「何が「復活」した日なのか」復活の日 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
何が「復活」した日なのか
まず一番最初に思ったのが、作品の内容と関係なくて申し訳ないが、昔の日本映画はお金がかかってるなということ。20億だか30億だからしい。
今の貨幣価値でもその金額はほぼ無理なことを考えると何だか他所の国のことみたいだ。
次に思ったのが、シリアスな演技の草苅正雄さんを初めて観たかもしれないこと。
ただのイケメンじゃなくて結構いい演技してた。
作品の方は、ストーリー的な二部構成と内容的な二部構成が相互に干渉しながらラストで一つにまとまる上手い作り。
まずはストーリー前半のウイルス蔓延による第一の破滅。
色々とツッコミどころはあるし次々に人が死んでいく以外、特に何も起こらないけれど、このパートが一番楽しめた。
予告編やあらすじにある南極以外は死滅の状態になるまで前半半分くらい使うんだから面白くなけりゃやらないよね。これが深作監督の手腕なんだろうか。
次にストーリー後半の核ミサイルに対処するパート。ここからは違う映画というくらい内容が変わる。
ウイルスに次ぐ第二の脅威とでも言ったらいいだろうか。
人の愚かさの代償を払わされるように、一幕目で医師たちがみせたような努力をするが、結局は間に合わずに二度目の破滅を迎える。
人の愚かさから始まった愚かさの連鎖は止められないのか?希望はないのか?
ここでエンディングに繋がるが、中身について書いてからにしよう。
内容の一つ目は愛と絶望について。
家族や愛する人を失い絶望する人々。辰野やノルウェー隊の人たちは生き残っていることに苦しみを覚え自滅していく。
そんな中、吉住もまた悩んでいた。マリトと心を通わせつつあったが、人類存続のため諦めねばならず、再び絶望することになる。
行き場を失った愛、その喪失感が吉住を決死の任務に半ば志願のように着かせる。
任務の最中、愛する者を失い絶望する者が自分だけではないと知ること、更なる死を目撃すること、人類の愚かさに激しい怒りを覚えること、そして任務に失敗すること。これらがもっと深い絶望を吉住に与えた。
もう自分1人しか生き残っていないかもしれないほどの絶望に直面した時、死を求めたこれまでとは逆にほんの僅かな希望にすがる。
吉住の場合はマリト。もしかしたら生きているかもしれないという一縷にも満たないほどの希望に生きる意味を見出だす。
内容のもう一つは復活について。
地震を予想する吉住は預言者だ。彼は人間の業を一身に浴び、苦しみを背負いながら歩き続ける。
4年もの歳月をかけて歩く行為は人間の罪を洗い流す禊ではないだろうか。
そしてエンディング。ボロボロの姿になった吉住を歓喜を持って走りよる生存者たち。
彼の帰還はワクチンに効果がありウイルスの脅威が去ったという福音をもたらすと同時に、愛という名の希望が残されている事を示し、吉住の禊の終わりも意味する。
それは世界が終焉を迎えたときに復活するという神の子の姿。
愛と希望と神が復活した日。