アメリカン・ビューティーのレビュー・感想・評価
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ありふれた男が忘れてしまった「ありふれた幸せ」。
○作品全体
ありふれた郊外の住宅街の、ありふれた通りにある、ありふれた家に住む主人公・レスター。
平凡で退屈な「生きながら死んでいる」生活を過ごす、ごくありふれた悲しき中年男性だ。家族に嫌われ会社に嫌われ、人生に行き詰まりを感じているところに娘の友人・アンジェラが現れて、世界が鮮やかになっていく…という物語なのだが、娘の友人に惹かれる父の姿は、最高に気持ち悪い。さらに言えばアンジェラの人間性を知って惹かれるならまだしも、外見に一目ぼれして、脳内で理想のアンジェラを作ったうえで夢中になっている。思春期男子ならまだしも、中年男性がやると凄くキモい。
ただ、そうでもしないと世界を変えることができない中年男性の悲哀がそこにはあって、アンジェラと出会ったことで思うがままに振る舞い始めたレスターの影に「未来を捨てた自暴自棄」という言葉がちらついてしまう。そしてその自暴自棄は「妻や子との幸せ」という過去をも捨て去ってしまうところに、鬱憤を晴らすカタルシスだけではない、ほろ苦さがある。
アンジェラが自分の思い描いた女性でないことを知って目が醒めるレスター。アンジェラから幸せかと問われ、幸せだと答える。アンジェラが理想の女性ではなく、娘から恨まれ、妻は不倫している状況のどこが幸せなのだろうか。それはきっと妻がいて、娘がいて、みんなで笑いあえた「ありふれた毎日」という幸せを再認識したからだろう。作中でアンジェラと出会ったときの感情を「長く眠っていて目が醒めたよう」とレスターがモノローグで語る。アンジェラとの出会いは、レスターの中に埋もれてしまっていた幸せに気づかせるきっかけであり、幻想的な幸せから醒めたとき、手のひらにあった幸せに気づいたのだと思う。
しかしそれに気づいたときにはすでに遅く、手のひらにある幸せに気づけず、息子を傷つけたフランクによって撃たれてしまう。物語の最後はレスターの抽象的なモノローグで幕を閉じるが、「いずれ気づく」と話すレスターが伝えたかったことは、要するに身近にある幸せなのだと感じた。
ただ、身近にある幸せを一度忘れてしまうと再認識することはとても難しい。再認識できたとしても、その喜びを身近な人たちに伝えることはさらに難しかったりする。しかしそこで足踏みをしてしまうと、レスターやレスターの妻のように後悔することになってしまう。そんな警鐘が印象に残る作品だった。
〇カメラワークとか
・妄想シーンの大量のバラを使った演出は、同じくサム・メンデス監督の『ジャーヘッド』の砂に通ずるものがあった。あっちも悪夢で大量の砂を吐き出す、というシーンがあった。
・デジタルカメラ越しの映像の使い方が良かった。映画用の高性能なカメラと違って、すこしチープな感じがするズームとか手ブレ。リッキーの部屋からレスターの家を隠し撮るシーンとか「生っぽさ」が巧く出てた。
・ファーストカットとラストカットが同一。レスターが死ぬことを早い段階で明示して、「いつその瞬間がくるのか」「誰がを殺すのか」を常時念頭に置かせ、その種明かしをするという構成のフックとしても使われてた。
〇その他
・人間関係の構図の作り方が上手だなと思った。例えばアンジェラは人とは違う「特別な人」であることにこだわる一方で、他の男子は違うリッキーを嫌悪する。実はアンジェラは口だけの「特別な人」だったことが明かされることで、ホンモノへの嫉妬心とか嫌悪感だったんだとわかる。
外見に悩むレスターの娘・ジェーンにとっての最高の薬が「撮られること」というのも面白かった。リッキーとジェーンが親交を深めるシーンに時間が割けない分、ジェーンがリッキーに惹かれる理由を端的に、強烈に描いていた。
・風に舞うビニール袋というモチーフが良かった。「中身が空」とか「周りに振り回される」とかっていろんなモチーフがあるけど、着眼点が面白い。ごくありふれたもので、デザイン性がなくて、チープなものほど心に刺さるときってあるなあ、と思った。
・「身近にある幸せ」っていうテーマ。大切さに気付く場面の作り方次第で安っぽく見えるときもあるから、定番だけどすごく難しい題材だと思う。本作も幸せだと話すレスターの表情とか画面の雰囲気はすごく良いけど、幸せだったころの回想を映しちゃうのは映さなくてもわかるものを映しちゃってるな、みたいな感じがした。
・ラスト、レスターが撃たれて妻が泣き崩れるところの芝居が良かった。クローゼットにあるレスターの服を握りしめるっていう芝居。短いカットだけど印象に残る。
Because the world is round it turns me on. アリスが導くのは、真実の「美」に通じる不思議の国か!?
