劇場公開日 1977年6月18日

「日本映画が誇るべき名作」八甲田山 アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0日本映画が誇るべき名作

2022年6月4日
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映画「八甲田山」公開の日は 1977 年の6月4日。新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」を原作とする日本映画で、橋本プロダクション・東宝映画・シナノ企画の製作で公開された。1902 年に青森の連隊が雪中行軍の演習中に遭難し、210 名中 199 名が死亡した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)を題材に、極限状態での組織と人間のあり方を問いかけた作品である。製作費約 7 億円、配給収入は 25億900万円で、1977 年の日本映画第1位を記録した。高倉健、北大路欣也主演。北大路の台詞「天は我々を見放した」は当時の流行語になった。監督は森谷司郎、音楽は芥川也寸志で翌 1978 年3月の第1回日本アカデミー賞音楽賞を受賞している。

原作「八甲田山死の彷徨」の映画化を思い立ったのは脚本家の橋本忍であった。1974 年2月に新田次郎から映画化権を獲得し、製作のイニシアティブは橋本プロが執った。本作は初め東映に持ち込まれたが、明治物は当たらないという映画界の傾向を無視できなかった岡田茂東映社長が「そんな蛇腹(明治時代の軍服)の話が受けるかい」と承認しなかったため、東宝で製作されることとなった。野村芳太郎の所属する松竹、森谷司郎の所属する東宝に撮影済みのフィルムの一部を見せ、シナリオを渡し、東宝から「条件を聞きたい」とのオファーを受け、東宝での配給が決定した。

山田大佐役は当初丹波哲郎にオファーされていたが、丹波が厳冬期の青森での長期ロケに難色を示したため、出演シーンの大半がスタジオ撮影である児島大佐役に変更になり、代わりに三國連太郎に山田役が回されたとされる。また、役柄は不明であるが、山村聰が出演予定とされていた。

脚本の橋本忍は、当初群馬県の温泉地で撮れないものかと考えていたが、野村芳太郎や森谷司郎と八甲田の山々を歩いて見て、ここで撮るしかないと考えを変えた。野村芳太郎から「映画には空気が映る」と言われていたからという。 撮影の木村大作は思うような撮影の技術が発揮できず、不満が残ったという。映像は端正といえず、青森隊が露営する場面では白い雪を背景に兵士たちの顔が黒く潰れている。後のデジタルリマスター版では露出が補正され、兵士たちの顔も判別できるようになった。雪の山道では大きな照明道具を持参することができず、小さな手持ちライトだけで顔に当たったり外れたりしていたという。また内容も兵隊が雪の中で死んでいくだけでは、ヒットするとは思えなかったという。

実際に体感温度零下 20〜30 度にも及ぶ真冬の八甲田山で二冬もロケを敢行し、日本映画史上類を見ない過酷なロケとして有名になった。助監督を担当した神山征二郎は、その過酷さから「この映画の全ての撮影が終わった時、“寿命が2年縮んだ”と思った」と回想している。遭難現場は八甲田山北東斜面だが、ロケは八甲田山北西の寒水沢、酸ヶ湯温泉付近や岩城山の長平、奥入瀬などでも行われた。

作中の激しい吹雪のシーンも実際のもので、時には役者たち各々にビニールのカバーを被らせ、外で4時間も吹雪待ちをした。斉藤伍長役で出演した前田吟は「撮影当時はまだダウンコートもない時代だった。この映画で着用した軍服は見た目はカッコよかったが、生地が薄くてかなり寒かった。特に何もしないでただひたすら待つだけの待機時間が辛かった」と証言している。また、ある時ロケに参加した兵役たちのためにスタッフがカレーを作ってバケツリレーで回したが、後ろにいた前田の所に来た頃にはカレーが凍っていたとも証言している。

兵卒には高倉健や北大路欣也などのスター見たさもあって、現地で募集したエキストラも多数参加していたが、当地在住のエキストラにとっても寒さは過酷なもので、撮影開始から数日も経つとエキストラの数は当初の半分に減っていたという。裸で凍死する兵卒を演じた原田君事の肌が紫色に映っているのはメイクではなく本当に凍傷になりかけたためという話も残っており、主役級も含めて俳優たちの出演料も決して高額ではなかった。主役の高倉健は3年に渡る撮影に集中するため、マンションと所有するメルセデス・ベンツ・SL を売却した。

神田隊が雪崩に巻き込まれるシーンは、現場スタッフが 30 発のダイナマイトを爆発させて雪崩を起こし、3台のカメラで撮影された。十和田湖畔の行軍シーンでは良い画角で撮るため、氷の張った湖に木村大作が飛び込んで撮影した。この過酷な撮影は当時カメラマンだった木村大作にも大きな影響を与えたと言われている。前田吟によると、本作の終盤で遺体となった神田大尉が棺の中で横たわるシーンは、北大路が血の気のない死体役を演じるため実際に約5時間も棺桶に入って準備をしたという。また、高倉健もこの撮影で足が軽度の凍傷になってしまったという。

登山家の野口健は、「雪山登山を知る者からするとこの映画には“あるある”の場面が満載です。また遭難の典型例が勢揃いしています」と評している。

内容が暗いので映画向きではないと極言する映画関係者もいたが、ヒットは間違いなしという大方の前評判ではあった。しかしこれほどの超ヒットになるという予想はされてなかった。最終的に配収 25 億円の大ヒットで、「日本沈没」を上回る当時の日本映画歴代配収新記録を打ち立てた。本作のヒットの大きな要因として、先述の 15 秒のテレビスポット CM を大々的に放送したことなどに加え、豪華俳優たちの共演による前評判の高さもあった。既に主要キャストのほとんどは故人となっており、今なお現役なのは北大路欣也や前田吟、秋吉久美子などごく一部である。

いずれの俳優も持ち味を出し切っており、とぼけた味わいの丹波哲郎、独特の声を張り上げて計画の説明をする大滝秀治、いかにも重鎮らしい島田省吾、憎々しげな三國連太郎、実直な中間管理職そのものの北大路欣也、言葉を発しないシーンでの表情が素晴らしい高倉健、可憐さ極まる秋吉久美子など、誰一人欠けても成立しない奇跡的な作品であった。芥川也寸志の書いた音楽は、日本映画史に残る名曲である。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)×4= 100 点。

アラカン
アラカンさんのコメント
2023年12月3日

貴重なご体験でしたね。

アラカン
さんのコメント
2023年12月3日

撮影隊が拠点とした旅館に泊まったことがあります。西津軽郡の鯵ヶ沢町にある旅館です。20年以上も前の事です。カレーが凍った話は女将さんからも聞きました。

元
アラカンさんのコメント
2022年7月17日

お読み頂きありがとうございました。

アラカン
アラカンさんのコメント
2022年7月17日

お読み頂き有難うございました。

アラカン
Kazu Annさんのコメント
2022年7月15日

アラカンさん、詳しい解説有難うございます。コマーシャルに乗せられ(とは言え、映画に感銘し、後に八甲田山に行くことに)、私も見に行った1人ですが、勉強になりました。

Kazu Ann