東京物語のレビュー・感想・評価
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評論通り名作でした。
好き嫌いの話ではない
娯楽性有無の目先の話でなし
映像が美しいとか、モノクロノイズが嫌だとか
何をいいたいのか、メッセージは何だったのか
そんな些細な視点で観る事しか出来ない、自称映画ファンであるなら、YOUTUBEでも観ておけ!
長らく観なきゃと思いつつ、やっといい齢を迎え視聴しました。良く出来た作品です。
もしかしたら10年前の私ではこの作品の良さに気づかないのかも知れませんね。
杉村春子センセー、流石です。
悲しくも、可笑しい
女優 司洋子さん(秋日和 出演)が“この映画は若い時はどこがいいのか分からなかったんですが歳をとると、しみじみ分かるんですよね・・・”
確かに私も若いときは、この作品に真摯に向き合ってなかったような気がします。おとぎ話のような「晩春」(←傑作ですよ)を好んでたのですが、歳をとると自分が避けていた作品を観たくなるんですよね。
まぁ、いろいろ経験していくうちに視野が広くなるんでしょうかね。
今回観て、すごい楽しめました。
小津作品の常連である中村伸郎が笠智衆の事を「お義父さん」と呼ぶだけで、すごいウケる。他作品ではお互い年齢が近いので同僚や友達の配役が普通なんです。
娘役の杉村春子も上手い。うちわを回しながらの会話やポンポンとした物言いで次は何やってくれるんだろうとワクワクします。
小津作品はローアングルと映像ばかり取り上げられますが音にも注目したいです。シリアスなシーンにポンポン船の音を入れたり、酒場でのシーンで軍艦マーチを流して、そこで話される会話が“もう戦争はコリゴリじゃ”と、しんみりした会話で異化効果を狙ったのでしょうか。
過去に何度もリメイクされて山田洋次監督も撮っています。映画ではないのですが昔NHKの銀河テレビ小説(夜ドラ)で「新東京物語」が印象に残っております。
大友柳太朗、名古屋章、檀ふみが出ておりました。
杉村春子が演じてた娘役を誰が演っておられるのは忘れましたが、お葬式後の会食で例のシーン「母さんの着物あれも、ちょうだい」に、京子役の檀ふみがキレる演技が印象に残っております。その当時オリジナルの「東京物語」は知りませんでした。
まぁ海外作品でもいいのでガンガン、リメイクして現代の東京物語を観てみたいです。未見ですが黒沢清「東京ソナタ」も、そうなんでしょうか?
そもそも「東京物語」自体がR・マッケリー「明日は来らず」を翻案したものなんですよね。老夫婦が、それぞれ擁護施設に入って離れ離れになる前に息子や娘の家庭を訪れるが冷たくあしらわれ、帰り際ふと立ち寄ったカー・ディーラーのお店で店員さんに親切にされてドライブに連れていってもらった。
楽しい思い出をありがとう・・・老夫婦は別れて、それぞれの家路に戻って行きます。当時のハリウッドでも家庭の崩壊を描いてたから驚きです。
ただ、この作品は歴史の中に埋もれてしまって忘れられた作品になっています。
「東京物語」は、それぞれの場面転換が絶妙で完璧。
まさにO・ウェルズ「市民ケーン」に並ぶ映画の聖典です。なので、なるべく映画館で観てほしい作品です。
他人だからこそ情を交わす
日本人は猿ではなくて熊
沖縄の人とか。フィリピンの人。中国の南のほうの人は都会に出てきて難しいことがあると、すぐに田舎に帰ってしまうという話をよく聞く。彼らは大きくなっても、家族と一緒に暮らす傾向が強い。動物に例えると、猿だ。一方聞いた話では、スウェーデンの人々は親と一緒に暮らすなんてことは絶対にないという。珍しいのではなく、絶対にないと。日本の有名な推理小説「スウェーデン時計の謎」にそのことが書かれていた。日本人はどちらかといえば、このスウェーデンに人に近いのではないかと思う。かくゆう。私もそうだ。親と一緒にいたくない。親と一緒に居るのは、本能的に不自然さを感じる。自分が50歳過ぎて母親と2人で飯を食っていると、こんなことをしていてはいけないという本能の強い声が聞こえる。人間はそもそも親から独立する生き物なのだ。