「反戦や悲劇がテーマじゃない!と監督が言った理由」火垂るの墓(1988) たまねぎ なきおさんの映画レビュー(感想・評価)
反戦や悲劇がテーマじゃない!と監督が言った理由
小さい頃に一度見て、それからずっと見ないでいた作品。
アニメや映画雑誌などインタビューで監督が【これは反戦や悲劇がテーマじゃないんですよ】と言っていた事は知っていた。
だけど、その意味が分からないまま大人になっていました。
セイタ兄弟は戦争の被害者のように写されますが
空襲で焼ける街や人を見て ホタルみたいだと言います。出だしから他人事なのです。
そしてセイタ達は自分達の為にホタルを大量に捕まえ、死なせてしまいます
ホタルを手当たり次第捕まえて蚊帳に閉じ込めて死なせてしまったのは自分達のはずなのに、かわいそうだと泣くのです。
【自分たちの都合や利益の為に大量の命を奪う行為】に対して何も感じていない。
この構図は明らかに戦争とシンクロしています。
ここがこの映画の最大のキモだと思います。
人間は目の前の事にだけ共感し、
共感した相手がひどい目に合えば敵に対して憎しみを持ち、自分にとっての正義であればどんな酷い事をしても全て肯定してしまう。戦争がまさにそれです。
物語を見る我々にとっての正義はセイタ兄弟に見えます。
自分勝手なワガママも、盗みも、妹を死においやったことも、ホタルを弄んでも【正義がやること】なので、見ている人は特に気にもとめません。
セイタを正義として見ている人はだいたいこう言います。『子供なんだし仕方ない、戦争なんだし仕方ない』
しかしセイタより年下の子供でも礼儀正しく、頑張って働いてるシーンは何度も出てきます。
この映画はセイタに正義を置いていないのです。
しかし、セイタ側に感情移入してしまっている人はオバサンや助けなかった大人達に対して酷い人達だと反感を抱きます。
危険な街に出て必死に働く娘を優遇するオバサンは悪でしょうか?
食料が底をついているのに働きもせず、お礼も言わず、遊んでばかりの人のご飯を少なくするのは悪ですか?
空襲で人も死んでいるのに『もっとやれー』と大笑いしながら泥棒する人が正義でしょうか?
妹が死んだ途端にスイカを食べ尽くすセイタは正義ですか?
この物語は悪でも正義でもないのです。
自分にとって共感する相手を贔負の目で見てしまう人間の性。
皆がその人間の性質に気づくまでは戦争が無くなることは無い。と監督は描いているように感じます。
だからこそ この映画は反戦がテーマでは無いとことあるごとに言っていたのではないだろうか。
1歩引いて現実を見ることが出来る人間と
目の前のことしか見れない人間とで見え方が違う物語を意図的に作り、感想の食い違いを起こさせる事で
争いの本質は何なのかを気づかせようとしたのではないでしょうか。
最後の最後に幽霊のセイタが観客に問いかけるようにジッと目を合わせ 現代のビルの夜景で映画は終わりますが
我々現代人は何かにつけて誰かに悪のレッテルを張り付けバッシングを浴びせあっています。
物事の見方を変えれば、自分のモノサシの短さに気づけば、そのような下らない争いは無くなるはずなのに。
余談ですが
セイタのモデルでもある原作者は自身の本の中で
妹が次第に疎ましく感じて妹が死んだ時にほっとしてしまったと語っています。それが本心だったと・・
アニメ化が決まった時に原作者は
『絶対に僕を(セイタ)善人のようには描かないで下さい』と念を押したと言います。
その一言が ただの戦争反対の映画ではなく
戦争を起こさせない 気づく力を養う為の映画にしたのだと思います。