「どこまでも今村監督のうすら笑い」人間蒸発 La Stradaさんの映画レビュー(感想・評価)
どこまでも今村監督のうすら笑い
【人間蒸発】(1967)アルテリッカ新百合2025
そう言えば僕の子供の頃、生活の中から突如姿を消した(蒸発)人物を探してTV画面から「帰って来てくれ~」などと呼びかける番組がよくありました。本作は、姿を消した男の婚約者と共に今村昌平監督が、行方を探るドキュメンタリー・・・の様な映画でした。
でも、一筋縄では行きません。人探しのドキュメンタリーで始まったのは本当でしょう。しかし、どこからか明らかにドラマ性を帯びて来るのです。
「このカメラ位置はドキュメンタリーとしては不自然だな」
「この人、ちょっと芝居じみていないか」
などの疑問符が一つ二つと浮いて来ます。今でいうモキュメンタリー(ドキュメンタリーの形を取ったフィクション)の走りなのかなという思いが過ります。そして、最後には今村監督自らが「これはフィクションだ」と叫び始めるのでした。でも、全部がフィクションという訳ではなさそうだ。と言って、何処までが真実で、何処までが計算で、何処までが偶然或いはヤケクソなのかもわからない。
考えれば考える程、監督の術中にはまっている気がして悔しくなるのでした。
また本作には、この時代のワイドショーやTVのカメラの傲慢さがしっかり捉えられていました。カメラの持つ特権性に胡坐をかいて、カメラを向けられたら答えるのが当然だろうという姿勢すら窺えるあの姿勢。犯罪者が逮捕されて連行される時に、「おい、被害者家族に申し訳ないと思わないのか、謝罪はないのか」と罵声を浴びせるジャーナリストの放つあの傲慢さです。時代性なのかな。いや、もしかしてそれも監督の計算だったのかな。
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