八甲田山のレビュー・感想・評価
全43件中、1~20件目を表示
ハッコー💡だサン☀️
寒すぎて麻痺して熱いーとかいいながら死んでいくとか
ホラー映画より怖い作品シリーズの最上位のやつです!
あとロケよくやったなしかし⛰️☃️ 死ぬよ🥶
この作品のおかげで一度は資料館に絶対に行こうと思ってますよ!
時代が生んだ壮絶な人間ドラマだといえる。
日本の冬季軍事訓練で最多の死傷者を出し、近代以降の世界最大の山岳遭難事故でもある、1902年(明治35年)の「八甲田雪中行軍遭難事件」を映画化した人間ドラマ。
高倉健と北大路欣也が、別々の連隊で、八甲田山の雪中行軍を命ぜられる。厳冬の過酷な気象状況、認識不足、指揮系統の混乱、装備不足、低体温症などに直面し、悲劇を招く。
3時間近い上映時間は、もっと短くできなかったかなと。本作は、明るい要素や、救いとなる点がほぼ無い。狂気に満ちており、観客に歴史的事件の現実を、強烈に見せつけている。
1977年の日本映画配給収入第1位を獲得した大ヒット作。
どれだけ理屈に合わなくても、上司の指示が絶対だという理不尽さが、組織自体の暴走につながるストーリーが、終身雇用と年功序列が今より支配的だった当時の日本社会において、広く受け入れられたのだと思う。
主役級役者がずらり
第1回アカデミー賞の主演男優賞が高倉健とは知らなかったし、想像を絶する過酷なロケにこんな超豪華俳優が出そろううとはスタッフも含めたエネルギーを感じる。
ほとんど豪雪の中でのシーン、監督、助監督だけで無くカメラマンや現場スタッフは大変やったやろなあ。
事故無く最後まで撮影できたんやろか?
敵と戦わずして死ぬというのは兵隊さんにとって本望で無く、そう思うとこの訓練は何だったのか?
訓練に参加して無事帰ってきた者も、「じゃあ、次は極寒のロシアへ」と言われても「もう勘弁してよ」とならないか?
「神田大尉、死ぬ時を間違ってるよ」と言ってあげたかった。
それにしても過酷なロケやなあ、誰が誰かわからん。
雪上車で現場近くまで毎回行ってたんやろか?
この頃ってカイロあったんやろか?
飯はどうしてたんやろ?
年取った俳優はトイレも近かったやろから大変やったろなあ。
撮影後の風呂は最高やったやろなあ。
加藤嘉、秋吉久美子 良かったなあ~
次か次へと思いが馳せる。
0130 五社協定の終焉
1977年公開
事実上の最終プロデューサー橋本忍の元
脚本を自ら描き、監督森谷司郎、撮影木村大作と
「日本沈没」最高スタッフが結集。
「砂の器」では東宝と松竹を天秤にかけ配給条件を
競わせ、しかし最終的に
盟友の野村芳太郎演出しかありえないとした橋本忍と
東宝への監督貸し出しはあり得ないとした松竹との間で
松竹公開となった分東宝に義理が出来てしまった橋本忍は
本作を東宝若干優位の上でまたもや両社を競わせる。
まだ配給会社が決まっていないうえで撮影に入る橋本忍。
それをパイロット版として東宝松竹にプレゼンをかける。
また規模の上では弱小プロダクションであるがゆえに
「砂の器」の1年間撮影や本作の冬のシーンに費やす
大量スタッフ編成を維持するための合理的な運用として
「砂の器」の冬シーンを「八甲田山」と時期を重ね
これまた大作の創価学会映画を同時期に製作し
「砂の器」コンサートシーンでは学会員を動員して
エキストラとさせた。
まあなんとスケールのでかいプロデュースなんだ。
自然を征服しようとした神田北大路欣也大尉と
自然に抗わない徳島高倉健大尉が
別方向から八甲田山を目指すという話なんだよ。
(野村芳太郎)
それは面白い(橋本忍)
配給収入25億円の大成功をおさめる。
80点
軍歌『雪の進軍』が哀しく響く名作
1977年公開。
帝国陸軍で発生した集団遭難事件を描いた。