娘の友人に恋をした中年男の暴走と彼の周りを取り囲む人々の異常性を通して、この世界に満ちる「美」の正体を解き明かしてゆくサスペンス・コメディ。
監督は、当時舞台演出などを手掛けていたサム・メンデス,CBE。本作は彼の映画監督デビュー作であり、この作品によりオスカーを受賞した。
主人公である冴えない中年男、レスター・バーナムを演じるのは『ユージュアル・サスペクツ』『セブン』の、オスカー俳優ケヴィン・スペイシー。本作でオスカーの主演男優賞を受賞した。
👑受賞歴👑
第72回 アカデミー賞…作品賞/撮影賞/脚本賞/監督賞/主演男優賞!✨✨✨✨
第57回 ゴールデングローブ賞…脚本賞/作品賞(ドラマ部門)/監督賞!✨✨
第24回 トロント国際映画祭…ピープルズ・チョイス・アワード!
第5回 放送映画批評家協会賞…作品賞/オリジナル脚本賞!✨
第53回 英国アカデミー賞…作品賞!
な…なんじゃあこりゃああ!!!
いや、凄い映画を観てしまった。何考えてんだこれ!?
アカデミー賞で5部門を受賞している事でもわかるように、映画史に残る名作にして話題作。大ヒットもしたようです。
しかしその内容は非常に難解。いや、物語自体はとてもわかりやすいのだが、一体この映画が何を問い掛けたいのか、そして何を伝えたいのかが物凄く抽象的。こういう事なのか…?というぼんやりとしたものしか見えてこない。
喧しいほどの混沌と性的倒錯で観客を煙に巻き、そのままの勢いでどこか遠くへと走り去っていくような映画であり、そのパワフルさに圧倒され、なおかつ頭を渦巻く「?」の嵐に鑑賞後しばらく考え込まされてしまった。
娘の友人に性的な感情を抱いたレスター。どんどんその妄想が膨らんでゆき、彼の世界は良くも悪くも変質してゆく。
本作はウラジーミル・ナボコフの小説「ロリータ」(1955)に代表される、いわゆるロリコンものである。映画全体を覆う文学的な雰囲気と主人公の変態性が相まって、まるで谷崎潤一郎の作品を読んでいるかのよう。彼の作品の愛読者には喜ばれるのではないだろうか。
とにかく掴みどころのない作品であるが、考えようによってはロリコン文学の金字塔「不思議の国のアリス」(1865)の変形であると捉える事が出来るかもしれない。
主人公のレスターは作者のルイス・キャロル。セクシーな少女アンジェラはアリスかつ白ウサギの役割を担っており、彼を不思議の国へと迷い込ませる。妻キャロラインがバラの剪定をしているのも、ハートの女王をイメージしてのことなのかも知れない。
アルジェラに導かれ不思議の国を彷徨うレスター。しかし、この物語が「不思議の国のアリス」である以上、最後には目覚めなければならない。彼が死の間際に見る走馬灯は、現実の世界への帰還を示していると言うのは牽強付会に過ぎるのだろうか。
タイトルである「アメリカン・ビューティー」とは、バラの品種の名前である。映画とバラといえば、『市民ケーン』(1941)の名台詞「バラのつぼみ…」を思い浮かべる人も多いだろう。この「バラのつぼみ」の意味に関してはさまざまな考察が存在するが、実はこれケーンのモデルとなった新聞王ハーストの愛人、マリオン・デイヴィスの陰核を意味しているのだ、という説があるのが面白いところ。
