劇場公開日 1949年9月19日

「鑑賞者が物語に共感し、シーンごとに自分の体験を小津のスクリーンを重ねることで台本の意味が完成する、その比重が最も大きい部類。」晩春 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0鑑賞者が物語に共感し、シーンごとに自分の体験を小津のスクリーンを重ねることで台本の意味が完成する、その比重が最も大きい部類。

2023年7月17日
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映画とは、洋の東西を問わずだが、そのストーリーの歴史的背景や、その物語の起こった時期、その国における文化、そして習慣・習俗を前段階の知識として持っておかなければ十分な理解が難しいことが多い。

制作陣は当然の共通理解と思って、ベースを定め、その土台の上にオリジナルのシナリオを構築していくわけだが、
映画館の客席でアメリカ人だけが大笑いし、日本人の我々がキョトンとしてしまうことなどしばしばあることだ。

「晩春」は、
セリフも俳優の動きもぎりぎり最小限までに簡素化されているが故に、日本の文化に通じていない海外の鑑賞者にとっては、いったい何が起こっているのかが終始意味不明なまま 話が終わってしまう
これは最難解作品の部類だろう。

アメリカの映画学校でこの「晩春」がテキストとなったそうだ。講師が自信をもって名作を上映した後、参加者たちがコメントを述べ合うわけだが、このディスカッションで学生の感想を聞いて先生が腰を抜かしたというエピソードが面白い。

講師
笠智衆と原節子の長い沈黙の場面で、床の間の生花の長写しがあったが君たちはあれをどう捉えるかね?

学生
花が小刻みに揺れているように見えました。あの二人が被写体から外れている時間に近親相姦が起こったのだと思います。

これですよ。
嘘のような本当の笑い話だが、
無口で不器用な男やもめ と、控え目で身を慎む孝行娘との間に流れる、結婚式前日の語らずとも流れるその想い、風、畳の匂い、
・・これらは日本文化の血と肉なのであり、大和魂の珠玉の結晶なのだと思います。

「花嫁の父」(1952アメリカ)では娘を手放す父親のドタバタが愉快でした。
しんみりと言葉少なな小津安二郎も、賑やかさしきりのアメリカ映画も、「父親たちのその心中」については実は一緒で、ボリウムの強弱こそあれ、そこにある心情はグラデーションであることは確実でしょうけれど。

きりん