「火垂るって火が垂れ下がるたから、焼夷弾。」火垂るの墓(1988) マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
火垂るって火が垂れ下がるたから、焼夷弾。
単純に見れば、関西の人々に対するディスリになる。単純ににそう言った意味ではないと思う。
このアニメはあまりに辛辣な表現を理由に、色々な解釈が生まれているようだが、間違っては駄目なのは、単純な反戦アニメではないと言う事だ。
このアニメで泣いては駄目だ。
『禁じられた遊び』と同じで、女性を助けられない男性の判断ミスだと理解べきだ。どちらの映画の男性も『傍らの女性を慰める位の手立て』しか取る事が出来ず、大事な女性を無くしてしまう。その『悔やみ』だと私は理解している。原作者、自らの妹に対する『贖罪』と言った解説があるようなので、間違いないと思う。
プライドとか差別にも負けずに狡猾に生き抜かねばならない。自己以外は自分が生き抜くためには、足手まといになる事もある。そう言った一時の感情に流されない者が生き抜く事が出来る。
私の父が東京大空襲の後、小岩から尾久の機関区へ行く為に、上野の浅草口のスロープを歩いたそうである。言うまでもなく、両側には死んでいるのか生きているのか分からない者が沢山いたそうである。勿論、何も手助けなどは出来なかったらしい。(因みに親父は14歳から仕事にありついていたそうだ)
さて、その数年前まで、親父家族は江東区(当時は城東区)南砂町で生活していたそうで、東京大空襲の時に、同級生の多くが亡くなったそうである。親父はいつも言っていた。
『小岩へ引っ越したのは正解だなぁ。親父(祖父)凄いよ』親父の口癖が『狡猾に生きろ』だった。自ら不要な問題を沢山抱えて、親父が狡猾かとうかは問題外。
親父のこのアニメに対する感想は『関西の人々は気が強いからなぁ。妹が亡くなった奴らは、この頃は沢山いた。気を落とさず生きなきゃ』だった。勿論、僕はそう見ていないが。
その時、話してくれたのが、浅草口のスロープの話である。
『たぶん、彼らも死んじまっただろうな。でも『本土決戦』なんて無くて良かったなぁ』だった。