製作に東宝などと並んで、創価学会関連のシナノ企画の名前があることに目がいく。
1973年にも東宝・シナノ企画の共同製作、橋本忍脚本で、池田大作会長の伝記映画『人間革命』、
1976年には同じ陣容で『続・人間革命』が公開されている。
単にビジネスとしてのつながりなのか、
宗教の大衆浸透の手段なのか、
いずれにしても、当時はお互いの利害が一致していたのだろう。
原作は新田次郎の『八甲田山死の彷徨』。
監督:森谷司郎
脚本:橋本忍
主な配役
【弘前31連隊・徳島大尉】:高倉健
【青森5連隊・神田大尉】:北大路欣也
ほかに、三國連太郎、加山雄三、丹波哲郎、栗原小巻、秋吉久美子、前田吟、島田正吾、大滝秀治、東野英心、緒形拳、小林桂樹、神山繁、森田健作、加賀まりこ、田崎潤など書ききれないほどのオールスターキャストだ。
当時の帝国陸軍で企画された冬季演習、雪中行軍で起こった悲劇を、リアルかつ重厚に描いた大作だ。
公開当時、劇場で鑑賞して以来、たびたび観てきた。
何度観ても素晴らしい。
映画なので、人名の改変やエピソードの脚色などは当然あるのだが、本当によく出来ている。
◆雪中行軍自体に必要性はあった?
◆事前準備や防寒ノウハウの周到さが生死を分かつ
◆「上官の命令は絶対」の理不尽さ
◆極寒の八甲田山のとてつもない脅威
「天は我々を見放したぁ…」のテレビコマーシャルは、
鮮烈な印象を残したし、
遭難案件ではテーマが暗すぎると危惧された興行面も、
製作費7億円の4倍に迫る収入があり、空前の大ヒットとなった。
演者や製作陣に破格の利益分配がおこなわれたらしい。
東北地方以外に住む日本人は、
国内にあんなに過酷な天候があることを知らなかっただろう。
私は知らなかった。
本当に驚いた。
ということは、当時の軍司令部も知らなかっただろう。
観ていて肌を突き刺されるような光景が続く。
さっきまで生きていた人間が、氷像になる。
画面を覆い尽くす暴風雪は、観ているだけで呼吸が苦しくなる。
高倉健、北大路欣也などスター陣の軍服姿、
軍人らしいキビキビした所作、
栗原小巻、秋吉久美子ら女優陣の抑制された演技は非の打ち所がない。
芥川也寸志の音楽も秀逸。
挿入されている軍歌『雪の進軍』の軽妙なメロディーが悲劇の前奏曲となっていて悲しみを増幅させる。
物語の舞台となった明治(日露戦争前)、
公開された昭和、
それぞれの時代の空気が感じられる邦画の名作。
☆5.0
何度観ても涙する
映画撮影の逸話が数々ありますが、ここでは省略します。
明治のころも日本陸軍は「愚の骨頂」でしたね。
「硫黄島からの手紙」でもそうでしたが、軍隊ってどうして「わしが俺が」なんですかねー。
こう言うの観ると日本人って素晴らしい(優しくて温厚で頭が良い)人種なのに愚かな事をするのですね。
ま、軍隊が悪いのですが。。。
警察官のイジメによる自殺も絶えない。
同じタグイですかね。
鑑賞3度目ですが、やはり凄まじい吹雪の場面は言葉がありません。
1度目は封切直後、2度目はDVDになってから、そして3度目は先日、BSで放映(4kリマスター版)されたのを観た。
映画と違いテレビでは吹雪の迫力が伝わってこないと思いつつ画面に引き込まれた。
210名中199名が亡くなった青森第5連隊と、38名全員が踏破した弘前31連隊の違いは何だったのか。
弘前31連隊の徳島大尉は、八甲田山麓の踏破が最大の難所と当初から認識していた。
指揮官がいろいろな困難、最悪の事態をきめ細かく想定し、周到な準備と対策を取ることが、いざという時の適切な判断につながった。
原作の「八甲田山死の彷徨」(新田次郎)は映画の回数以上読んだ。
昔の単行本なので字が小さく読みづらい年齢になったが、またチャレンジしようと思う。
やはり名作中の名作である。
「案内人殿に敬礼!」これこそ健さんの真骨頂!
