鉄拳のレビュー・感想・評価
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早すぎた「バキ」
本作を観ながら俺は常に板垣恵介のバキシリーズのことを思い浮かべていた。まあ、たぶん影響を受けてるんだろうな、と思って公開日を調べてみれば1990年。これはバキシリーズの第1作『グラップラー刃牙』が週刊少年チャンピオンに連載される1年前である。
マジか。
本作のバキ要素を挙げれば枚挙に暇がない。
・強さへの飽くなき探究心
→言わずもがな
・身体の物理的改造をも厭わない倫理観
→事故でグチャグチャに潰れた右拳を、マサチューセッツ工科大卒の獣医にサイボーグ化してもらう
・シュールな修行風景
→森の中に特設されるボクシングリングとリハビリ施設
・誇張的な比喩描写
→近づいてくる月、殴られた瞬間に頭を横切る地球のイメージ等
・唐突に逸脱する物語
→初めこそ中本にも後藤にも「タイトル奪取」という大義名分があったはずなのに、中盤以降は戦うことそのもの、そしてその結果として得られる強さそのものが目的化していく
後進の育成に努めつつもついつい闘争心を剥き出しにしてしまう中本は愚地独歩のようであるし、サイボーグと化して再び戦場に舞い戻った後藤はピクル戦後の愚地克巳や烈海王、あるいはジャックハンマーを想起させる。とはいえ後藤は彼らほどには戦意に満ちていないのだが、生来の粗暴さを加味すれば最強トーナメント戦で準々決勝くらいにまでは駒を進めてきそうだ。
男たちの闘争に巻き込まれつつも妙な存在感を放ち続ける田村は範馬刃牙のガールフレンドこと松本梢江を彷彿とさせる。特に、終盤で中本の代わりにグローブを嵌めてリングに立った際の彼女はさながら第3作『範馬刃牙』「地上最強の親子喧嘩編」において範馬刃牙と範馬勇次郎の間に臆面もなく割って入った梢江の勇姿とオーバーラップする。
ボクシング公式タイトルへの挑戦を放り出して身内の敵討ちに加勢してしまうという物語の急旋回ぶりもいかにもバキらしい。中本と平岡の殴り合いもすごい。お互いに唸り合ってみたり自分の顔をぶん殴ってみたり、バキ美学としか形容できない描写が矢継ぎ早に展開される。
ただ、繰り返すようだが、本作はバキシリーズより1年も前に公開されている。板垣恵介が本作を知っているのかは定かではないが、まあ、十中八九観ていたんじゃないか。後藤を演じてるのはプロボクサーの大和武士なわけだし、それに阪本順治は『どついたるねん』でも「浪速のロッキー」こと赤井英和本人を起用している。
思えば阪本順治の作風はもともとバキっぽいというか、その場その場で生起した物語やショットの推進力を非常に重んじる傾向にあるように思う。さればこそ現実世界の条理を無視した描写が多い。『王手』で死者と数日間にも及ぶ大局将棋を打つシークエンスなどがその好例だ。
ただ、「バキっぽい」という先入観を完全に排除した場合、本作が単に一貫性のない不出来な暴力映画でしかないこともまた否定し難い。でもそうした歪さにもかかわらず瞬間の面白さの連続だけで最後まで観れてしまうあたり、やっぱりバキなんだよなあ。
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