「追悼・坂本スミ子さん」楢山節考 keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)
追悼・坂本スミ子さん
追悼・坂本スミ子さん、先月1月23日に逝去された、歌手が本業だった彼女の映画代表作です。
本作は1983年のカンヌ映画祭で、本命だった『戦場のメリー・クリスマス』を覆してパルムドールを受賞した作品であり、従い現地にも坂本スミ子と日下部五朗プロデューサーのみしか赴かず、予期せぬ高評価に、東映京都撮影所の名プロデューサーとして名を馳せた日下部氏自身が大いに戸惑ったようです。
また2月7日は、その日下部氏の一周忌でもあります。
改めて、お二人のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。
本作は、各地に伝わる姥捨て伝説を取り上げた深沢七郎原作の短編小説の映画化であり、嘗て木下恵介監督も映画化しています。舞台は江戸時代と思しき信州山深い貧しい寒村。その村人は、食い扶持を減らすため70歳になった冬には息子に背負われ楢山に捨てられるという因習があった。これに従い楢山行きを間近に控えた老母と、複雑な思いで彼女を見つめつつ、その日に向け一日一日を過ごす息子との葛藤を、貧しい村の猥雑で凄惨な生き様を交え、今村監督独特の生気、生きる活力と精力が漲るタッチで描かれた名作です。
今からそう遠くない時代、日本の数多の人々は、生と死のギリギリの境目を、日々必死になって摂食し只管生き切っていく苛酷で壮絶な生活環境に晒されていました。私が愛する時代劇の、風格ある美しき情景と心奥に沁み入る情感に満ちた世界の、同時代の直ぐ裏面には斯様な苛烈な世界が広がっていたのです。本作は、生と死の狭間を歩む人間像を描くという点では、「いただきます」とは「あなたの命をいただきます」が原意であることを想起させ、生きていくということの劇烈さと、それ故の崇高さを高らかに謳い上げる人間讃歌といえるでしょう。
虚飾を全て剥ぎ取った人の本源は、生と死、その生の源となる性、そして死に向かう老、重く暗くなりがちなテーマを、今村監督は、時に軽妙に、時に深刻に、しかし決して憐憫や侮蔑の視点ではなく、極めてエネルギッシュでバイオレントで、そしてエロティックなな人間性を抉り出して描き切ったと思います。
これを演じた緒形拳の懐深く、終始緊迫感に溢れた演技は流石ですが、彼以上にこの映画を引き立たせるのは、実は緒形拳より一歳年上なだけの坂本スミ子演じる“おりん”の神々しくも異様な存在感です。その聖母ともいえる透徹した諦観と悟性、最早、「老い」そして「死」からも解脱した生き様を、役と一体化して見事に体現していたと思います。
沈鬱で暗澹たる枠組みの話であり、山奥の寒村ばかりの地味で非常に狭域を舞台にした淡白な映像構成ですが、映画自体に悲惨さや陰鬱さを感じさせることはなく、今村監督らしい可笑しくて哀しい人間像が軽快に鏤められており、終始人間存在の根源を考えさせつつも素朴に愉しめる傑作です。
『仁義なき戦い』『柳生一族の陰謀』『鬼龍院花子の生涯』『極道の妻たち』『藏』等々、数多のヒット作を制作してきた日下部五朗氏にとっても、異次元の代表作といえるでしょう。