いやー可愛らしい秋吉久美子相手に憎いことしよって。全然不器用ちゃうやん。ここは理屈抜きに「健さんカッコいい!痺れるぜ!」となるね。
それにしてもこんな大遭難事故を本当に冬の八甲田山で撮るなんて何と無謀な。よく殉職者が出なかったな。あまりのリアルさに真夏に観たのに震えがきた。しかし無事生還した弘前31連隊も隊長以下ほとんどが日露戦争で戦死とは…結局天は全員を見放してしまっていたのかと虚しくなる。
70年代邦画の最高峰では。
ホウレンソウ
どれだけお偉いさんがいようが、人数が多かろうが、ミッション遂行に必要な情報を得られず、的確な意思決定がなされないのであれば、まともに運営できず瓦解してしまう、という組織論の視点から本作を観たことがある。当時はそこまでピンとこず、オールスターキャストに目がいっていた。今ならその意味がわかる。
1992年鑑賞。
日本映画が誇るべき名作
映画「八甲田山」公開の日は 1977 年の6月4日。新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」を原作とする日本映画で、橋本プロダクション・東宝映画・シナノ企画の製作で公開された。1902 年に青森の連隊が雪中行軍の演習中に遭難し、210 名中 199 名が死亡した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)を題材に、極限状態での組織と人間のあり方を問いかけた作品である。製作費約 7 億円、配給収入は 25億900万円で、1977 年の日本映画第1位を記録した。高倉健、北大路欣也主演。北大路の台詞「天は我々を見放した」は当時の流行語になった。監督は森谷司郎、音楽は芥川也寸志で翌 1978 年3月の第1回日本アカデミー賞音楽賞を受賞している。
原作「八甲田山死の彷徨」の映画化を思い立ったのは脚本家の橋本忍であった。1974 年2月に新田次郎から映画化権を獲得し、製作のイニシアティブは橋本プロが執った。本作は初め東映に持ち込まれたが、明治物は当たらないという映画界の傾向を無視できなかった岡田茂東映社長が「そんな蛇腹(明治時代の軍服)の話が受けるかい」と承認しなかったため、東宝で製作されることとなった。野村芳太郎の所属する松竹、森谷司郎の所属する東宝に撮影済みのフィルムの一部を見せ、シナリオを渡し、東宝から「条件を聞きたい」とのオファーを受け、東宝での配給が決定した。
山田大佐役は当初丹波哲郎にオファーされていたが、丹波が厳冬期の青森での長期ロケに難色を示したため、出演シーンの大半がスタジオ撮影である児島大佐役に変更になり、代わりに三國連太郎に山田役が回されたとされる。また、役柄は不明であるが、山村聰が出演予定とされていた。
脚本の橋本忍は、当初群馬県の温泉地で撮れないものかと考えていたが、野村芳太郎や森谷司郎と八甲田の山々を歩いて見て、ここで撮るしかないと考えを変えた。野村芳太郎から「映画には空気が映る」と言われていたからという。 撮影の木村大作は思うような撮影の技術が発揮できず、不満が残ったという。映像は端正といえず、青森隊が露営する場面では白い雪を背景に兵士たちの顔が黒く潰れている。後のデジタルリマスター版では露出が補正され、兵士たちの顔も判別できるようになった。雪の山道では大きな照明道具を持参することができず、小さな手持ちライトだけで顔に当たったり外れたりしていたという。また内容も兵隊が雪の中で死んでいくだけでは、ヒットするとは思えなかったという。
実際に体感温度零下 20〜30 度にも及ぶ真冬の八甲田山で二冬もロケを敢行し、日本映画史上類を見ない過酷なロケとして有名になった。助監督を担当した神山征二郎は、その過酷さから「この映画の全ての撮影が終わった時、“寿命が2年縮んだ”と思った」と回想している。遭難現場は八甲田山北東斜面だが、ロケは八甲田山北西の寒水沢、酸ヶ湯温泉付近や岩城山の長平、奥入瀬などでも行われた。
