劇場公開日 1977年6月18日

「なぜ、人は偉くなると冷静な判断ができなくなるのでしょう…」八甲田山 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0なぜ、人は偉くなると冷静な判断ができなくなるのでしょう…

2019年7月8日
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鑑賞方法:映画館

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いかに極限状態であろうとも、規律の厳しい軍隊においては上官の指示命令は絶対なのだろう。
いや、現代のサラリーマンの世界でも、結局は自分を査定して給与を決める権限のある上司には逆らえない…そんな体質が日本には残っている。(私が知る限り)
「ベンチがアホやから、野球がでけへん!」啖呵切って飛び出せたらどんなにか……(愚痴ってしまった!)

この物語は史実に基づいている。
但し、浅田次郎の原作はノンフィクションではなく、あくまでも山岳小説。
弘前歩兵第三十一連隊と青森歩兵第五連隊が、参謀長の提案によって同時に双方拠点からの八甲田山踏破を計画することになる設定は、小説のオリジナルらしい。
実際は全く別々に計画されたものだとか。
両隊の中隊長同志を交流させることで、ドラマ性を高めている。
更に、橋本忍の脚色によって、組織のあり方を問う視点か強められた。

高倉健演じる弘前の中隊長 徳島大尉は、計画の説明において、十和田湖を回って迂回する長距離行程となったのは連隊長(丹波哲郎)の責任だとはっきり言う。
そして、失敗があり得る危険な訓練であることを承知させ、計画のイニシアティブを握る。
これは正に、ビジネスマンに求められるプラクティス。
状況を正確に理解し、利害関係人の特徴を把握し、権限者に伝えるべき情報を的確に選別した上で伝えるべき時にピンポイントで伝える。
重要なのは、やらないためではなく、やるための戦略を立てること。
高倉健の朴訥な印象に反して、徳島大尉は策略家でスマートだ。

一方、北大路欣也演じる青森の中隊長 神田大尉は、大隊長 山田少佐(三國連太郎)の面子に拘った浅はかな命令に抗えない。
神田大尉と山田少佐のこの関係性が物語の大きな軸となっている。
そこで、、、
高い地位まで出世するには、それなりの能力があったはず。
なのに、なぜ愚かで独善的な判断をしてしまうのだろうか。
上に行けば行くほど、その判断と決断の責任は重くなる。
その一方で、周りから意見されることが少なくなるからだろうか。
誤った指示命令にはどこまで議論しようとも、最後はポジションパワーがものを言う。
概ねは、議論さえ許されないのだ。
北大路欣也には、能力も人望もありながら、真面目すぎるが故に情勢を慮って自分を犠牲にする中間管理職の悲哀を見た。

厳しい視線で状況を観察しつつも黙して語らない加山雄三演じる大隊本部随行の倉田大尉は、冷静沈着な人物だ。
前半では、彼もまた山田少佐に意見することはできないのだが、とうとう行軍隊が立ち往生し犠牲者を出し始めたところで、指揮権を山田少佐から神田大尉に戻させる。
山田少佐が自らの失策に気付き始めたと見たからだ。
しかし、人は他人の行動に対しては過ちを見つけられるが、自分が最初からその立場だったら過ちを犯さないかというと、そうではない。
加山雄三も、疑いながらも上官に逆らうことなく従ってきたのだ。
そして、重責のあまり冷静さを欠き始めた北大路欣也に示唆を与え、隊を牽引させる。
自分では牽引することはできないからだ。
たが、この行動も遅すぎた。

旅団本部では、現地の情報が不確かなまま錯綜し、訓練中止の連絡も前線に届けられない。
危機管理のズサンさが浮き彫りになる。

実際にこの世界最大級の山岳遭難事故の裏側にどのような人間模様があったのかは知らないが、新田次郎と橋本忍によって作り上げられた物語において、会議室の思い付きに運命をもてあそばれた軍人たちの悲劇に心が痛む。
隊員たちを鼓舞するために、「路が見つかった」「天候が回復している」と士官たちが言う度に、また迷い、また猛吹雪に見舞われる、残酷なまでに容赦なく、天は彼等を見放した…。

当時、雪山でのロケーションはどんなに過酷だったか。
吹雪はどうやって起こしたのだろうか。
雪崩は東宝得意の特撮だろうか。
俳優たちは凍傷の危機にさらされ、実際に軽度の凍傷になった人(高倉健ら)もいたらしいが、それはスタッフも同じだっただろう。
作り手も、相当な覚悟でこの作品に挑んだであろうことは想像できる。
当時の撮影技術・機材では限界があり、映像の荒かった部分がデジタルリマスター版では幾分か補正されている。
撮影監督の木村大作は、後に自らの監督デビュー作「劔岳 点の記」で、明治の測量登山をロケーションで見事に再現した。

監督の森谷司郞は、「日本沈没」で橋本忍脚色作品を手掛けて大ヒットを記録した後の本作であり、連続で興行的な成功を収めた。
黒澤明の助監督時代に身につけた完璧主義が、本作で発揮されている。
当時では、超大作が撮れる数少ない監督だった。
次作「聖職の碑」も東宝・シナノ企画提携作品で、山岳遭難事故の史実に基づいた新田次郎原作小説の映画化であり、木村大作が撮影監督を務めた。
作品的には決して劣っていなかったと記憶するが、二匹目のドジョウはいなかった。
実は、今回「八甲田山」を観直すまで、「聖職の碑」と記憶がゴッチヤになっていたのだけれど…。
北大路欣也の「天は我らを見放した…」
鶴田浩二の「この子達は私の命だ!」どっちもふざけて真似したものだ。

さて最後に、栗原小巻の美しさと、秋吉久美子の可愛さには言及しないではいられない。
案内人秋吉久美子を高倉健以下隊員たちが見送るシーンは、恐縮しながら笑顔で手を振る秋吉久美子が愛くるしく、感銘を受ける。
北大路欣也の亡骸を前に、初対面の高倉健に「八甲田でお逢いするのを楽しみにしていました」と伝える栗原小巻の悲しげで、なお軍人の妻であろうとする健気な美しさに、高倉健の言葉と涙もあって胸を締め付けられる。

kazz