「21世紀の日本でもこの対立構造は全く変わりありません 今こそ本作のリメイクを観てみたいものです」日本の悲劇(1953) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
21世紀の日本でもこの対立構造は全く変わりありません 今こそ本作のリメイクを観てみたいものです
号泣しました
木下惠介監督の社会派の一面を知る映画です
しかしそうであっても監督の温かいヒューマニズムの立場は揺るがず、人はどうあるべきなのかを考えさせてくれます
この母と子の物語も一ツの挿話である
しかも
我々の身近に起こるこの悲劇の芽生えは
今後いよいよ日本全土におひ繁ってゆくかも知れない
タイトルバックのあとの字幕で示される監督の予言は21世紀の今日までも見通した鋭いものです
冒頭や本編に、終戦から1953年の本作公開までの8年間に起こった様々な事柄や世相の当時の新聞記事やニュース映像が時折短く挿入されます
本編には一切の劇伴という音楽が排除されています
その代わり町の様々な騒音がほんの少し大きめに録音されており、登場人物達の会話の背景にずっと聞こええきます
このような手法で私達観客は終戦からの8年間という年月を追体験して、本当にその年月を過ごしてきたかのような錯覚を起こさせるのです
特に21世紀に生きる若い私達には、断片的な記録でしか知らない当時の事件や世相が、当時の資料の視点で時系列に並べられた時、そしてこの一家の終戦から劇中の1953年の現時点までの苦難に満ちた生活とリンクされて語られる時、それらはバラバラのことではなく、一連の流れとして、近現代の「歴史」のことではなく、実際にあったこと、今の日本がこうなった始まりがどうであったのかという現実を教えてくれます
この手法は戦後75年を経過して、当時が遠い過去になった21世紀の現代にこそ、おそらく監督が意図した以上の効果を発揮しているといえるでしょう
主人公の春子は今風に言えばシングルマザーです
戦災で亭主を失い女手一つで二人の子供を育て上げた女性です
戦後の混乱期の8年もの間、そして現在も大変な苦労を堪え忍んで生き延びてきたのです
その為には綺麗ごとだけでは生きて来れ無かったことも描かれます
その彼女を立派な女性だとみるのか、子供達のように蔑むのか、それは彼女をどう見るのか、その視線の向け方次第なのです
主演の望月優子は特筆すべき名演です
中盤のお座敷で芸者さんから借りて三味線を弾くシーンと続く流しのギターで泣くシーンは長く心に残るものです
晴子が住み込み女中として働く熱海
母を捨てて戦争で跡継ぎを失った裕福な開業医に養子に入ろうとする息子が住む東京
この熱海と東京の間を晴子は行き来します
この対比構造は
二人の子供を育てあげる為の現実の厳しさの象徴としての熱海
子供達の理想、あって欲しい姿としての東京
客に体を任せて得た闇屋のつて、旅館の女中とは言っても今風にいえばコンパニオンと大して変わらない実態
闇物資で食いつながざるを得ない現実社会
闇屋の春子を糾弾する女子小学生と闇物資を拒絶して餓死した大学教授の話
個人主義で親子すらバラバラになっていく社会
新し日本を説く小学校の先生や、社会主義を声高に叫んでいる左派社会党や騒乱する学生達
警察予備隊から自衛隊の結成と再軍備に進む日本
平和憲法を守れと声高に叫ぶ社会党の選挙候補
一方、姉の歌子は洋裁と英語を習っています
洋裁の仕事で今のお金で400万円近い貯金もしています
こんな母ではろくな縁談が来ないと嘆く女性
女性独りでも生きていけるスキルを身につける生き方
少女の頃に親戚の息子に暴行されてもうお嫁にいけないと諦めてしまっている古風な心情と
愛してもいない20歳近い年齢差の男に身を任せて逃げる捨て鉢の心情
様々な対立構造を監督は提示するのです
日本人の代表として春子はこの対立に引き裂かれて、その間の湯河原駅で途中下車していまいます
その行方は更に堕ちて行く道だと気が着いた時、彼女はこの対立に終止符を打つしかなかったのです
その結末は挿入されていた新聞記事のいくつかの紙面が伏線になっているのです
ラストシーンが二人の若い男性の優しい言葉の会話で終わることだけが救いです
流しの男が奏でる湯の町エレジーが心に染みます
21世紀の日本でもこの対立構造は全く変わりありません
今こそ本作のリメイクを観てみたいものです