作中の激しい吹雪のシーンも実際のもので、時には役者たち各々にビニールのカバーを被らせ、外で4時間も吹雪待ちをした。斉藤伍長役で出演した前田吟は「撮影当時はまだダウンコートもない時代だった。この映画で着用した軍服は見た目はカッコよかったが、生地が薄くてかなり寒かった。特に何もしないでただひたすら待つだけの待機時間が辛かった」と証言している。また、ある時ロケに参加した兵役たちのためにスタッフがカレーを作ってバケツリレーで回したが、後ろにいた前田の所に来た頃にはカレーが凍っていたとも証言している。
兵卒には高倉健や北大路欣也などのスター見たさもあって、現地で募集したエキストラも多数参加していたが、当地在住のエキストラにとっても寒さは過酷なもので、撮影開始から数日も経つとエキストラの数は当初の半分に減っていたという。裸で凍死する兵卒を演じた原田君事の肌が紫色に映っているのはメイクではなく本当に凍傷になりかけたためという話も残っており、主役級も含めて俳優たちの出演料も決して高額ではなかった。主役の高倉健は3年に渡る撮影に集中するため、マンションと所有するメルセデス・ベンツ・SL を売却した。
神田隊が雪崩に巻き込まれるシーンは、現場スタッフが 30 発のダイナマイトを爆発させて雪崩を起こし、3台のカメラで撮影された。十和田湖畔の行軍シーンでは良い画角で撮るため、氷の張った湖に木村大作が飛び込んで撮影した。この過酷な撮影は当時カメラマンだった木村大作にも大きな影響を与えたと言われている。前田吟によると、本作の終盤で遺体となった神田大尉が棺の中で横たわるシーンは、北大路が血の気のない死体役を演じるため実際に約5時間も棺桶に入って準備をしたという。また、高倉健もこの撮影で足が軽度の凍傷になってしまったという。
登山家の野口健は、「雪山登山を知る者からするとこの映画には“あるある”の場面が満載です。また遭難の典型例が勢揃いしています」と評している。
内容が暗いので映画向きではないと極言する映画関係者もいたが、ヒットは間違いなしという大方の前評判ではあった。しかしこれほどの超ヒットになるという予想はされてなかった。最終的に配収 25 億円の大ヒットで、「日本沈没」を上回る当時の日本映画歴代配収新記録を打ち立てた。本作のヒットの大きな要因として、先述の 15 秒のテレビスポット CM を大々的に放送したことなどに加え、豪華俳優たちの共演による前評判の高さもあった。既に主要キャストのほとんどは故人となっており、今なお現役なのは北大路欣也や前田吟、秋吉久美子などごく一部である。
いずれの俳優も持ち味を出し切っており、とぼけた味わいの丹波哲郎、独特の声を張り上げて計画の説明をする大滝秀治、いかにも重鎮らしい島田省吾、憎々しげな三國連太郎、実直な中間管理職そのものの北大路欣也、言葉を発しないシーンでの表情が素晴らしい高倉健、可憐さ極まる秋吉久美子など、誰一人欠けても成立しない奇跡的な作品であった。芥川也寸志の書いた音楽は、日本映画史に残る名曲である。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)×4= 100 点。
高倉健の温かさが心に沁みる。再現不可能な映画。
この映画はエンターテイメントとしては正直、あまり面白くはありません。
しかし、日本映画を代表する作品だと思います。
明治に実際に起きた事を再現しているという点だけでも見る価値があると思います。
実際の極寒の中での撮影で、観ているとどのように撮影したのか分からなくなる程信じられない映像の数々です。
実際の冬山で撮影しているので寒さがよく伝わり、
あらゆる冬の映画の中で一番寒さが伝わります。
この作品を見て、高倉健の格好良さに深く感動しました。
演技を越えて人として信頼できると感じました。
リアルにもホドがあるわ!
