劇場公開日 1998年2月28日

「夢と現実の境を曖昧にして描かれる歪んだファン心理」PERFECT BLUE パーフェクトブルー 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5夢と現実の境を曖昧にして描かれる歪んだファン心理

2025年6月5日
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鑑賞方法:VOD

興奮

知的

驚く

【イントロダクション】
竹内義和による1991年発表『パーフェクト・ブルー 完全変態』を原案に、『千年女優』(2001)、『パプリカ』(2006)の今敏が劇場映画化。
アイドルを引退して女優業に転向した女性が、芸能界での過酷な仕事やストーカーからの被害により、次第に夢と現実の区別がつかなくなっていく過程を描くサスペンス・スリラー。
脚本には、実写・アニメ共に経験豊富な村井さだゆき。

【ストーリー】
売り出し中のアイドルグループ「CHAM(チャム)」に所属する霧越未麻(きりごえみま)は、グループを脱退して女優業に転向する。自身のラストライブとなるミニライブは、マナーの悪い常連客と警備員のトラブルがありつつも、未麻は最後の舞台に立ち、アイドルを引退する。

女優業に転向した未麻だったが、早々に上手く行くはずもなく、舞い込んできた仕事はドラマ『ダブルバインド』の端役で、台詞は一言のみ。事務所の社長・田所の後押しもあり、脚本家の渋谷は、未麻に「ストリップ劇場の舞台で客からレイプされる」という過激なシーンを提案してくる。嫌々ながらも女優として成功する為だと、未麻は体を張ったシーンの撮影を乗り越える。やがて、未麻にはヘアヌード写真の撮影として、業界で“脱がし専門”と評されるカメラマンの村野からの過激なオファーも舞い込み、これに応えていく。しかし、過酷な仕事の日々に、未麻の心は確実に摩耗していった。

ある日、未麻はマネージャーの日高ルミの手伝いもあり、パソコンを購入してファンレターにあった自身のファンサイト『未麻の部屋』に辿り着く。そこには、まるでもう1人の自分でも居るかのように、未麻の性格から日々の生活までが日記の網羅されていた。恐怖に怯えながらも、未麻は日々更新されていく日記の内容を確認せずにはいられなくなっていく。

未麻は今の自分が本来望んだ姿なのか疑問を抱き始め、アイドルとしての理想の自分の姿を幻や夢に見るようになる。やがて、未麻の周囲では渋谷や村野といった過激な仕事をオファーした人物が次々と何者かに殺害されるという事件が起きていく。

【感想】
今監督の作品は、『パプリカ』(2006)を鑑賞済み。
監督のネームバリューや評価の高さから鑑賞したが、まさかこんなにも正統派なサスペンスだとは思わず(『パプリカ』のような超展開、『マルホランド・ドライブ』(2001)のような夢と現実の狭間で狂気に呑み込まれてゆく物語を想像していた)、思わぬ傑作との出会いに驚いた。鑑賞後、情報を整理して伏線となる箇所を確認したくなり、すぐさま2回目の鑑賞に手が伸びた。

また、物語の真相がクライマックスまで分からず、常に観客の予想を上回っていくのが素晴らしい。鏡やガラスを用いた夢と現実の対比が見事で、時に幻想を、時に真実を写し出す演出は、アニメーションならではの特性をフルに活かしている。現在から過去回想、夢や現実かと思えばドラマの撮影シーンといった、“何が現実なのか分からなくなる”シーンの繋ぎ方の上手さも特徴的。それがまた、観客に物語の真相を最後まで掴ませない効果を発揮している。妄想に取り憑かれたストーカーによる犯行、未麻の多重人格、夢オチ。あらゆる可能性が頭を過っては、それらが次々と覆されていく。しかし、全ての真相を知ってからなら、最初から全てが日高ルミの犯行(迷惑ファンをトラックで撥ねて重傷を負わせたのは、ルミが操ったストーカーの内田)によるものであり、ヒントは全て提示されているというフェアな作りだと分かる。原案があるとはいえ、非常に緻密で完成度の高い脚本だ。

散りばめられた細やかな伏線の数々を確認していく2回目の鑑賞もまた楽しい。
・冒頭のルミによる「未麻が可哀想」という台詞から既に、本物の未麻ではなく、かつての自分自身と未麻を重ね合わせて作り出した、理想の未麻が崩される事への抵抗だと分かる。それによって、あの台詞は「未麻の幻想に浸る私が可哀想」と聞こえてくるから恐ろしい。
・女優業への転向を告げたラストライブの帰り、ファンからの「いつも未麻の部屋見てるからね〜」という台詞が、後にストーカー視点の台詞ではなく、ルミが運営するファンサイトだと分かる仕掛け。
・未麻のストリップシーンの撮影時に、タバコの火が落ちるのも気にせず、鋭い形相で撮影風景を見つめるルミ。苦しむ未麻の姿に耐えかねて、涙を流して現場を去るのも、自らの中にある理想の未麻が穢されていく事に耐えられなかったから。
・『ダブルバインド』の最終回の撮影風景で、ドラマの結末が“未麻の演じた高倉陽子は、トップモデルの姉を殺して、自分が高倉りかとなる事で成り代わる事で救われた”というのは、ルミが未麻に成り代わろうとした事と重なっている。
・田所が未麻の次の仕事として過激なシーンのあるビデオ映画の主演を持ってきた事を知った瞬間、彼の殺害を決意した笑顔。

未麻役の岩男潤子さんの熱演が光る。幻想として現れる理想の自分、そんな自分の姿に次第に追い詰められていく未麻の姿の演じ分けが良い。アイドルとしてキラキラと輝いている未麻の姿には、常に何処かにルミの狂気が宿っているかのようで不気味さも放っている。

【アイドルという“偶像”に幻想を抱き過ぎる事の危うさ】
ラストで明かされる、一連の事件の真犯人が“理想のアイドルである未麻”を追い求めたルミの犯行であるという真実。ルミの狂気を見事に演じ切った松本梨香さんの熱演に拍手。

かつて自分も売れないアイドルとして活動し、そこからアイドルのマネージャーという立場になった彼女にとって、未麻はある種の“母親が叶わなかった自分の夢を子供で果たそうとする”という、心理学の「自己投影」の亜種と言える。ルミの場合は、未麻を追い詰めて殺害する事で、自らの期待を裏切った未麻への復讐と自らの幻想を守り、自分が理想の霧越未麻になろうとした。

アイドルとは観客に夢を与える仕事である。しかし、舞台を降りれば、そこに居るのは紛れもない1人の人間であり、それぞれの意思がある。「アイドルはファンや周囲の幻想・理想に準じるべし」という行き過ぎたファン心理は、1人の人間の人格と人権を無視した身勝手な思想である。ましてや、そこに“果たせなかった自分の夢を重ねる”というのは、狂気以外の何物でもない。

【総評】
夢と現実の境を曖昧にし、芸能界の過酷さ、夢を追う事の過酷さとそこで生きる者に向けられる行き過ぎたファン心理を描いた本作は、一級のサスペンス・スリラーとして強烈な印象を与えてくれた。

唯一気になるのが、未麻や一部俳優以外のキャラクター以外の目と目の間の間隔が異様に開いたデザイン。あれは、美醜の区別なのだろうか。ストーカーの内田含め、ファンや周囲の人々のデザインに「アイドルオタクって、ストーカーってこんなものだよね」という悪意を感じるのは、当時の時代性故だろうか。

緋里阿 純
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