「昭和という破壊と再生の時代が終わった 本作は、そのシュルリアリズム的映像表現の断片のコラージュとして観るべきだと思います」帝都大戦 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
昭和という破壊と再生の時代が終わった 本作は、そのシュルリアリズム的映像表現の断片のコラージュとして観るべきだと思います
改めて鑑賞し直して、本作とは何だったかが見えてきたように思いました
本作は1989年9月公開
前作の「帝都物語」は1988年1月公開
この間に何があったのでしょうか?
バブルの絶頂期?もちろんそうです
そしてもう一つ
昭和から平成に元号が変わっています
そうです
昭和天皇が長い闘病の末に崩御なされたのです
それは1989年1月7日のことでした
大葬の礼という大規模な国葬が2月24日に行われて、国民は長い喪に服しました
商店街でも賑やかな音楽は控えられて荘重なクラッシック音楽が静かに流れて、テレビでもお笑い番組は消えていました
皇居から葬場が設営された新宿御苑までの葬列と葬場における儀式の一部はテレビ中継されて、大葬の礼を全ての国民が見ることができました
冷たい小雨の降る中、葬場殿がおかれた新宿御苑を古装束姿の楽師の先導で葬場殿に向かう葱華輦(そうかれん)の光景はまるで帝都物語の世界が現実となったかのような神秘的なものであったのです
葱華輦とは昭和天皇のご遺体を納めた棺を載せる巨大な神輿の一種のことです
それは、古式に則れば京都市北東部のはずれにある八瀬の里に住む「八瀬童子(やせのどうじ)」と呼ばれる若人達が担ぐべきものでしたが、少子高齢化が進んで当地にはもう担ぐべき若人達がいなくなっていたために、皇宮警察の数十名が黒い古式装束姿で代わりを務め、葱華輦を担いで厳かに進んだのです
本作はその年の秋、終戦記念日のちょうど1ヵ月後の9月15日に公開されたのです
このことを踏まえた上で、本作を鑑賞すれば、本作から何か違ったものが感じられると思います
昭和とは、どんな時代であったのか
戦争で300万人もの死者を出し国土は荒廃して焼け野になり、戦後は急速な復興を遂げ世界有数の先進国に高度成長を成し遂げました
まさに破壊と再生
それが昭和だったのです
その長かった昭和がとうとう終り、平成となったのです
国民は大葬の礼で、この国最大の霊的な式典を目にしてこのような感慨に耽ったのです
その感慨がそのまま本作に投影されているように感じるのです
それこそが本作のテーマだったのだと思えるのです
本作の内容ははっきり言ってつまらなく、どうでもいいのです
物語は原作は読めば良いことです
昭和という破壊と再生の時代が終わった
本作は、そのシュルリアリズム的映像表現の断片のコラージュとして観るべきだと思います
本作は昭和が終わった
昭和とは破壊と再生の時代であった
そのことだけを伝える映画だったのです
また、クレジットを改めて眺めるといろいろと見えて来るものもありました
監督兼エキゼクティブプロデューサー
一瀬隆重
この人は、前作「帝都物語」でも製作総指揮でした
そして1990年代から2000年代にかけて、「リング」、「らせん」、「呪怨」、「THE JUON/呪怨」などのプロデューサーを務めています
つまり、ジャパニーズ・ホラーを牽引して切り拓いて来た人物です
本作製作時、なんとまだ若干28歳なのでした
彼が監督を務めたのは本作だけのようです
ならば本作こそジャパニーズ・ホラーの水源であったと言えるのではないでしょうか
超現実視覚効果
スクリーミング・マッド・ジョージ
彼は本名が谷 譲治という大阪出身のもともと日本人
本作撮影時、まだ32歳
シュルリアリズムに強く影響を受けて、NYの美術学校に学び、紆余曲折の末「狼男アメリカン」や「ヴィデオドローム」の特撮で有名なリック・ベイカーに見いだされて、特殊視覚効果の道に進み、1986年にハリウッドでホラー映画を中心とするエフェクトデザインを行う会社を設立した人
なるほど本作の視覚効果のベトベト、ネチャネチャのえげつないクリーチャーはリック・ベイカー譲りだと納得するものです
ガラパゴスだった日本の特撮や特殊効果に、海外の最新のノウハウが導入されていった最初の頃の作品ということになります
その意味でも、日本の特撮の歴史に大きな意味と意義がある作品であったと思います
2019年5月1日、令和に元号が改まりました
平成時代は、バブル崩壊という破壊がありました
再生はとうとう訪れることはありませんでした
令和になってもコロナ堝が襲来しています
再生はいつ訪れるのでしょうか?
考えてみれば、監督兼エキゼクティブプロデューサーの一瀬隆重も、超現実視覚効果のスクリーミング・マッド・ジョージも戦後の生まれ
それも高度成長期に生まれ育ったのです
破壊を知らず、再生だけしか知らない世代なのです
この再生と繁栄を、いつの日か滅び去ってしまう破壊がくるのかも知れない
その漠然とした不安が、加藤保憲として具象化されているのだと思えます
その不安とはバブル崩壊の予感であったのかも知れません
ヒトラーが自殺したのは1945年の4月30日
令和が始まったは5月1日
何か意味があるかのように思えてしまいます