劇場公開日 1960年10月19日

「公開された時代と合わせて初めて価値と意味を持つ作品なのではないだろうか」笛吹川 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0公開された時代と合わせて初めて価値と意味を持つ作品なのではないだろうか

2019年10月13日
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鑑賞方法:DVD/BD

1960年10月公開ということを頭に入れて置きたい
その年は60年安保が成立した年なのだ

抒情的な物語ではない、戦国時代の軍記ものでも全くない
では何をテーマとした映画なのか?
モノクロ映画に部分的に色彩をつけるのは一体何故なのか?
木下恵介監督は日本で最初のオールカラーの長編映画を撮った監督として有名だ
それは1951年の作品であってこの時代ではカラーで撮ることにそう多きな制約はなくなっている
カラーで撮りたかったのを果たせなく部分的な着色で我慢して代用したというものではない
画面から伝わるのは絵巻物であるという印象を強調するためであったのでは無いかと思える
つまりファンタジーであって、劇中の内容についてとやかく文句をつけないでくれという方便であったのでは無いかと思う

ではそこまでしてファンタジーだと強調した物語とは何であろうか?

確かに表面的には反戦物語だ
武田家の興亡と大日本帝国の興亡との相似形を感じる
戦争に駆り立てられて次々と死んでゆく若者達
武田家の滅亡に殉じようとする姿は徹底抗戦を叫んで本土決戦を画策する青年将校を思わせもする

しかしそれでそこまでしてファンタジーだと目眩ましをする必要があったのだろうか?

21世紀の未来から60年昔の本作を観ると違うアナロジーであったのではないのかという疑問が拭えない

60年安保闘争の敗北を認めず、デモ行進をやめず学生運動を続ける若者達と、戦争の敗北が決定的にも係わらず徹底抗戦を叫ぶ青年将校達とは、妙に似ているのだ
現実を見ず、国民の支持や行く末を見ず、自分たちの思想信条だけを優先する姿勢が同じなのだ
本作で親が止めるのを振り切って戦さに行く若者達は学生運動に身を投じる若者達のアナロジーに見えて仕方がないのだ

家族を殺されて武田家を呪う老女は、共産党から路線の違いを査問を受けてリンチの末に死んで行った人々の無念を暗喩しているのではないか

つまり本作の真のテーマとは、60年安保闘争と学生運動、左翼運動に対する批判なのだ

それが監督の真意かどうかは単なる類推でしかない
しかし、そう取られて吊し上げられないようにファンタジーであると念をいれたのではないだろうか
当時はそのような立場を表明しようものなら映画を撮れなくなるなるばかりでなく、命すら危なくなるような、ヒステリックな時代であったのだ

川中島の合戦や長篠の戦いはそれなりに迫力はある
しかし物語は大変冗長で、とても木下監督とは思えない睡魔と戦わなければならない内容で残念だ
高峰秀子も田中絹代も裸足で逃げ出すような役作りではあるのだが、鬼気迫ると言うような見せ場も特になくこれも残念だった

公開された時代と合わせて初めて価値と意味を持つ作品なのではないだろうか

あき240