レスターの妄想の中に度々現れるバラだが、これが自分よりも遥かに若い少女へ抱く愛欲のメタファーであることは明らか。若さを失ったキャロラインがバラをチョキチョキと切っているのも、この2人の対比を狙ってのことなのだろう。
そしてもう一つ、この「アメリカン・ビューティー」は、この作品のテーマでもある「遍在する美」のことも表している。このタイトルはダブルミーニングになっているのですね。
果たして「美」とは一体何なのか?というのが、本作が2時間をかけて描いている事。レスターを殺したのは誰かとか、そういうことは脇の脇。まるで重要ではない訳です。
「美」とは○○だ!と断定されていないので、この答えについては観客一人一人が考えなければならない。ただ一つ言えるのは、本作の登場人物は皆が皆、それぞれの幻影を追いかけているということ。レスターはアンジェラの執心しており、キャロラインはセールスマンとしての成功に取り憑かれている。アンジェラは自分が特別な存在だという妄想を抱き、隣人であるフランクはゲイである自分を隠し、「強く正しい父親」を演じ切っている。
唯一の例外はリッキー。彼が空を舞うゴミ袋を見ていて悟ったのは、「美」とはあるがままそこに存在しているのだということ。エリオット・スミスによる「Because 」のカバーが本作のエンディングテーマだが、ビートルズに引っ掛けて述べるのならば「美」とは「Here, There and Everywhere」なのだ。
アンジェラが処女であると知り、彼の中の幻想が一気に崩れ落ちたレスター。そこで彼が見出したのは、偽らざるものの持つ本物の「美」。それを最後に理解したからこそ、彼は表情穏やかに最後の時を迎える事ができたのだろうし、リッキーが彼に静かに微笑みかけたのもその遺体に宿った「美」に感動したからなのだろう。
前述したように、本作は殺人犯が誰かを探し出すミステリーではない。レスターを殺すのは誰でも良いのだし、もっといえば誰でなくても良いのである。
だからこそ、最後の最後で返り血を浴びたフランクを映し出したのにはちょっとがっかり。流石に犯人をはっきりさせておかないとマズイと思いこのシーンを入れたのだろうが、そこは最後までボヤかしておいて、観客の想像に任せるというオープンエンドにしておいて欲しかったところ。もしもそういうエンディングだったらもうこの映画言う事無しだったのだが…。
哲学的かつ文学的な内容だが、ジャンルとしてはこれ多分コメディ。あまりにもめちゃくちゃすぎて、ところどころ普通に爆笑してしまった🤣
味わいとしては森田芳光監督作品『家族ゲーム』(1983)に近い。要するにめちゃくちゃ面白い映画だという事です!
アカデミー賞を席巻したのも納得の大名作。これは観る価値しかない!!
…レスターの娘のジェーン。豊胸手術のためにお金を貯めていたようだが、その必要は全くないぞ。おっぱいデカ過ぎっ!!
着痩せするタイプだから、サム・メンデスも彼女のおっぱいを過小評価していたのかも知れない。
※ところどころめちゃくちゃ『ファイト・クラブ』(1999)っぽい。会社辞めるところとか凄い既視感。
『ファイト・クラブ』ってこの映画から影響を受けて作られたんだなー…なんて思っていたのだが、あとで調べてみてびっくり。この2作って同年同月の公開じゃん!!