大人になってから、親に接しているのは不自然だ。ちょうど動物園の熊がそうだ。飼育員は熊が大きくなっても、自分が育てた子供のように思ってかわいがろうとする。しかし、頭を撫でられた熊は猛烈に怒る。あれと同じで、大人になった子供は親に構われると腹を立てる。逆に親は子供に構いたくなる。子供のすることに文句を言いたくなる。それは、子どもの独立本能を促すための本能ではないかと思うのだ。 よく見るとこの映画は実は、その本能を描いている作品なのである。単に冷たい子供達だな。とか。世の中にはいい人もいるもんだとか、そういう話ではないのだ。 小津安二郎の多くの作品には、その本能に矛盾する父親と娘が出てくる。この映画を作るまでにすでにいくつかのそういったプラトニックラブ父娘の話をつくっている。が、ここでの設定は娘ではなく血の繋がっていない次男の嫁になっている。この映画はプラトニックラブ父娘テーマと衝突させるための作品なのだ。 そのようにしてみると、この映画がどのような傑作か、その真の姿が見えて来るというものであろう。
時代を切り取った映画
幸せな家族、その中にもいろいろあるもの
普遍的日常
20年前か30年前かも定かではありませんが、初めて観たときは退屈でした。以来、小津作品は自分の好みではないと思って敬遠してました。でも、大好きなアキ・カウリスマキ監督は、今作を観て映画監督になったわけだし、ヴィム・ヴェンダース監督も小津監督を敬愛してやまないというし、ずっと避けてるのもどうかと思い直して、昨年、「彼岸花」(58)を観てみたらとても面白くて、「そろそろいいのかな?」と思っていた矢先、丸の内TOEI「昭和100年映画祭」で上映されるというので観ました。期待ハズレだったらショックだなという心配は杞憂でした。モノクロームの昭和の風景や暮らしぶりは少年時代を想起させて懐かしく、親子の情愛、夫婦愛、旧き友情は、どこかで自分の半生に重なり、とても身近に感じられました。若い頃には退屈に思えた平凡な出来事も、いつかは消えゆく儚きものという実感があると、全く違う感慨がありました。原節子扮する紀子にとって平山周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)は義父母に当たるので、自分の義父母のことと重ねて生前のご恩なども思い出しながら、人の老いや死についても感じました。派手なアクションもなく、宇宙人も出てこないし、美男美女のラブシーンもない、若者には退屈かもしれない映画の面白さがわかるようになってちょっと嬉しい映画体験でした。
実は東海道山陽道を股に掛けるロードムービーだったことに驚く
先日観た「羅生門」に続き、今年7月で閉館となる丸の内TOEIで開催中の『昭和100年映画祭 あの感動をもう一度』へ。今回は小津安二郎監督の永遠の名作「東京物語」を鑑賞しました。「羅生門」は配信で観たことがありましたし、黒澤作品はその他にも観たことがありましたが、小津作品は配信、劇場を問わず今回が初めてでした。
で、本作については、ダイナミックな展開が柱となる黒澤作品に比べると、大きな出来事が起こらない日常を描いたお話という認識で、笠智衆がずっと自分の家で過ごすお話なんだろうと思っていたのですが、実際に観たら全く違い驚きました💦自分の家どころか、尾道に住む平山周吉(笠智衆)・とみ(東山千栄子)の老夫婦が、東京に住む長男の幸一(山村聰)と長女のしげ(杉村春子)に呼ばれて東京に赴いて東京見物をし、滞在が長引きそうになると世話が面倒になった幸一としげが両親を熱海に体よく湯治に追いやったかと思えば、周吉ととみが再び東京に戻ってから尾道に戻る道すがら、とみが体調を崩して三男の敬三(大坂志郎)がいる名古屋で療養し、ようやく尾道に帰宅したかと思えばとみが危篤になり、そのまま亡くなってしまうという、東海道山陽道を股に掛けた一大ロードムービーでした。
