「本作の英語題はA Chain of Islandsです そこに着目して頂きたいと思います 日本列島と書いて、鎖の列島と読め そういう監督からのメッセージなのだと思います」日本列島 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
本作の英語題はA Chain of Islandsです そこに着目して頂きたいと思います 日本列島と書いて、鎖の列島と読め そういう監督からのメッセージなのだと思います
本作は1965年の公開
監督は熊井啓
さすが超重量級の見応えです
同名の原作小説は1963年の刊行
原作者は共産党系の原水爆禁止世界大会事務局、「世田谷・九条の会」呼びかけ人であった吉原公一郎
それで本作の立ち位置や、どのようなメッセージを発する作品なのかはもう読まなくとも分かるはずです
物語は1959年秋から1963年にかけてのお話
福生基地とおぼしき在日米軍基地で、米軍MP(憲兵隊)の刑事部門の主任通訳官として働く秋山という元高校教師が主人公
米軍基地内のシーンはもちろん、米国人との会話シーンが多く日本映画なのに字幕が多用されます
彼がある米軍捜査官の不審死の再捜査を指示されることから物語が始まります
熊井監督のデビュー作の「帝銀事件死刑囚」のテーマを更に発展させたような内容です
東西冷戦がキューバ危機によって核戦争寸前の中で、日本は1952年に米国の占領が終わり、主権を回復しているにも関わらず、米国の占領が解けていないかのように、頭上には爆音をあげて米軍機が飛び交い、米軍の秘密機関はアジアにおける偽札や麻薬などの謀略の根拠地として利用している
しかもその手先を旧日本軍の秘密情報部であった陸軍中野学校出身者がしているのだ
彼らは邪魔になった人間は謀略で自殺に見せかけて殺人を繰り返し、日本の司直の力は及ばない
日本政府は米国には刃向かえず言いなりになったままである
これが本作のいいたい事です
綿密に取材されており、大きなところではほぼ本作の通りの事があったであろうと思います
ラストシーンは国会議事堂が大きく写り込み、父を米軍の秘密機関に殺された若く美しい女性が慟哭するのです
本作を観た大衆に米国への怒りを沸騰させ、60年安保闘争の時のように、その怒りを国会にぶつけようではないか
そういうメッセージです
本作公開はモスクワ国際映画祭のコンペティションに参加作品です
それ故に英語題名がつけられています
本作の英語題はA Chain of Islandsです
そこに着目して頂きたいと思います
普通ならthe Japanese Archipelagoと書くところです
なのにJapanese Islandsでも、islands of Japanでもありません
A Chain of Islandsと書けば、単に列島の意味だけであり、日本という場所の意味が消えてしまいます
本当の意味は、鎖の列島という意味なのだと思います
鎖のように連なったではなく、鎖につながれた島々という意味を込めてあるのだと思います
日本列島と書いて、鎖の列島と読め
そういう監督からのメッセージなのだと思います
米国への隷属を止めよ!
それが題名の「日本列島」という意味なのでしょう
そして主権を回復したといっても、小笠原諸島、沖縄、北方領土は、本作公開当時はそのどれも返還されていなかったのです
サンフランシスコ平和条約は、これらを積み残した主権回復であるとも揶揄しているのです
だから本作はモスクワ国際映画祭コンペティション参加作品なのです
しかし、2022年に観るとどうでしょう
なにか製作時の意図とは全く違うメッセージを放っているのです
大いなる皮肉になっているのです
21世紀の私達は知っています
米国だけが卑劣だったのではないことを
ソ連も、中国も、北朝鮮も
平和勢力とその当時はされていた共産圏も卑劣であったこと
五十歩百歩、目くそ鼻くそであったことを
米国だけを悪者扱いにしていた姿勢は、結局のところ東側に利用されていたのだ、日本を東側にひきこもうという政治工作に過ぎなかったことを知っているのです
東西冷戦の狭間のなかで、米国は日本政府を利用し、東側は左翼勢力を利用していただけのことです
どちらも日本人を手先に利用して、水面下で代理戦争をしていたに過ぎなかったのです
ウクライナへのロシア軍の侵略戦争
北朝鮮のミサイル発射
中国の尖閣諸島への終わりのない領海侵犯
今現実にこのような情勢におかれていれば、
いかにお花畑で空想的な平和主義でいても目が覚めるというものです
共産党ですら、党の綱領で違憲であり解消すべき存在であると長年攻撃してきた自衛隊を、日本が侵略をうけたなら活用すると言い出しているのです
今年は1952年の主権回復から70周年の年
4月28日がその記念日です
なのに何の式典すら行われないようです
A Chain of Islands
日本列島はまだ鎖につながれたままではないでしょうか?
それも自分から鎖を外そうとしていないのではないでしょうか?
鎖を外す時がきたように思います
それは本作のように米国から離れるためにではなく、自由と民主主義の陣営の中で一人立ちする時がきたという意味です
米国の庇護下に日本を隷属化させてきた鎖とは、一体なにか?
それは平和憲法だと思います
基地問題、日米地位協定の不平等問題もそこが問題の根源なのです
しかし鎖を切り米国の庇護下からはなれ、12歳の子供から大人になれば、自ずと義務と責任が伴います
日本国民にその覚悟があるのか?
そのようなメッセージを発しているように思えてくるのです