1999年10月、ミレニアムまであと2ヶ月。世紀末には魔物が住まうのです。いや本当この2作が同級生って、つくづく1999年って凄い時代だったんだなぁ…。
変人さん大集合
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ケビンが娘の友人に恋をする。
それを嫌った娘は、写真が趣味の変態男(誤解)と家出。
変態男(誤解)の父は変態で、ケビンに恋愛感情を持つ。
でついにケビンは娘の友人と体の関係を持つ直前まで至る。
でもその子に異性体験がないと分かるとやめてしまう。
その直後に変態男(誤解)の父に射殺される。
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アメリカ映画らしく、ろくな奴が出ない(場)
人間みんな変な一面も一途な一面も表裏一体で併せ持つってことかな。
おそらく深いメッセージが隠されていたんだろうが、分からなかった。
嫁はそのへんがちゃんと理解でき、めっちゃおもろかったとのこと。
『アメリカン・アグリー』と改めた方が無難だろうね。
1999年、つまり、20世紀世紀末の出鱈目な話し。めちゃくちゃに古い価値観の中で漂って、悪夢にうなされるアメリカといった所だろう。言うまでもなく、約3年後の2001年9月11日に古い価値観に漂うアメリカが。
さて、この演出家はその予感を感じていたのだろうか?そうとは思えない。
誰が誰に対して語っているのか?全く理解出来ない。何で最後に、ショットされたジョン・レノンの『ビコーズ』なんだ?
もう一度鑑賞して確認したいところだが、私には時間がない。
どうでも良いが、銃声が5発って、誰を?
訳が分からない。
『アメリカン,アグリー』と改めた方が無難だろうね。たまたま、偶然にそうなってしまったが、アメリカの醜態は当時から醜態を極めていたように記憶する。但し、9月11日以降それが改まったどうかは分からない。しかし、この映画の影響でアメリカが態度を悔い改めた気配は全く無い。それが証拠にこの映画はもうすぐ、配信がストップする。つまり、興行的には何一つ良い所が無いのだろう。そこだけを評価する。
こんな回りくどい言い方しなくとも、まともに回っている国はたくさんあると思うが。
素晴らしかった
隣のおじさんが息子を理解するためにゲイを毛嫌いしているのに主人公に迫るのがつらい。しかも拒否されて面白い。それは射殺もしたくなるだろう。
いい女風を吹かせていると、そんな存在になってしまうゾーラ・バーチの友達が実は全く性体験がないのがつらい。
主人公がよかった時期を思い出して写真をしみじみと眺めていると殺されてしまう。奥さんまで彼に殺意を抱くし、なんでそうなってしまうのだろう。公開当時は家庭もなくてあまりピンとこなかったが、今は家庭があって主人公より10も上なので心にグサグサ刺さる。今は家族が自分の支えで奥さんが浮気しても怒らないし絶対に許す。悲しくはあるけど、家庭を失うようなことはしない。子どもにも殺されないように仲良くしたい。
途中まではめっちゃイライラするけど
娘の友達にメロメロなダメ中年の主人公と、自分勝手な意識高い系感情の起伏の激しい妻が両親の娘がほんとかわいそうでイライラした。
ケビンスペイシーがまたピカイチにキモい!(褒めてます)
友達もお隣家族もみんな病んでるし。
でも、この映画の本質は一番最後!
ほんとの最後の最後で幸せとはなにか。何が幸福なのか。みんなないものねだりで隣の芝生は青くて、自分が実は幸福で満たされてるということに気づく。
それを知った死の瞬間が一番美しかった。
人生は離れてみると可笑しくて、愛おしい
一見すると平凡で何の変哲もないアメリカの住宅街、中流家庭。
その青い芝生の向こう側には様々な欲望、秘密、孤独がひしめいているというお話。最後にはある事件が起き、主人公は亡くなってしまう。
その引き金をひく些細な契機となったのは、引っ越してきたお隣さん。閑静な住宅街、並木の街道…