また、両親をぞんざいに扱う幸一ととみに比べて、次男の嫁の紀子(原節子)は、2人を心から大事に扱うという対比も中々の見所。本作が公開された1953年と言えば、敗戦から8年しか経過しておらず、それなりに親子・家族の絆と言うものが色濃く残っていたように想像していましたが、実はその頃から徐々にそう言った考えが後退していた、もしくはその兆候があったのであり、そうした時代背景を元に小津監督が本作を描いたと考えるのが妥当なのではないかと感じたところです。そういう意味では、実は本作の主人公だった紀子は、折り目正しい前時代の象徴であり、幸一やしげは時代の先端の象徴だったようにも思えます。
さらには、基本的に穏やかな基調で描かれた本作も、紀子の夫が戦死したという重たい事実を土台にしており、また周吉とその友人である沼田三平(東野英治郎)、服部修(十朱久雄)の3人による居酒屋での会話でも、沼田三平をして「戦争はしたらいけない」と言わしめており、敗戦から8年、(一応)主権回復から1年経過した当時においても、戦争による深い深い傷が人々の心に残っていたのは間違いのないところなんだとヒシヒシと伝わって来ました。
以上、観る前はどんなに退屈な話なんだろうと勝手に構えていたものの、ものの見事にその予想は覆されました。そして当時の人々の心情を正確に映し出した極めて優れた作品であると当時に、尾道→東京→熱海→東京→名古屋→尾道を移動するという物理的にもダイナミックなお話であり、先の展開を観たくなるほどにのめり込む作品であることを感じ、非常に感激した次第です。
そんな訳で、本作の評価は★4.8とします。
小津やるやん ByZ世代
小津安次郎の『東京物語』(1953)は、尾道に暮らす老夫婦が東京の子どもたちを訪ねるが、それぞれの生活に追われて相手にされない、という物語である。劇中、戦死した次男について「亡くなってから8年」と語られる場面があり、物語の時代設定は1953年頃と推測される。
1950年代の日本は、戦後復興が進み、第1次ベビーブームとともに東京の都市化が急速に発展した時期でもあった。本作は、そうした経済成長の波の中で崩壊しつつある大家族と、新たに台頭する核家族という家族形態の変化に直面する人々の姿を、多面的に描いている。
本作を観る中で、特に注目したのはカメラの画角とストーリー展開である。小津は、従来の映像表現のルールをあえて破る演出を取り入れており、例えばイマジナリーライン(180度ルール)を超えるカットが見られる。このような手法は、独自の映像スタイルを確立する一方で、観客にとっては空間認識が難しくなることもある。
個人的には、この映像表現にはあまり馴染めなかった。特に違和感を覚えたのは、ワンショット(ミドルショット)において障害物がほとんど配置されていない点である。肩越しのショットが少なく、主要人物の会話はほぼ単体ショットで表現される。さらに、二人ショットから単体ショットへのアクションやセリフの繋ぎがなく、画角もほとんどが真正面であるため、登場人物がカメラ越しに直接話しかけているように感じられた。結果として、観客である自分がセリフを言わされているような感覚になり、個人的には苦手なスタイルだった。
また、小津監督のこだわりである固定カメラも特徴的だった。現代の映画ではカメラが頻繁に動くことに慣れているため、動きのないカメラワークが不自然に感じられた。観測した限りでは、カメラが動いたのは上野公園で二人が扉の前の段差に座っているシーンのみだった。さらに、画角に関しても直線的な構図が多く、背景の家の間取りやドア、壁がほぼ垂直に配置されている。そのため、もう少し「斜め」からの画角があれば、より自然な映像になったのではないかと感じた。
編集についても気になる点があった。例えば、登場人物たちが団扇をはたいている場面では、アクションの繋ぎをスムーズに行うのが難しそうに見えた。しかし、それらを差し引いても、本作の物語は想像以上に面白かった。
小津監督については、『小早川家の秋』や『宗方姉妹』などのタイトルを知っている程度で、「家族」をテーマにした作品を多く手がける監督という印象があった。しかし、本作を実際に観てみると、単なるのんびりした郷愁作品ではなく、ストーリー展開が計算され、非常にバランスの取れた作品であることに驚かされた。全体的に緩急のテンポが心地よく、東京や尾道の雰囲気を存分に感じられると同時に、それらに飽きることなく観客の興味を引きつける展開がタイミングよく切り替わる。
