火垂るの墓(1988)のレビュー・感想・評価
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初めて観た時、ラストシーンに愕然とした、背筋が凍った。
死の灯りと生の灯り
焼夷弾は空から
蛍は地上を浮遊し
綺麗な光を放つ
誰もが自分の事に必死になる。
あの兄弟は空腹感から逃げる。
命の危険から遠く逃げる。
物語は生きる為の兄を見せる。
無邪気に遊びを探す妹を見せる。
戦争は終わりを告げ、平和な空。
楽しげな音楽が流れ女性が窓を開ける。
ただ、兄 清太の目は昨日と変わらない。
妹と共に空腹の今日を生きている。
驚愕したラストシーン
あの状況に震えた。
今も心から離れない。
※
”反戦を訴えるなら、戦争を起こす前に何をすべきかが問題だ”
4月29日は「昭和の日」。昭和の時代を振り返る意味を込めて、スタジオジブリの高畑勲監督による映画「火垂るの墓」を鑑賞しました。会場は丸の内TOEIで開催中の『昭和100年映画祭 あの感動をもう一度』。今回で5本目の鑑賞となります。
本作は、言わずと知れた野坂昭如氏の原作小説をアニメ映画化したもの。冒頭で14歳の主人公・清太(声:辰巳努)が駅構内で亡くなるシーンが提示され、そこに至るまでの経緯が描かれる構成になっています。
物語の舞台は昭和20年4月の神戸。日本はすでに敗色濃厚な状況にありましたが、清太は依然として日本の勝利を信じ、海軍軍人である父を誇りに思う、ごく普通の少年として登場します。ところが、神戸が大空襲に見舞われ、家は焼け、母親も戦災により命を落としてしまいます。清太は4歳の妹・節子とともに遠縁の親戚の家に身を寄せるものの、そこの叔母と折り合いが悪くなり、2人で家を出て池のほとりの防空壕に移り住むことになります。
しかし、手元の食料もお金も底をつき、やがて節子は栄養失調により息を引き取ります。
まさに涙なくしては観られない物語でしたが、正直なところ、私は涙を流すことができませんでした。鑑賞後に思い返すに、あまりに過酷な”現実”を目の当たりにしたショックで、涙を流すという自然な反応すら身体が忘れてしまっていたのかもしれません。
その後、感情の整理の一助としてWikipediaの該当項目を読んでみたところ、高畑監督の次のような言葉が印象的でした。
「反戦アニメなどでは全くない。そのようなメッセージは一切含まれていない」
「本作は決して単なる反戦映画ではなく、お涙頂戴のかわいそうな戦争の犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きた、ごく普通の子供がたどった悲劇の物語を描いた」
なるほど、この視点こそが、本作に他の反戦映画とは一線を画すリアリティを与えているのだと、改めて納得しました。たしかに、清太は多くの悲劇の当事者であるにもかかわらず、彼の言動からはストレートな「反戦メッセージ」は感じられません。特に、玉音放送を聞いておらず敗戦を知らなかった彼が、後にその事実を知った際に受け入れきれない様子には、反戦よりも、時代の中で取り残された個人としての孤独が強く浮かび上がります。
また、次のような高畑監督の言葉も心に残りました。
「この映画では戦争は止められない。映画で反戦を訴えるのであれば、“戦争を起こす前に何をすべきか”と観客に行動を促すことが必要だ」
たしかに、戦争が始まってしまってからでは、手遅れなのです。
以上、映画を観た感想に加え、多少の余談も含めてしまいましたが、世界情勢が日ごとに不穏さを増している現代においてこそ、本作は語り継がれるべき意義ある作品だと、改めて実感しました。