完全にドラマ『デスパレートな妻たち』の下敷きとなった作品である。デスパの原作者マークチェリーは同性愛を公言しているが、ゲイにとって本作の与える衝撃は小さくないだろうと想像する。
最後、主人公の心に何が起こったのか。娘の友達に欲情し、枯れた心が舞い上がってハッパにハマり、会社も辞め、女の子に気に入られるため肉体改造に励んだ。
しかしいざその時になって彼女が「実は処女なの」と打ち明けると途端に勢いを失う。一つの真実に気づいたのだ。
自信に満ちた様子で、経験豊富と自称する、完璧な容姿の若い娘でさえ、ありのままでは生きていない。弱さを抱えているのだと。
幻想を投影していた存在の内面に触れた時、男は我に返る。
綺麗に庭の手入れをする完璧な奥さんも、奔放に生きる完璧な美少女も、人々が羨む象徴だ。しかも両者ベクトルが真逆なだけで、根は全く同じ。
人目を意識して嘘を演じている。ありのままの自分に耐えられないから。
そんな自分を内心分かっているから、美少女は同族の奥さんを嫌い、自分は退屈な女だけにはなりたくないと言うが、親友の彼氏から「君はうんざりするほど平凡な女だ」と見抜かれ自暴自棄になる。
更には厳格な父親、硬派な男を絵に描いたような軍人のお隣さんが本当は…彼のコレクションのナチの皿はタブーの象徴で、真のタブーを隠すための脆い蓋だった。
「尊敬出来る父親が欲しい」と羨んでいた主人公の娘が真実に気づくのは遠くないだろう。
「庭の手入れをする妻の剪定バサミとガーデンシューズの色がピッタリ同じなのは偶然じゃない」という一節がとても気に入った。私もきっと揃えると思う…そんな実用品、ましてや家庭内のものまで見栄えを意識する虚栄心の強さにうんざりということなのだろう。
それでも主人公は最期に、そういった人の弱さに気が付き、素朴な愛情を感じたのかもしれない。
ちなみにアメリカン・ビューティーというのはバラの品種名で、人々の欲望を象徴するモチーフなのだと思う。
結末は共感できなかった!!
ケヴィン・スペイシーが主演なのが今となっては笑えますが、すぐ慣れました。安易にエロティックな方向へ走らず、あくまで自分の生活の範囲でそれぞれが何となしていくしかないという、現実的な内容なのは好感を持ちました。そして溜めた所で最後にご褒美タイムというのも良かったですが、結末は共感できませんでした。ポリコレ全盛の現在よりゲイの扱いが自然のように思います。
虚栄心を捨て去って
家族関係は冷え切っていて、仕事もリストラ寸前。しまいには娘の友人に性的興奮を感じる始末。ダメダメで情けない父親レスターだが、ある時吹っ切れて、感情を解き放ってから、生き生きし始める。
家族関係が悪化するにつれ、対照的にレスターの幸せが増していってるようで面白かった。
隣人のリッキーは盗撮したりと異常なように見えるが、ソーラは惹かれていく。初めは友人ミーナばかり注目されていて不満で、盗撮といえど自分を見てくれて嬉しかったからだと思っていた。ソーラ含め主要登場人物は皆んな虚栄心に満ちている。そのなかで、リッキーだけがありのまま純粋でいたから惹かれたのかな。
今作から、見栄張って生きているといつか爆発しちゃう。その前にありのままになってみれば本当の幸福に気づけるよというメッセージを感じた。
ケビンスペイシーは俳優として復帰はもう無理そうだけど、もったいないなぁ…
バットエンドだけど、ハッピーエンドのような爽快感はなに?
一見序盤から奔放でやりたい放題で、女子としては嫌悪感すら湧いてきそうなケビンスペイシー扮する、中流階級の”おっさん”
終盤につれて、1番常識があって、人間味が魅力的に思わせられ惹きこまれてからの。。。バットエンド…!
すっかりやられてしまった!
このプロットを考えた人は、そんな主人公をバットエンドにしたのは、メタフォリックに生かしたのではないかと矛盾した何故かハッピーエンドを観たような錯覚に陥る。
ここに、この作品の数々の賞を受賞した、エンターテイメントがあるように感じた。
感じるものは多いです!