例えば、老夫婦が半ば追い出されるように熱海旅行へ向かうシーンを振り返ると、
① 二人の会話
② 騒がしい旅館
③ 二人の会話
④ おばあさん倒れる
⑤ 二人の会話
⑥ 息子たちの薄情さを愚痴る飲み会&原節子の家で泣く
⑦ 二人の会話
⑧ 危篤
と、静と動のバランスが巧みに配置されている。このように、緩やかに見えて計算された展開が、観客を飽きさせない要因となっていた。
ストーリーとしては、藤子・F・不二雄の『オバケのQ太郎』最終回として語られることの多い「劇画Qちゃん」と似た哀愁や切なさを感じた。尾道からはるばる訪れた両親が半ば強制的に熱海へ追いやられる場面や、母親の危篤を知らされた次女が「喪服はどうする?」と長男と話す場面など、目を背けたくなるようなシーンがいくつもある。しかし、小津監督はそれらを激しい効果音や劇的な演出で煽ることなく、あくまで淡々と描く。そのため、京子が家族の冷たさに疑問を抱きつつも、他の登場人物たちは大家族の崩壊を粛々と受け入れる様子が、観客に対しても静かな強制力を持って迫ってくる。
本作は、単なる「古き良き家族の物語」ではなく、戦後日本の家族のあり方や価値観の変化を冷静に描いた作品である。その独特な映像手法や淡々としたストーリー展開には賛否が分かれるかもしれないが、映画表現の多様性を考える上で非常に興味深い作品だった。
父母への孝行を思い起こさせられます
いまさら
人は時間とともに変わっていく・・・親子、夫婦、縁があった他人・・・...
笠智衆氏も当時49歳でしたが70歳近い初老を見事に違和感なく演じきり、老け役の真骨頂を発揮していましたね。
早稲田松竹さんにて『小津安二郎監督特集 紀子三部作 ~NORIKO TORILOGY~』(25年1月4日~10日)と題した特集上映開催中。
本日は『晩春』(1949)、『麥秋』(1951)、『東京物語』(1953)のそれぞれ4Kデジタル修復版を英語字幕付きで鑑賞。
英語字幕付きのためか外国の方や若い方の来館者も多く、70年以上前の作品にも関わらず150席の館内はほぼ満席でしたね。
『東京物語』(1953)
『晩春』(1949)『麦秋』(1951)に続く紀子三部作の最終作、国内外で高く評価されている監督の代表作。
本作品での笠智衆氏と原節子氏の役柄は戦死した次男の父親とその次男の未亡人という設定。笠氏より6歳年下の山村聰氏が長男・幸一、2歳年下の杉村春子氏が長女・志げを演じておりますが、笠氏も当時49歳でしたが70歳近い初老を見事に違和感なく演じきり、老け役の真骨頂を発揮していましたね。
本作はレオ・マッケリー監督『明日は来らず』(1937)というアメリカ映画を下敷きにしているようで当初から西欧での評判も意識した模様。確かに劇中の少々強めの子どもたちの自立や独立、親離れといった側面は西欧色が濃いですが、それぞれ家族ができ、月日を経て徐々に薄れていく親子の絆や人生の悲哀は万国共通なのでしょうね。
個人的には本作をオマージュしたジュゼッペ・トルナトーレ監督、マルチェロ・マストロヤンニ主演、音楽エンニオ・モリコーネの『みんな元気』(1990)も大傑作で大好きなのですが権利の都合上、日本国内ではDVD未発売、配信もされていないのが非常に残念ですね。
※2009年にロバート・デ・ニーロ主演でリメイク
地味だが沁みる一品
代表作とはいえ、これ一作で小津安二郎を語るのはおこがましいというものですが、作風はなんとなくわかりますね。「PERFECT DAYS」のヴィム・ヴェンダースがインタビューで小津監督のことを話していたのも納得できる気がしました。淡々と日常を描く感じがよく似ています。
(あの映画の銭湯のロビーでうたた寝しているおじさんを主人公がうちわで扇いでやっているシーンなんかはこの作品を意識しているかもしれない)
とにかく昔の日本らしく謙譲と遠慮の精神が見られるシーンが多いのですが、子供は別ですね。まあ、長女の人はひとしきり泣いたあとは形見分けに着物をねだったり、かなり遠慮のないところが目立っていましたが。血のつながった子より、息子の嫁のほうが気を使ってくれることは実際にありうることかもしれません。
