劇場公開日 1967年6月25日

人間蒸発のレビュー・感想・評価

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どこまでも今村監督のうすら笑い

2025年5月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

【人間蒸発】(1967)アルテリッカ新百合2025

 そう言えば僕の子供の頃、生活の中から突如姿を消した(蒸発)人物を探してTV画面から「帰って来てくれ~」などと呼びかける番組がよくありました。本作は、姿を消した男の婚約者と共に今村昌平監督が、行方を探るドキュメンタリー・・・の様な映画でした。

 でも、一筋縄では行きません。人探しのドキュメンタリーで始まったのは本当でしょう。しかし、どこからか明らかにドラマ性を帯びて来るのです。

 「このカメラ位置はドキュメンタリーとしては不自然だな」
 「この人、ちょっと芝居じみていないか」

などの疑問符が一つ二つと浮いて来ます。今でいうモキュメンタリー(ドキュメンタリーの形を取ったフィクション)の走りなのかなという思いが過ります。そして、最後には今村監督自らが「これはフィクションだ」と叫び始めるのでした。でも、全部がフィクションという訳ではなさそうだ。と言って、何処までが真実で、何処までが計算で、何処までが偶然或いはヤケクソなのかもわからない。

 考えれば考える程、監督の術中にはまっている気がして悔しくなるのでした。

 また本作には、この時代のワイドショーやTVのカメラの傲慢さがしっかり捉えられていました。カメラの持つ特権性に胡坐をかいて、カメラを向けられたら答えるのが当然だろうという姿勢すら窺えるあの姿勢。犯罪者が逮捕されて連行される時に、「おい、被害者家族に申し訳ないと思わないのか、謝罪はないのか」と罵声を浴びせるジャーナリストの放つあの傲慢さです。時代性なのかな。いや、もしかしてそれも監督の計算だったのかな。

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La Strada

3.0半世紀前のリアリティショー

2023年1月27日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

リアリズムの行き着くところ
リアリズムそのものはドキュメンタリーだ
現実そのものを撮影するのだから当たり前だ

ドキュメンタリーであっても、何を撮りたいのか、何を映画として伝えたいのか、一応の撮影計画はある
素材を撮り溜め、その計画に沿って再構成して編集していく

ところが、こうした方が面白いからと演出を加え始める
いつの間にか当初のドキュメンタリーとは別物の映画が出来上がっていってしまう

そのとき、それはリアリティショーとどこが違うのだろうか?
リアリティショーは、設定も登場人物もすべて架空であることを、演じる側、観る側も了解の上でリアルタイムで進行していく
シナリオは一応あるが、役者が感情移入する度合いが通常のドラマより高い
なぜならぶつ切りでカットを積み重ねてパッチワークされていく撮影手法でなく、役者がシナリオを知らされず、自身の対応のみ指示されてリアルタイムで進行するからだ

本作はそれに似ている
ある男性の人間蒸発を追うリアリティショーというのが現代的な解釈だろう

実在の人物が、実際のことを、その現場で、感じるたこと、思ったこと、聞かされとことの反応をそのまま写す
リアリズムの行き着くところはここだ

究極のリアリズムの映画
この内容を普通の映画に仕立てなおして、シナリオを起こし、俳優を配役し、ロケをして撮影していく
リアリズムを徹底した映画を撮ろうとしたところで本作のリアリズムには勝てる訳がない
当たり前だ、本作は現実なのだから

でも本作はドキュメンタリーなのか?
やっぱりそうではない
フィクションなのか?
それも違う
極めて危うい領域にある映画だ

ステマという言葉がある
スティルスマーケティング
第三者のレビューのようで実は提灯持ちの広告のこと

これにも似ている
本作にある物語は事実だ
語られことも、発露される感情も、顔に浮かぶ表情も真実だ
しかし本当の真実なのだろうか?

「真実とは何でしょうか?」
終盤で登場人物がこの台詞を語る

現実の部屋のようで実はスタジオの中のセットなのだと映像で見せて、今村監督自身がこれはフィクションなのですと宣言して、撮影風景までみせる
まるで手品の種明かしのように

つまりリアリズムの映画を撮るといくら徹底しようとしても、そんなことは限界があるのだ
本当らしく工夫したというだけに過ぎない

ならば究極のリアリズムを追求してみようじゃないか
一体どのようになってしまうのか?
それをやってみせようじやないか
それが本作の正体だろう

本作の最後は、現実の人間たちが、現実のことについて、現実にトゲトゲしく言い争うのだ
これは現実の感情だ
フィクションなんかじゃない

監督自身がいくらこれはフィクションですと言い張っても現実の感情なのだ

人間を弄んでしまったのだ

21世紀のリアリティショーでは自殺者を出してしまった

半世紀前の本作でも制御不能になり、今村監督の困惑する表情がフィルムに残されて終わるのだ

今村監督は結局、人間を虫けらのように弄んでしまったのだ
それが結論だ
「にっぼん昆虫記」のときの姿勢と共通した態度であったのだ

頭きちゃった
映画の中である人物がそういう

映画は終わった
でも現実は終わらない

そのような言葉で本作は終わるのだ
人間は虫けらではないのだ
感情をもち、自己をもつのだ

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あき240

3.5周囲に与える印象

2021年9月26日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

新宿映画祭の今村昌平ノ世界で見逃したこの作品をやっと観た。

蒸発した夫を妻が探す設定のモキュメンタリー。
洗いざらい調べるうちに、妻も知り得ない夫の人間像が浮き出てくる。
そんな人間のドロってした部分が見え隠れして面白かった。
生かすも殺すも周囲に与える印象次第かもしれない。

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パプリカ

5.0フィクションではない

2016年10月5日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

怖い

興奮

婚約者に蒸発された女性が、今村昌平監督と男を探すことになり、この過程を映画にする。
複雑な人間関係は、蒸発した婚約者の人となりを明らかにするのに時間がかかる。
途中でリポーター役の露口茂に女性が恋をしてしまう、なんてとんでもない展開が待ち受けている。
こんな映画は二度と作れないのでは。

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いやよセブン