う。千鳥足からぶったおれたり、急に寝たり、おえーと吐きそうになるなど、志村けんさんの中の「酔っ払い」演技の全てが詰まったという感じ。
コントの時とはまた違った演技で、凄く良くて、もっと志村けんさんの他の演技が観たかった。
健さんが志村さんを指名したそう。
酔っ払いといえば、志村けんだろ、と。
素晴らしいキャスティングだと思う。
ありがとう、健さん。
ありがとう、けんさん。
不器用な駅長姿に泣ける
子どもや妻を看取ることもせず、駅長としての仕事を全うする姿。その責任感ある駅長の姿を、高倉健が「演じている」感がなく、自然と表現しているように思わせることが、高倉健の高倉健たる所以であるんだと思う。
小林稔侍が演じる同期入社との男の友情を物語る場面も、秀逸である。
人の人生の切なさのその先に。涙腺崩壊。
子供の死に目にも、妻の死に目にも、鉄道員として働き続けた男の物語。
家族を顧みない仕事人間としてのあり方には現代においてはまるで共感できないが、終点の駅を自分が支えるという責任感の強さには、人として一貫した信念としてのある種のかっこよさとして捉えることができた。
この映画は常に、生きることと死ぬことが同居しており、人の死や、廃線という鉄道としての終焉が重なるようになっている。そして、主人公の死とも。
わずか生後2ヶ月で亡くなった娘が、幻なのか成長した姿で出てきた時に流した涙は、それまで職業人として一滴も流れなかったのに反して、そのシーンの彼の本当の気持ちがわかるようになっている。
この辺りの娘のシーンに関しては、もはや分かっていても、いや分かっているからこそ、娘と分かった時のシーンは、大号泣してしまった。死んだ娘が出てくるというシチュエーションかつ、初めてお父さんと呼ばれる心境を思うと泣ける。
義理の息子のような子からも、おじさんとしか呼ばれず残念だったし、お父さんと呼ばれたいと思っていただろうと思うと切ないよね。子は子で、おじさんとしか呼べないことへの残念さを滲ませていたのが、さらに切ない。
そこまでの回想シーンの積み重ねや境遇からしてやばかったので、このあたりはこの映画の巧妙さであろうと思える。
出てきた娘は死神か、天使か、それとも主人公がこれまでの罪を許してほしいと願って出てきた幻覚か。
やはり、素直に娘の魂が帰ってきたと思いたい。天国でこそ出会い、そこでは家族として仲良く生きていてほしいと思える作品。
ちなみに、今更になってこの映画を見たのは、志村けんの1シーンがNetflix公式に上がっていたのを見たから。志村けんは、志村けんでしたね。
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