それにしても、「火垂るの墓」が「となりのトトロ」との2本立てで公開されていたというのは、日本映画史に残る“天国と地獄”のような同時上映ですね。
そんな訳で、本作の評価は★4.6とします。
心に残る(トラウマ)
今でも記憶に強烈に残り、決して忘れられないトラウマになった映画です。
それは、戦争体験者が語る、「二度と思い出したくない」という思いに近いものかもしれません。映画なのに、心の深い場所にトラウマを残す。傑作には違いないのですが、おすすめはしません。
アメリカのどこかの小学校で、『プライベート・ライアン』を見せる罰と言うものがあると聞きましたが、それは戦争を軽んじるような言動をしたり、元軍人をリスペクトしないことに対する不敬罪に当たるようです。
確かに、子供にはきつい罰でしょうが、いい映画なのでいつかは見せたい一本です。かたや、『火垂るの墓』はと言えば…
これが戦争。と、如実に語る作品で、理屈抜きに、戦争は最大の災厄だと思い知らされます。子供には『キャプテン・アメリカ』を見せときゃいい、っていう時代は、いつまで続くのでしょうか。
心が痛む
日本人全員が観るべき作品
野坂昭如の 自己告発
あまりに辛すぎると
まるで他人事のように自分のやった事を語ったりする。
極限状態での精神の安全装置が働くからだ。
昨年、NHKラジオ深夜便で「戦争童話集」の朗読がずっと続いていた。
「火垂るの墓」は野坂昭如の実体験を元にするこの戦争童話集からの一編なのだが。
自分がどんなに駄目な人間で、
妹が死ぬなりしてくれて野坂の目の前からいなくなってくれれば楽なのにと考えていた人間で、
妹はその願い通りに死んで、
面倒な足手まといの存在は消えた。
童話の中では清太も死んだことにしてしまったけれど、
死ぬべき自分はこうして生きて、嘘の童話なぞ書いている
その自分を誰がどう思おうと糾弾するためのメモ。判決文。
それが火垂るの墓の原作だ。
誰かの手によってアニメーションや、戯曲になっても
それは違うと言い続け
自分は嘘をついているのだと死ぬまで自らを呪詛し続けた野坂昭如は、
2015年12月8日に、ようやく辛い体験から済われて死んだ。
自殺をしないことが自分自身への終身刑だったのかもしれないなぁ・・
野坂が亡くなったとき、訃報を聞いてそう思った。
お疲れ様でした
合掌
やっと観た・・・ 晴太よ、他の生き方はなかったのか?
節子の死ぬシーンで号泣、嗚咽、涙腺崩壊。その後はずっと最後まで涙。
それまでは戦争の怖さも余り伝わらず、節子のかわいさとなんか回りを余り顧みない晴太の態度に「かわいそうやけれどちょっとなあ?」とどちらかというと前評判ほどではないなあと感じた。
ただ、親戚のおばさんちを出て2人で生活するようになってから少しずつ変わりはじめ悲劇に繋がっていく。
妹を思う気持ちとおばさんの冷たさや医者のものぐさの温度差がだんだんこちらもつらくなってくる。
戦争が色んなものを奪っていったことだけは伝わる。
節子の人生は何やったんや?!晴太の人生は何やったんや?!
戦争にはいっぱいいっぱい哀しい物語が存在していてこの物語もその一つにしか過ぎない。
それがわかっていても世界中のどこかで今も戦争している。
日本も防衛費を増強しようとしている。
その費用を戦争を起こらせない事につかえないのだろうか?
この映画はそんなことも思わせてくれる。
他の方のレビューを読みながらまた涙している自分がいる・・・
余談ではあるがビルマの竪琴で出てきた「埴生の宿」がなぜかこの映画でも出てきた。
悲しすぎて背を向けたくなる映画ではある。 そんなメッセージ性のある...
