「献身的秘書への解雇通知ーー『晩春』再考」晩春 nontaさんの映画レビュー(感想・評価)
献身的秘書への解雇通知ーー『晩春』再考
1947年公開の「紀子3部作」の第1作だ。30年以上前に、銀座の並木座で鑑賞した記憶がある。20代に見た時より、味わいと感動が深くなった。何度でも見たい大傑作である。
今回、本作の印象は大きく変わった。
「老いた父と、結婚で家を出る娘の物語」というのが、本作の一般的理解だと思う。父は寂しさを押し殺し、自分を犠牲にする嘘をついたーー。日本人的な諦めの美学が表現された、切ない物語という文脈だ。「女性の幸福は結婚にある」という社会通念が強固だった時代の悲劇でもある。いずれも「娘の結婚による家族の解体の物語」という見方である。
しかし、本作は「父娘関係の物語ではないのでは」ーーこれが今の僕の感想だ。
では、どんな物語か。「仕事で自己実現する有能な女性と、部下の貢献を承認しない上司の物語」に見えたのである。「有能な個人秘書の強制リストラ」の物語だと感じたのだ。
本作の原節子演じる紀子のアイデンティティはプロの秘書ではないだろうか。公開から約80年経った現代の再解釈として、まとめてみたい。
笠智衆演じる大学教授の父、周吉は57歳だ。当時一般企業では55歳定年のようだ。定年後に名誉教授になったのではないだろうか。
以前は文京区片倉に住んでいたというから、東京大学教授かもしれない。定年で、授業を持たなくなって北鎌倉に引っ越したようだ。原稿執筆の依頼もあり、教授会にも出席して、現在も学問の世界でかなりの地位があるようだ。
妻は戦時中に亡くしたのかもしれない。男手ひとつで娘を育ててきたーーという状況だ。周吉は、家族の経済面の責任を負っている。娘を気遣いつつ、子育てらしきことはあまりしなかったようだ。仕事では優秀だが、生活面では無能で、妻に甘えてきた好人物だ。妻の死後は娘に面倒を見てもらっている。
原節子演じる紀子は27歳。戦時中なんらかの病気を患い完治していないことと、父の面倒を見る必要から、当時の結婚適齢期が過ぎている。
この親子の内実は「学者と秘書」という成分が相当入っているというのが、今回の見立てである。
周吉は現実でも学者で紀子は娘である。ここは単純だ。しかし、紀子の内面は「有能な学者を支える秘書」というアイデンティティがかなりの部分を占めている。無意識の内面的真実がそうではないかと感じたのだ。
紀子は、あまりに生き生きとしている。父の着替えなどのサポートも、父の友人や助手のあしらいも素晴らしい手際である。
その姿は、僕が仕事で接してきたベテラン秘書や、非正規社員の補佐的業務に携わる女性と重なった。彼女たちは、職場の陰のキーパーソンだ。業務、文化、ルールの伝承役で、頼りにされるムードメーカーでもある。
その重要性は地位や給与には反映されないが、待遇に不満を漏らさず、驚くほど献身的である。自分が職場の重要人物であることを認識し、仕事に誇りを持っている。
「晩春」の紀子の姿は、そうした献身的なプロの姿に見えた。実際その職責と機能を十分に果たしている。
まずは父の助手の佐竹との関係について。
2人のコンビネーションは抜群だ。だからお手伝いさんには「必ず将来結婚する2人」に見えている。
七里ヶ浜への2人のサイクリング場面で、紀子の表情は輝いている。そして「(紀子は)嫉妬深いか?」といった踏み込んだ話題で盛り上がっている。本作が〝失恋の物語〟でもあるという印象を強くする場面だ。
しかし、佐竹と紀子は同じ上司に仕える同僚のようなものだ。身分の違いはあっても、職能においては対等な仲間である。恋愛の可能性がないことは2人はすでに承知していた。だからサイクリングは仕事の合間の息抜きであるし、今でいうチームビルディング活動でもあるはずだ。
周吉の原稿執筆の手伝いで、佐竹が自宅にいる場面も印象的だ。帰宅した紀子は佐竹を見て「あら、助かっちゃったわ」みたいなセリフを言う。
