「反戦」二十四の瞳(1954) 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
反戦
今年も終戦(敗戦)の日が近づいて来ました。
世界情勢も平和ボケしていられない様相です。
戦争反対を静かに訴えるこの映画を思い出しています。
1954年(昭和29年)木下恵介監督・脚本。原作・壺井栄。
香川県小豆島を舞台にした、女性教師と十二人の教え子の、
悲劇と心の触れ合いを描いた映画です。
この映画は黒澤明監督の「七人の侍」とキネマ旬報のその年のベストテンを争い、
一位に輝いたそうです。
その秘密が少し分かった気がします。
1928年(昭和3年)
大石先生(高峰秀子)は、テーラードスーツの洋装で、真新しい月賦で買った自転車に
颯爽と乗り、小豆島の岬から遠く離れた分校へ赴任してきます。
(このシーンは覚えています・・・春風のように若くて元気いっぱいの大石先生)
大石先生を迎えるのは十二人の分校の一年生。
十二人だから瞳は二十四。(これが題名の由来です)
大石先生の分校での授業はたった半年で終わってしまいます。
男の子のいたずらで仕掛けた落とし穴に落っこちた先生は、アキレス腱を断絶して、
入院してしまうのです。
そして4年後、教え子たちは本校の生徒になって、再会です。
そして卒業までの三年間。
先生と生徒の絆は深まります。
修学旅行の金比羅山。そこで写した記念写真は、なによりもかけがえのない思い出。
こんなに、お歌が多かったんですね。
まるで「歌う昭和史」
七つの子、荒城の月、浜辺の歌、金毘羅船船・・・
フルコーラスで、かなりの時間が割かれます。
特に「七つの子」は事あるごとに歌われます。この映画のメインテーマ曲ですね。
それと「仰げば尊し」・・・高峰秀子の演じるのは先生ですものね、
学校を象徴する、昔の歌で、今は殆ど歌われないですね。
そして戦争が近づいて来て、軍国主義が盛んになります。
すると軍歌が、次々と。
昭和の十年代は軍国主義一色。
「戦争に行って、死ぬな!!」と、考える先生は、
遂に学校を辞めてしまいます。
この映画、
子供たちも大石先生もポロポロ、ポロポロ泣きます。
ともかく泣く場面の多さには驚きました。
肺結核になって、死ぬ間際の教え子と、ただただ手を取り合って泣きます。
修学旅行の金比羅山で、再会した教え子の苦労を思いポロポロと泣きます。
寄り添うこと、何もできなくても、ともかく教え子が愛しくて愛しくて泣きます。
きっとこの映画の公開された昭和29年。
敗戦後9年の日本人は泣きたかったんですね。
戦死した夫を、息子を思い泣きたかった。
飢えて栄養失調で死んだ幼子を思い泣きたかった。
満洲に置き去りにした乳飲み子、
シベリア抑留から帰らぬ夫、
あのひもじかった学童疎開の記憶、
泣きたくて泣きたくて・たまらない・・
そんな時代、人々の琴線を痛いほど刺激したのではないでしょうか?
大石先生の末の女の子も飢えて、柿の木に登り、落下して亡くなりました。
気絶する大石先生・・・泣く気力もなくて崩れ落ちました。
(そして夫も戦死です)
大石先生と二十四の瞳をした教え子たちは、
苦しかった日本人、
辛かった日本人、
負けても、だからと責められる日本人・・・
みんなの代わりに泣いてくれました。
今観ると古臭いけれど、大事な映画史を飾る一本です。