戦争に
戦争における最も弱い者を描いた唯一の傑作
決して、忘れてはいけないもの
子どもの頃に見た「火垂るの墓」の印象は、
お母さんが亡くなってしまって、かわいそうな兄妹って、あまり深く考えていなかったけど、
大人になってから見てみると、また違った捉え方になる。例えば、母が死んで、親戚のおばさんのところでお世話になる場面。子どもの頃は、おばさんのことを、意地悪なおばさんだ、ひどいってただ思っていた。だが、そうじゃない。この大変なときに、せいたは、自分のこと、妹のことしか考えていない。お世話になっているのだから、なんか恩返しを、力になれることはないのか…そういう考えが全く描かれていない。おばさんが怒るのも無理はないが、
せいたもまだ子どもだ。そういうお互いに助け合うっていうのを、あのおばさんも
教えてあげられたらよかったんじゃないかな。
せいたもおばさんに嫌なこと言われてしまってもいさせてもらえれば、2人は死なずにすんだのでは、、って思う。あと、お金の使い方を見ているとやっぱり子どもなんだよな。
おばちゃんも大人気ないよな。
空襲はいつ起こるかわからない、お腹いっぱい食べられない。そんな世の中では、イライラもしてしまうし、人格が変わるのだろうと思った。戦争は人を変えてしまう、恐ろしいものだと大人になってから改めて感じた。
今は、コロナの世界。戦争とは違うが、ちょっと似てるなって思う。コロナの「どこにもでかけられない、人と密になってはいけない」なんて
戦争に比べたら、余裕で乗り越えられるじゃんって思っちゃった。お腹いっぱい食べられるしね。
今日この日、観るべき映画を見る。
人間として絶対に目をそらしてはならない。
絶対に見なければいけない映画です。
たとえトラウマになろうが 悪夢を見ようが 絶対に知らなくてはいけない。
小学生の時に 学校の授業中に見て
恐ろしい場面(母の死など)も目に焼き付いてしまいましたが
この作品に出会えて本当に良かったと思います。
戦争を知らない私達。
戦争を知る世代のお年寄りたちは 辛さ悲しさのあまり口を閉ざしたまま
この世から去って行ってしまう
けれど その歴史の記憶は絶対に 伝えていかなければ
何も知らずに さらに恐ろしい核兵器を使おうとする人達が
どんどん増えて行ってしまうのです。
目をそむけず この作品を多くの人に伝えていきましょう。子供達の世代にも。
原作の小説も子どもの時に読みましたが、
あの薄っぺらい短い本、しかも文章はただ事実を書き連ねた記録文で
あの文から 書いた人の感情とかは全く感じとれず 全く感動できませんでした。
あの本を、ここまでリアルに しかも情感豊かに
必死で生きる人々の息遣いが伝わってくる 生々しいアニメーション映画を
創りあげた 高畑勲さんはじめスタジオジブリは 天才としか言いようがない。
あの時代を生きる子供達の 日々のささやかな幸せを描くエピソード(ドロップ等)や
貧しさゆえに優しさを失っていく人間の醜さ(親戚のみそ汁や 母の着物など)
当時の暮らしを具体的にリアルに伝えてくれる 数々のエピソード
あれはすべて 原作には無く 高畑勲さんのオリジナルなんです。
本当に 天才によるすばらしい映画です。
何度見ても毎回 同じ場面で涙があふれてきます。
もうセリフもおぼえているのに。
この映画のすばらしい点は、 ありのままを正直に描いていること。
主人公を、善なる正義として描いていない。
親戚の家を出て 自分の力で暮らそうとして、結果 妹を死なせてしまう。
妹の笑顔を守りたかった気持ちはわかるが、 賢いやり方だったとは言えない。
生き抜くためには、火事場泥棒もする。悪行も盗みもする。
大人達に頼らず 共同体から抜けたことで 悪い結果になった点は
高畑監督自身も指摘している。
周囲の人々も 親戚も医者もみな冷たく 死人はゴミのように捨てられる。
人々の心が荒廃し醜くなる姿を、日本人自らが冷淡に 公平に正確に描いている。
ハリウッド映画なら ヒーロー映画として描かれる。
韓国人は「自分達の悲劇ばかり前面に押し出し、お涙頂戴の被害者ヅラ。韓国人に何をしたか描け!」と強く非難する。
この映画は、無垢な罪のない子どもが戦争に翻弄される悲劇… という見方をされがちだが、
実はもっと深く正直に、
すべての人々が心を失っていく姿をさらけ出し、
清太の姿に 共同体からはずれて自滅していく当時の日本国家の姿を示唆し、
無垢なはずの子どもさえ 大量の蛍をつかまえて 自らの楽しみのために死なせてしまう姿を描き、
戦争による荒廃を暴いている。 これこそがこの映画の深い価値につながっていると思う。
何度でも、繰り返し見るだろう。せめて一生に一度でもいい、見るべきだ。
戦争を知る世代がいなくなり、親も誰も戦争を知らない時代になっていく。
戦争の恐ろしさを伝えられる貴重な作品を、
「残酷で トラウマになるから見ない」「子供に見せたくない」なんて
弱い甘っちょろいことを言っていてはいけないと思う。
戦争は決してしてはいけないと心に刻まなければ、
戦争を推進する政治家の言葉を単純に支持してしまい、またいずれ戦争がどこかで起きてしまうのだ。今だって、すぐそばの国で いつ爆弾が飛んでくるか、いつ戦争が始まるか。
大人はきちんと子ども達の心を思いやりながら、正しい知識を伝えていく使命がある。
子ども達の未来を守るために。
毎回見る
戦争の悲惨さ
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