「アイドルと自己」PERFECT BLUE パーフェクトブルー ordinalさんの映画レビュー(感想・評価)
アイドルと自己
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完璧に構築されたアイドルのイメージ(衣装と愛嬌)が崩れ去っていく、、、そんなポスターのメインビジュアル。
夢と現実とパラレルと、自己同一性、自分の“中身”を曝け出すことへの葛藤、そこに“演技”という女優特有の多面性が組み込まれることで複雑さが増している。またこれはデヴィッド・リンチ『マルホランド・ドライブ』に通ずるものがある。
しかしながら本作ではむしろ、個人的な内面よりも自己の外側にいる第三者からの目線や認知に近い側に鑑賞者の視点は置かれていたのではないだろうか。
鑑賞者は主人公の感情に寄り添っていたようで、実はそうではなかった。カットの切り替えで果てしなく紛らわされていく入れ子状の虚構が何度も暴露され、鑑賞者が仮の現実に引き戻され続けることの繰り返しは、ラストで明らかとなる真実(であってくれ)への驚きに繋がる。鑑賞者が観るもの、考えることは常に誘導され得るのだ。
では映画として観せられる虚構、メディアにおける演出の変更、それと一個人のプライベートとの境目、それは果たして“裏切り”なのだろうか。
そして本作がアニメであることも重要な点である。異なる世界線を飛び越えて存在するモチーフの数々や個々人の印象を固定し、揺らぎのない“完全な(パーフェクトな)”記号として理想的に構成できることは、意図しない表現の誤差を減らし、虚構としての“画面”という前提をわかりやすく示すこと可能にしているだろう。
完全なる疲労と憂鬱。完璧な彼の娘は、パーフェクトな希望。
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