夜遅く見始めてのめりこみました。
なんだろう、この世界観は。
上空から町を見下ろす浮遊感のあるカメラワークと、中年男性のとつとつと喋るナレーションからはじまり・・・。
登場人物は、極端なほど分かりやすいです。
話はドラマでよくありそうな題材(思春期の葛藤、不倫・浮気・セックスレス、中年の憂い、物質的追求・権威性がもたらす成功への疑問符など)なのですが。
どこか含みがあり、重厚感がある。
町山さんの映画評論を見て、一気に謎が解けました。
陰影を過剰なまでにつけた撮り方!そこに登場人物1人1人の心の闇や影を感じとって、あの幻想的な感覚や狂気を覚えたのかと。
よくある"日常性"と、相反する"違和感"に魅せられます。
確からしい答えがありそうで、解けないもどかしさ。
好きな世界観でした。
この作品のレビューは難しいです。
良さは確かに感じるのですが、それを言葉にすると今ひとつピンとこない。核心をつけず・・・。もっと表現力を磨きたいと痛感しました。
娘ジェーン(バーチ)が父親を殺して欲しいと依頼するところから始ま...
娘ジェーン(バーチ)が父親を殺して欲しいと依頼するところから始まり、レスター(スペイシー)が「1年後に死ぬ」とナレーションを入れる。家族には人生の負け犬と思われていて、いきなりリストラの憂き目に・・・
チアガールをやってる娘のセクシーな友人アンジェラ(ミーナ・スヴァーリ)に一目惚れするレスター。娘を執拗にビデオに収める隣人のリッキー(ウェス・ベントリー)。妻は不動産ブローカーをする傍ら、不動産王のケリー(ピーター・ギャラガー)との不倫に励み、射撃の趣味を持つようになる。ジェーンはリッキーと親しくなるが、リッキーの父親(クリス・クーパー)は銃マニアでネオナチで偏屈なのだ。しかもかつてゲイであった自分を責め、息子にゲイ疑惑があると激怒する。そうでなくても盗撮、麻薬、陸軍学校の放校も気に入らない。
「筋肉がついたらレスターと寝たい」とアンジェラが言ったのを盗み聞きして、筋トレを始めたり、真っ赤なバラのCGによって彼女を妄想するシーンが印象的。ジェーンはベビーシッターで貯金して豊胸手術を受けるのが夢だった・・・が、かなりボインちゃんのソーラ・バーチ。
ハンバーガーショップで働くこととなったレスターは妻の不倫を目撃。いくら見せかけの夫婦でも慰謝料を取られるのはバカらしいと考える妻。娘はリッキーに父親を殺してと頼み、隣人フィッツはレスターとリッキーの関係を疑う・・・コミカルなようで深刻でもあり、崩壊しつつある典型的なアメリカの家族をシニカルに描いていた。
最後には「誰がレスターを殺すのか?」というサスペンスめいた展開と「この世は美しい」と死の直前に走馬灯のように過去を振り返る哲学的とも言えるエンディング。音楽も70年代のサウンド中心に楽しませてくれた。
普遍的幸せなんてない
絵に描いたようなアメリカの一般的な中流家庭。物質的には恵まれていて、精神的には不満を持っているごくありふれた平凡な人生を送る人々。映像は綺麗だけど退屈だなーと思いながら見ていたら、ほんの些細なきっかけで自分の欲望をはっちゃけていく後半戦からグイグイ引き込まれた。特に父親がビッチで奔放なフリをしてるけど本当は常識的で臆病な娘の友達と一線を越えようとする下りは、なんだか泣きそうになるくらいいい話だった。世間一般が想定している幸せは、世間にとっての幸せで、そんなものに押し込められるくらいなら、歪でも、自分の幸せを求めた方がいい。抑圧されずに自分の欲望に忠実に振る舞っていれば、逆に他人を気遣う余裕も出てくるさ。そんなメッセージが感じられる面白い映画だった。
本当の「美」
この映画には様々な登場人物が出てくる。
奴隷さながらの仕事を14年続け、家庭では虐げられている男。不動産屋として働くが全く業績が上がらず、ひたすら自分の感情を押し殺す女。不仲の両親にうだつが上がらず、本当はもっと注目してほしいのに素直になれない反抗期の娘。軍人として自分や周りにも厳しすぎる男。半ば痴呆症のようになってしまった女などなど…
彼らに共通しているのは「自己抑圧」である。
この映画のテーマはそんな抑圧的なことが模範的な美であるとされている世間に対して反対意見を提示する、いわば本当の「美」を通した人間賛歌なのだ。
上記の抑圧的な人々とは対照的に現れるのが、主人公の隣人のゲイカップル。ヤクの売人をして金を稼ぎ、美しいものをビデオに収める変態高校生。
彼らの行いは非常識なのかもしれない。しかし彼らはとても幸せそうなのだ。そこにこの映画の「皮肉」が混じっている。
抑圧的だった人々も次第にタガが外れていく。不倫や違法薬物に手をつけるが、彼らはやはり幸せそうなのだ。
また自分の中の「美」を見つけることによって、「美」に寄り添うことができる。
主人公のレスターは自らを囲んでいた「美」の存在に気付き、感謝の念を抱いて死んでいく。しかしまだ本当の「美」を見つけきれずにいる者たちに対して「いつか理解できる」と言葉を残していくのだ。
さらに劇中では「美」のメタファーとして、バラや赤色が用いられている。これが意味するところが、どのような「美」なのか。考えてみるのも面白いかもしれない。
理想の父、家庭を追求してきた結果、家庭や職場に居場所がなくなってし...