《お知らせ》
「星のナターシャ」です。
うっかり、自分のアカウントにログインできない状態にしていまいました。(バカ)
前のアカウントの削除や取り消しもできないので、
これからは「星のナターシャnova」
以前の投稿をポチポチ転記しますのでよろしくお願いいたします。
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ある意味伝説の映画ですが、本当に伝説でしたね〜
凄まじい吹雪も、ヒゲや眉にできた氷柱も全部本物って!!
確かにリアルに拘るのは分かるけど、
今となってはこれは役者虐待かも〜(笑)
で、ひたすら悲惨な吹雪シーンだけの映画ではなく、
ところどころ、幼い頃の思い出や夏の景色を妄想したりする
そのシーンが、とても美しい〜
古き良き田舎の素朴な祭りの風景や光溢れる夏の山々
なんだか泣けてきました。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
リアルに拘るあまり本当の吹雪待ちで5〜6時間
高倉健さんや北大路欣也さんはじめ
全ての役者やスタッフが雪の中で待たされたとか〜
死人が出なかったのが不思議な位のホワイトアウト状態!
劇中、村の古老のセリフに「白い地獄」とありますがまさに!!
映像が怖かったです。
日本型のノーと言えない集団主義のリスクを
改めて強く感じる映画ですね。
この国の悪い習慣が
未だに変わってないことに
絶望感を感じます。
変えなきゃいけない!!
強く強く思いました。
@もう一度観るなら?
「映画館で観ないとあの吹雪の絶望感は伝わらないかも〜」
史実とは異なる部分があるので注意
映画では5聯隊に対比して31聯隊の福島大尉が美談に描かれているが、実際には道先案内人の村人を自軍の都合で任務解除して全身の凍傷を負わせ帰郷後は人事不詳の体になった人に知らん顔だったとか、その他にも当時のいい加減な調査と「大本営発表」で史実と異なることが各所にある。最近発行された「八甲田山 消された真実」(伊藤薫著 山と渓谷社刊)のなかで遭難した5聯隊の当時伍長であり生存者の一人だった小原忠三郎さんは戦後、従来の書籍や映画では無視され或いは歪曲された内容について多く語っている。
雪の映像が素晴らしい
日露戦争直前の話で、弘前と青森の連隊が雪中行軍を行うことに。
弘前連隊のリーダー(高倉健)は少数精鋭の編成で、地元民の道案内を取り入れる。
青森連隊のリーダー(北大路欣也)は、上司に押し切られ大部隊を余儀なくされ、おまけに上司までが付いてくることに。
弘前と青森が明暗を分け、地獄を見ることになる。
雪の中でのシーンはよくできていて、よくぞここまで作り上げたものだと感心する。
観ていてフラッシュバックしてトラウマが疼きました
暖かくして、熱いほうじ茶も用意して観るべきです
白い地獄
文字通り白一面のホワイトアウト
それが延々と続くばかりになるのは確定してますから、それでは映画になりません
それをどう映画にできるのか?
そこが腕の見せ所ということになります
起承転結の転だけを白い地獄のクライマックスとして、この遭難に至る過程とドラマ性を際立てた脚本の優れた構成
徳島、神田両大尉のそれぞれ対照的な人物設定と交流、山田大隊長の造形
両隊の運命を分けた大きな要素の一つである案内人を際立たせるために若い女性を登場させ、しかも退場場面に見せ場を用意してあるのは舌を巻きます
日本映画史上に残る屈指の名シーンです
涙腺が緩み大いに泣かされました
効果的に青森の美しい春や夏の情景を、幼い頃の記憶として繰り返し挿入する演出
前振りの台詞のシーンまで用意されています
過酷な吹雪の中の山中ロケ故でしょうが、光量不足で薄暗くて何が写っているのかすら良く見えない山中シーンや誰の顔かも定かでない撮影もありますが、それ自体が却って迫力とリアリティを増幅させています
もしリメイクをしたとして、最新技術でクッキリハッキリ明るく撮影できたとしてもそれが本作以上の迫力とリアリティを生むでしょうか?