普段は紀子の仕事なのだ。紀子は、佐竹を同格の同僚として見ていること、自分は正式な助手と同レベルの仕事ができるプライドがあることも伝わってくる。
この場面で周吉は「ほとんど執筆は終わった」などと言って一息入れようとする。しかし、紀子は応じない。「ダメよ」と笑顔で、周吉に仕事を続けさせる。
ベテランの秘書や営業補助は、こんな感じで上司に仕事にコミットさせる。上司をマネジメントできるのは、業務に自信があり、上司の仕事の遂行にコミットしているからだ。これは佐竹にはできないことで、紀子のほうが格上となる。紀子の「秘書室長宣言」のようにも見えるのだ。
同じ上司の元での、同世代の部下同士は、友人や恋人以上に、理解しあい連帯できるものだ。20代30代にはそうした経験を多くの人がすると思う。
職場では、それを恋愛関係に発展させようとしないのがマナーだが、その境界線はしばしば破られる。一緒に働くのは、相手を理解し、心理的につながる強力な方法だからだ。
部下のマネジメントに無頓着な人物の元で働く場合には、部下の上司マネジメントが重要で、その場合、連帯関係はさらに深くなる。上司から精神的サポートや承認を得られないからだ。
佐竹は紀子には、自分に婚約者がいることをずいぶん以前に知らせていた。これも同僚同士のマナーでもある。相手を傷つけることを防ぐことができるからだ。恋愛なしの同僚は、恋愛・結婚問題まで話し合える相手として、さらに連帯を深めることになる。
婚約者がいても、恋愛感情がなくなるわけではない。佐竹も紀子も、自分に最も相応しいパートナーとしてお互いを見ている気配は濃厚だ。
だからこそ、2人の関係は切ない。都心での2人の時間の後、食事を断り、それぞれ1人となった紀子と佐竹の無表情に、どうしようもなかった切なさが強く漂う。2人が結婚したら、家庭生活をプロジェクトのように切り盛りする現代的なパートナーシップを築いた可能性は高いはずだ。
佐竹の次に、親友の綾について考えてみたい。
彼女は、女子校時代の同窓生だ。離婚後タイピストとなり、英語の仕事もあるという。当時かなりの少数派の高学歴である可能性が高い。
同窓生たちはほとんどが結婚している。結婚で仕事をやめ、専業主婦となるのが、高学歴女性でも当たり前の時代だ。
同窓生の中で、綾は数少ない働く女性だ。綾が親友であるのは、独身職業女性という共通のアイデンティティによるのではないだろうか。要は価値観が近くて話が合うのである。ただ、紀子の方は職業として認められず、給与も支払われてない。現代の目から見ると、搾取と言わざるを得ない状況でもある。母が早逝していなかったら、そして、紀子が体を壊していなかったら、紀子も就職して力を発揮していただろう。
次に周吉の友人の小野寺について。周吉の学問上の仲間のようだ。
紀子の小野寺への立ち回りは絶妙だ。「オヤジ転がし」というか、親密さと絶妙な距離感と、相手への尊敬を漂わせている。
これは、上司の人間関係のメンテナンスを紀子が行なっているということでもあって、子供の頃から知っているおじさんというだけではないと思う。
若い妻と再婚する小野寺に、紀子は「なんだか嫌だわ。汚らしい」と言う。これも微妙な嫉妬で好意を伝えているようで、絶妙な振る舞いに見えた。
しかし、紀子は、この発言を物語の最後まで、後悔し続けている。
紀子がこれほど後悔する理由は、父の職業上でも重要な相手に、葛藤する自分の感情をぶつけてしまったからだ。秘書の職業倫理として反省しなければならないーー紀子はそう感じて、深く恥入ったのではないだろうか。
職業人のアイデンティを持った紀子という仮説仮説で見ると、父周吉はどのように見えるだろうか。
紀子は、周吉が出かける際の替えや原稿執筆、人間関係のメンテナンスまで、家事労働の範疇を超える仕事を、非常に優秀にこなしている。しかし、周吉は、その職業部分に対して、給与を支払うことなど思いもよらないし、感謝も承認も伝えない。家事労働の一環だと見ているのだ。