理想の父、家庭を追求してきた結果、家庭や職場に居場所がなくなってしまった父親、上昇志向が強くアメリカ的成功を追い求める母親、そんな両親を信用できずに自分の人生を模索している娘の家庭を通してアメリカの美しいものは何かを問いかける映画かなと感じました。
すでに家庭は冷え切っている家族が「理想的」とされるものの追求をやめ、自分の心に正直になった時、それがマリファナ吸ったり、不倫したりとそれ自体褒められたものではないにしても、それによってどんどん生き生きしてくる過程は見ていてスッとするものがあります。
それはレスター、キャロリンの表情、言葉、態度などからも伝わってきます。
そしてレスターが死ぬ直前の見せる表情は本当に幸せを噛みしめる父親の表情を浮かべているのはとても印象的でした。
息をひきとるその一瞬に人生を回顧するレスターのセリフは「アメリカンビューティー」の意味を伝えているように思います。
彼の人生が美しいものに囲まれていたこと、そしてそれを自分自身が消化できていなかったこと。しかし最後はその「美しいもの」に囲まれていた人生に感謝できたこと。
その「美しいもの」をジェーンやキャロリンが理解できなかったとしても「いつか理解できるよ」と言うセリフの後息をひきとるのですが、それまで心を通わせることのできなかった2人への愛情がこのセリフに込められていてとても心温まるものでした。
悲劇で終わる物語を同時に心温まるものにしているとても素晴らしい映画だと思います。
傑作と名高いアメリカ映画
普遍的ではあるのだが、製作から20年近く経とうとしている今観ると少しずつ違和感が。
アンジェラが「今回が初めて」と言ったのは、それまでの積み重ねから見ても嘘としか思えなかったし(逆に私がそれまでのアンジェラの言動を信じすぎてしまっていたのか?)、そのためにレスターが一瞬で正気に戻る描写もついて行かれなかった。
また、フランクがレスターをゲイだと勘違いしていく行程はとてもユニークでコミカルだったが、その結末としてどうしてキスをしてしまったのか、どうして己を解放してしまったのか、その伏線回収が私にはもう少し必要だった。この点は、当時のアメリカ社会への皮肉のようなものも含んでいるのかもしれない。
登場人物は魅力的且つユニークで皆少しずつ"変"なところが個人的には好みだった。
アメリカの美
ものすごく皮肉った映画
内容を口頭で伝えると大抵気持ち悪がられる笑
娘の親友を好きになる父
その娘は隣家のストーカーと駆け落ちしようとする
隣家のストーカーはドラッグ使用
母親は不倫
これをアメリカンビューティーといってしまうところに深さが
私の年齢でこの映画を語るには、経験がたらない気がする
美しさとは
建前と本音、理想と現実、そのギャップにみんな苦しんでいる。けどそれってほんとに理想なのか?美しいのか?
というか美しいものってなに?
てことを投げかけてると思った。
ひとり審美眼のあるリッキーがドラッグディーラーなのは笑うとこなのかな?
美しいもの、見られるようになりたいと思った。死ぬ前に(笑)
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