北京的西瓜のレビュー・感想・評価
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上書きするだけの値打ちがあったのか?
物価の差による貧困に苦しむ中国人留学生と、彼らをなんとかして支えようとする八百屋のオッサンの話。実話を基にしているそうだ。
オッサンは根っからの人情派で、留学生たちのためとあらばいくらでも支援を惜しまない。しかしその代わりに蔑ろにされるのは彼の家族だ。妻はネックレスを勝手に譲渡され、息子は自転車を譲渡された。遂には家財道具が差し押さえに遭う始末。
そんなわけでプチ家庭崩壊が起こったところで運悪くオッサンが病に倒れる。すると今度は留学生たちが八百屋の危機に立ち上がる。オッサンは店を売り飛ばそうかとも考えていたが、留学生たちの尽力によって店の経営は元に戻る。それに伴い家族関係も修復していく。
数年が経ち、オッサン夫婦は留学生たちから同窓会の招待状を受け取る。北京までぜひ来てほしいというのだ。30秒以上にわたる不可解な間を経て、彼らの飛行機は北京に到着する。するとオッサン役のベンガルがカメラに向かって「我々は北京に行くことができなかった」と自白する。
ここへきてストレートなヒューマンドラマにギョッとするような亀裂が生じる。気になって調べてみると、本作の撮影中に中国では文化大革命が起きていた。本作はそんな中国の社会情勢を鑑み、全てを国内ロケで済ませることにしたのだという。
本作のモデルとなった夫婦は北京で実際に留学生たちに再会することができたというのに、自由闊達なフィクションであるはずの本作では留学生たちに会うどころかユーラシア大陸にさえ足を踏み入れられていない。
以後も夫婦と留学生のヒューマンドラマは続いていくのだが、その記述文法は前半と全く異なる。カメラは映画の外側にあるはずのオブジェクトを次々と拾い上げ、本作の虚構性をことさら強調していく。真摯で丹念なヒューマンドラマを敷設しておきながら、最後の最後でそれを木っ端微塵に破壊してしまうという自傷行為。
どうしてそんなことをするかといえば、やはり落差があるから。落差の大きさはそのまま感情の振れ幅の大きさであり、その差分が大きければ大きいほど心に与える影響も大きい。素朴なヒューマンドラマの主人公がカメラに向かって「これは映画です」などと語りかけてきたら、出来はどうあれやっぱり驚くし印象に残る。そしてこの映画の向こう側にある文化大革命という社会現象にも自ずと視線が向く。
ただ、やっぱり技巧が勝ちすぎちゃってるんじゃないかと思った。「37秒の空白」のくだりも微妙。メタ描写というものは基本的に一歩下がって上から見下ろすものだから、きちんとした考慮がなければただのシニシズムに堕してしまう。前半の愚直なヒューマンドラマを上書きするに値するだけのものが後半のメタフィクションにあったかというと、どうしてもそうは思いづらい。いや、すごい面白い映画なんだけども!
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