母を亡くし病気がちで婚期を逃した娘を思いやっているのだが、とんでもない勘違いではないかーーそう言いたくなってしまった。
そう考えると、父の再婚と紀子の結婚話は最悪の流れである。「新たな〝秘書〟が来るから、君は結婚でもしてくれたまえ」、紀子にはそう感じられたのではないだろうか。
ここから紀子の表情が一気に変わる。視線は鋭くなり、批判的でもある。プロとしての誇りと尊厳を傷つけられた表情ではないだろうか。
能を鑑賞中に再婚候補の女性を見る目は「あんたに(私の仕事を)やれるもんならやってみなさいよ」…そんな気持ちがこもっているようだ。
紀子の職業上の誇りは誰にも認識されない。それが、この物語の最大の悲劇ではないだろうか。
そして有名なラストシーン、笠智衆演じる周吉は、深くうなだれる。孤独をかみ締めているというのが、普通の理解なのかもしれないが、ここまでの文脈からは違って見えてくる。
この場面は、周吉の中の電源が切れた、あるいはエネルギーがスッと抜けていくようでもある。この日まで、周吉は、亡き妻や娘の紀子に、マネジメントされて働いてきた。彼女たちがいなければ、働くエネルギーは生まれない。それに、初めて気がついたのではないだろうか。
紀子も、そして紀子が手本としたであろう亡き妻も、家事労働を大きく超えて職業面でも支えてくれた。それを家事の範囲と認識していたから気づけなかったのだ。
紀子がいなくなって初めて、自分の〝右腕〟をもぎ取ってしまったことに気がついた。自分の中には、独自の熱源、学問への情熱とか働く喜びとか、そんなものはないことに直面した。そして、スイッチを切ったロボットのように項垂れてしまったのではないかと思うのだ。
ここまでの見方は現代から見た視点が強すぎるかもしれない。
周吉は57歳と中年なのに、途中でも「僕の人生はもう終わりだ…」みたいなセリフをいう。これに違和感があった。僕はすでにその年齢を超えたが、そこまでの実感はないからだ。
しかし、当時の平均年齢を調べてみると、1950年の男性の平均年齢は約58歳だ。周吉は、平均的な寿命の年齢だったのだ。定年が55歳とすると、社会的寿命と、実際の寿命がほぼ重なっている。働き終えたら、一生を終えるという時代だったのだ。
僕らが今考えるような、悠々自適な老後などなかった。当時は公的年金制度が始まっていないから尚更だ。
周吉は、現代なら80歳くらいの実感なのかもしれない。そう思うとこの映画のラストはまだ別の周吉の姿が見えてくる感じがする。
娘も嫁にやって、私は全ての役目を果たしたーー。こんな感慨が、ラストの脱力し項垂れる姿になったのかもしれない。
周吉は、役割に忠実な人物だ。戦前の教育を受け、もしかすると皇軍兵士として出征し、戦後は大学教授という役割に徹して、大黒柱として家庭を経済面で支えた。時代の変化の中でも、役割に忠実に、良き人間であろうとした人物である。その彼の、役割を果たしきって、一人になった孤独と感慨はちゃんと受け止めないといけない。
過去を現在の価値観で裁のは、キャンセルカルチャーのようなものでもあって、この運動には僕は違和感を感じてもいる。しかし、現在の感覚で過去を見るのは避けられず、だからこそ歴史を学び、同時に虚心に見ることが大事だと感じた。
80年経ってもこれだけ気持ちを動かされるのは、本作が、時代や場所に左右されない普遍的な真実を描いているからだ。普遍的な作品ならば、今回のように現代視点での見方も許されるかもしれない。
僕も今年還暦で、周吉の年齢も越し、また還暦の誕生日に亡くなった小津安二郎の年齢も越してしまった。彼らはすでに年下だけど、映像の中の笠智衆、そして小津監督から学ぶことは尽きないと感じる。
とにかく、何度でも見直して、噛み締めたくなる最高傑作だ。あと何回劇場で見ることができるだろうか。