おじいさん夫婦が誰にでも愛想よく控えめに応対しているのは、子どもたちにとっては自分たちの相手をすることが仕事の妨げになることをわかっているからでしょう。もちろん、子どもたちの方もすまないという気持ちはありつつも、生きていくためには仕事を疎かにできないという現役の人間としてのやるせなさがあるのだと思います。
セリフや演技の古臭さはともかく、各登場人物の所作とか仕草は自然でとてもいい。食事している場面も結構出てきますが、ぎこちないところがまるでなくてドキュメンタリー映像のようです。あと、昔の日本らしい品の良さみたいなのはありますね。畳に座ってお辞儀するところなどは、今の我々にはなかなか自然にはできない気がします。
また、あまり昔の日本映画を見ない自分からすると、これが笠智衆か、これが原節子か、と興味深かったです。笠智衆はこの時40代だったとか。見事な老人ぶりです。原節子は伝説の女優だけあって華やかな美貌ですね。張り付いたような笑顔がちょっと気になりましたが、役柄もあるのでそれをどう判断するかは難しいところかも。
世の中ってイヤね…。
そうね、イヤなことばかりね…。
目の前で繰り広げられる映像、音楽はとてもほのぼのとして優しげな雰囲気に包まれているのですが、込められたメッセージたるや…!身につまされる思いでした。家族とは?親子とは?グサリグサリと胸を突き刺してくる、笠智衆と原節子の笑顔。く…苦しい…(泣)勘弁してくだせぇ…(泣)
戦後間もない頃の親子や家族間の関係性の変化を嘆くようなお話。この映画から更に70年経った今、日本はどうなったか。時代と共に倫理観や価値観は移り変わっていく。そこには善悪は無く、ただただ「やるせねぇなぁ」という無力感が漂うのみである。
観客に語りかけてくるような独特なカメラワークが面白かったです。そのせいで「え?私に言ってる?うへぇ」って具合に罪悪感を植えつけられます。お父さん、お母さん、ごめんなさい…m(_ _;)m
ストーリーは非常にシンプルですが、現代人にも訴えかけてくるメッセージ。優しい気持ちと思いやりを忘れずに生きたいものです。
人生の哀歓‼️
小津安二郎監督が「家族制度の崩壊」を描いた最高傑作⁉️私的には違うけど‼️子供たちの家を訪れた老夫婦が、次第に(誰も口にしないが)お荷物的な存在となっている自分たちに気づき、故郷へ帰る。しかし母が急死、今度は子供たちがやって来るが、忙しさを理由にすぐ東京へ帰ってしまう。最後まで残ったのは戦死した次男の嫁だった・・・‼️という、ただそれだけのシンプルな話‼️そんなシンプルな話の中に、小津監督は「一生懸命育てたのに、子供たちもあてにはならない」という現代にも通じる家族のあり方を描いていますよね‼️ハリウッド映画にありがちな押し付けがましい感動ドラマとは違って、この作品には嘘臭いセンチメンタリズムは一切ナシ‼️小津監督得意の固定カメラで描かれる物語は残酷で無情なんですけど、どこかスタイリッシュでまったく古さを感じない‼️ホントに究極の家族映画ですよね‼️特にラストの尾道での笠智衆さんと原節子さんの会話のシーンは忘れられない名場面‼️出演者ではやはり長女に扮した杉村春子さんがピカイチ‼️その杉村春子さんの何気ないセリフ「お義姉さん、喪服どうする?」と電話をかける場面は、いつ観ても背筋に冷たいモノが走ってしまいます‼️
動く浮世絵を観ているよう。
アキカウリスマキの枯れ葉、ヴィムのパーフェクトデイズと続いたので、久々に原点回帰。
たらい回しされる両親。そして、山村聰の意志のなさと、杉村春子の薄情さ、大坂志郎のあっけらかんとした様子。他人の家族とはいえ、観ていてやはり気持ちの良いものではないが、原節子の内助の功的な控えめな役回りが和む。
場面転換でインサートされる戸外と家財道具が映り込む画角の景色が、良い味出してる。
備忘録
今となっては時代考証的作品として機能する。
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