「ラストシーンは決して見逃せない」復讐するは我にあり Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
ラストシーンは決して見逃せない
先頃、三国連太郎氏が亡くなられた。
晩年の三国さんは「釣りバカシリーズ」のスーさんのイメージが定着していたので、若い映画ファンの方々は、あのお親父さんが亡くなったのだと思う方も多いだろう。
しかし、90才を迎えられていた三国さんは芸歴60年を越えている為に、本当に名作出演数は数知れないが、私が特に印象に残っている作品の一つがこの「復讐するは我にあり」だ。
昭和30年代に実際にあった連続殺人事件をモデルにしてノンフィクション作家の佐木隆三が76年に「復讐するは我にあり」を発表し、たちまちベストセラーとなり、直木賞を受賞している。
平成になってからは日本も、アメリカの様に殺人事件のニュースが毎日TVニュースになるような時代になってしまったが、この事件が実際に起きた当時の日本は、もっとのんびりと平和な日々だった。
そして本作のラストシーンは、5人を殺害し、78日間も逃走し続けていた、殺人鬼である死刑になった息子の遺骨を山頂から、散骨するシーンで終わるのだが、その死刑囚の父親を演じていたのが、三国さんだ。
この連続殺人犯の巌は、父親との折り合いが悪く、互いに許しあえない間柄になったが故に、その屈折した幼少期の体験が原因となって、殺人鬼となったとされている。
言うなれば、その殺人犯人に最初の悪影響を与えたと言う父を、三国は確かな演技で時に緊迫感を持って、そしてまたある時は、気弱な偽善者を装うのだ。
一人の人間の中に内在する、多面性を見事に演じ分けている。
学生の時分に観た本作は、やたらと濡れ場が多い作品で、何となく映画館に自分が一人でいるのが、気まずかった記憶もある。
主人公巌を演じたのは緒形拳だが、この殺人犯は何故か、逃亡先の田舎旅館の女将ハルと本気の仲になっていくのだ。
そのハルを演じた小川真由美が殺害されるシーンが特に、生々しいと言うか、人はあんな表情で他人を殺害出来るのか?そして殺される女も、あんな殺され方を許してしまうのか?許すも許さないも無いのだが、このハルは、最初は巌に騙されていたが、ハルは巌が連続殺人逃亡犯である事を知ってしまったその後も己からこの巌との関係を続けていく。何時か殺される日が来る事を予期していながら、離れようとしない、そんなハルの生き方もまた謎のようで、その殺害のシーンが、学生時代の私には印象に残った。
今見直して見ると、人間の深い悲しみと寂しさと言うものが理解出来るのか、この2人の気持ちが良く解る。とは言っても殺人鬼には決して同情は出来ない。
しかし、一人の人間の中で蠢く善と悪のこの不可思議で相反する矛盾した気持ちを抱えながら、日々生きている人々の気持ちは今では良く理解出来る。
その人の恐さが、この作品には溢れ出ていて、いかにも、他人事では無く、身近に有る出来事の様に思える恐さが、滲み出た面白い作品だった。