その中で名優陣の恐ろしく熱の入った名演が薄暗い画面を突き抜けて迫ってくるのです
高倉健はもちろんのこと、三國連太郎の説得力は強烈です
神田大尉の従卒を務める長谷部一等卒の役の若い俳優の配役の成功も悲劇性を増幅させ心に残りました
何もかもお見事としか言いようがありません
観ていてフラッシュバックしてトラウマが疼きました
思い出したくない悪夢を思い出します
そんな人も多いのではないでしょうか?
雪山登山のことではありません
会社や役所や大きな組織に属した人なら、神田隊と似たような経験をした人もいるのではないでしょうか?
日本の組織が陥る駄目パターンの全てが詰まっています
土台無理な無謀なプロジェクトに投入される、あたら優秀な人材や若手達
本作に出てくるような連隊長や山田大隊長や神田中隊長に率いられて、磨り潰されて精神や身体に異常をきたして脱落していった人達の顔、顔、顔
それが思い出されます
八甲田山は冬の青森にのみあるわけでは有りません
あなたの属する組織で明日始まるかも知れないのです
ブラック企業なら八甲田山は毎日のことです
神田大尉になるか、徳島大尉になるか
それは私達の勇気次第です
若い人なら自分が神田隊に配属されていたと知ったならどう行動すべきでしょうか?
ラストシーンで現代のロープウェイから八甲田山を見下ろす老人は、緒形拳が演じる第五連隊の生き残り村山伍長の老人となった姿です
彼はこのままでは俺も死ぬと、「俺は自分の思い通りに歩く」と言い単独行動して最後の生存者となって生還できたのです
それでも凍傷で失ったのか左腕がありません
命あってのもの種です
あなたが神田隊にいると思ったなら、意見具申も重ね、本当に駄目だ、これ以上は無理と感じたなら、単独行動していいのです
いや、すべきです
あなたの代わりは会社にはいますが、自分と自分の家族に取って自分の代わりはいないのです
会社を辞めてもいいし、会社を辞めなくても、適当にこなして体と心を温存することも、単独行動です
エピローグで字幕ででる黒溝台の戦いは日露戦争の天王山といえる奉天大会戦の前哨戦と言えるものでこの戦いでの勝利は大きな意味がありました
正に極寒の1月下旬のことです
彼らの八甲田山の経験が貢献したのは間違いないことかも知れません
しかし日本は神田隊のそのままの態勢で第二次大戦に突入して、ニューギニア、フィリピン、インパールどころか日本全体が冬の八甲田山に踏み込んでしまったのです
組織の幹部にもなろうかという人は必ず観るべき映画です
むしろ管理職昇格研修に組み入れ、何処に問題があったのか列挙させるレポートを全員に書かせて競わせ、グループ討議させるべきぐらいです
こんな大それたロケ、今じゃできない
加藤嘉が雪中行軍隊に対して「こんな山の神の日に…バカタレが」みたいなことを言っていたこと、案内人秋吉久美子の「まんまくうびゃー」が印象に残る。
日露開戦前の雪の進軍を体現する映画。こんなのを日本は将来撮れるのだろうか。製作委員会でちまちま創ってる今では考えられない。
寒い
旧帝国陸軍、集団の恐ろしさに気分が落ち込みました。星は低いですが価値あるものだと思います。
鑑賞後ググッてみると、もっと悲惨な状況が分かったので、心底凍えました・・・。
秋吉久美子がかわいすぎて、そこだけは救われた。
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