「哀悼と発見」晩春 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
哀悼と発見
原節子さんの訃報を耳にした。松竹120周年ということで、偶然にも東劇にて「晩春」「東京物語」を上映とのことで、とりもなおさず銀座へ向かった。
「晩春」はよくよく見ると、なかなかおかしな映画である。主題である主人公・紀子の結婚の、肝心のその相手は全く顔を出さない。登場人物たちの口を借りてそのプロフィールが語られるのみである。
映画の焦点はあくまでも結婚における、父と娘との別離、その通過儀礼に絞り込まれている。恋愛結婚に懐疑的な作品の多い小津らしさが強く出ている。
ところが、「晩春」の11年後のカラー作品である「秋日和」では、結婚して家を出る娘の司葉子に、わざわざ恋愛をさせているのだ。しかも今度はその結婚相手に佐多啓二という二枚目まで登場させる。なぜこれがわざわざの恋愛かというと、司はさきに佐分利信から佐多の紹介をされているのだが、これは写真や履歴を見る前に断っているのだ。にもかかわらず、司は会社の同僚から同じ人物の紹介を受け、今度は交際を始めるのだ。「秋日和」のシナリオはこのように、娘が恋愛をするということに非常に重要な意味を持たせている。
「晩春」の終盤はやはり映画としては不出来な終わり方である。娘が結婚して親から離れることの道理を、思いのたけ、笠にセリフで語らせてしまっている。小津はこの映画としての不合理を、「秋日和」では恋愛という当時の新潮流によって押し流すほかなかったのだろうか。
「秋日和」は、「晩春」とほとんど同じような筋立てで、原節子が今度は娘を嫁に出す寡婦を演じる。「晩春」でのやもめの笠智衆の役を、その娘であった原が演じるのだ。このような配役をこなす原もすごいが、「秋日和」で佐分利信の重役室へ司を案内する事務員が岩下志麻で、この司と岩下は6年後、「紀ノ川」でこれまた母娘を演じることになる。いやはや、仕事の幅の広い方々に敬服するばかりである。
原節子さんのご冥福をお祈りいたします。