ツィゴイネルワイゼンのレビュー・感想・評価
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荒唐無稽さと戯れよ
鈴木清順監督作品・大正浪漫三部作第一作。
意味が分からない(好き)。
海にうち捨てられた女の死体を大衆が上手に移動してから、カメラもレールで移動するカメラワークが意味分からなくて、好き。
鈴木清順は本当に奇才なんだと思う。
序盤のレコードが鳴るところから、映像と音声はかろうじて同期されていることが宣告され、全編にわたるアフレコは、セリフの同時性をまったく気にしない。ショットは、意味ありげで無意味に連なり、そこに物語世界にありえなさそうなモーター式の船や電気信号が登場してもカットしない。アクション繋ぎもされず、同じアクションが繰り返される。
けれど、なんと不思議なことでしょう。物語が生成されているのです。
もうその荒唐無稽さなんて気にならない。次のショットがどのようなものか全く予想できない。子どもがおもちゃのびっくり箱に驚くように、観客も驚愕する。だって眼球をなめることも鍋いっぱいにこんにゃくが入っていることも、豊子と三途の河を渡る船と灯りも想像できないでしょ。しかも電話のシーンで空間を異にしているはずなのに、移動ショットで二人をつないでしまうのも意味が分からない。ワンカットで、二つの時系列や生死の世界を描こうとするのも、そしてそれができてしまうのも意味が分からない。
そう考えると荒唐無稽にみえるカメラワークや演出、編集が、生死の世界の境を攪乱させる魔法になっているのかもしれない。
結局、あのシーンであの登場人物は生きているのか死んでいるのか、識別不能だ。しかし3人の盲目の琵琶奏者がどのような関係かみる人によって変わるように、私たち鑑賞者はリテラルに本作をみて、「真実」を識別しないといけないのかもしれない。
耽美さとキッチュさと、
原作は「サラサーテの盤」だけでなく、
「山高帽子」など複数の内田百閒文学からとられています。
百閒との相性がよかったのか、後の作品に比べると耽美さとキッチュさの絶妙なはざまを漂っていて、いちばん好きな清順作品です。
大楠道代の独特な台詞回し、歌舞伎のように挿入されるお囃子、ツィゴイネルワイゼンのレコードの効果的な使い方、すべてが刺激的な傑作です。
ちょっと怪談ぽい語り口なのも、暑い夏にぴったりではないでしょうか。
兎に角大谷直子が美しい。
幼いころに見た印象とこれほどかけ離れていようとは・・・。単なるシュールな幻想映画と言う印象だったがしっかりとした内容とインパクトある映像の見事な調和が認められる。一度は目にする必要のある名作のひとつと言えよう。
死者と生者が織りなす幻想綺談
初めて観る鈴木清順の晩年の作品です。正直言って何が何だかわからないけど、八方破れみたいなインパクトのある映像が強烈です。元大学教授で風来坊の中年男が、芸者や友人の妻と関係しながら周囲を巻き込んでいくお話しだけど、ストーリーはあってないような感じです。映画は、鈴木清順が即興で考えたような鮮烈なショットを積み重ねながら、死者と生者の境界があいまいな、だからこそ妙にエロチックで幻想的な空間を醸し出しています。ある意味,映画の形を借りた前衛的な即興劇を観せられた気分です。役者では、原田芳雄が、これ以上ないくらいの真っ正面からの体当たり演技で、主人公を体現しています。大谷直子の幽玄的な立ち居振る舞いも見事でした。
どこか奇妙な清順映画
原田芳雄扮する中砂糺は、遺体の上がった浜で警察の尋問を受けようとしていたところ藤田敏八扮する士官学校教授青地豊二郞が駆けつけた。
劇場で観て以来2回目だと思うが、やっぱりどこか奇妙な清順映画だ。弟が自殺した芸者小稲と中砂の嫁園二役で大谷直子。俳優陣が濃いから余計シュールだね。だからこそ印象深い作品になってるな。
ウゴウゴルーガ観てる感じ
前回、同じstrangerにて「画家と泥棒」を鑑賞したときに見た予告が気になって鈴木清順監督作品初鑑賞。
『あなた、わたしの骨が好きなんでしょ。』
『いつだって骨をしゃぶるように抱くんだもの。』
何を言っているのか意味不明です。
どざえもんな女性遺体のお股からカニが6匹現れたとか、何のメタファー?それとも本当にカニが??6匹も??そんなに入る??
映像では1匹がどんどん大きくなってたけど、とにかく不思議な映像だった。
ちょっとだけウゴウゴルーガを思い出した。
でも不明・不思議映像ばっかりでもない。
妖艶耽美な映像もたっくさん。かと思えば目の見えないあの3人衆は驚くほどの世俗的な感じ。
上品でもあり、品のなさもあり、生と死の振れ幅が大きく、音を使うことで全体が和んだような気がした。
それにしても、原田芳雄のイケメンっぷりがハンパなかった。
なんなんだ…
女は性と死の象徴としてのみ表され、
ずっと家の中にいる。
画としては素晴らしいのかもしれないが、
思想としては相容れない。
これを美しいと思う人もいるのだと思うが、
正直、入り込めずに冷めた目で見ていた。
終盤は苛々してしまう程に冗長。
う〜む!
はっきり言って、よく分からない映画と感じました。
鈴木清順、さんは何を考えてこの作品作ったのか、私の頭では理解できないし、これを、絶賛している方に、どこが、どう素晴らしいのか論理的に説明して欲しいです。
映画で描かれた、主人公の階層は大学教授…まあ、上位1%の階層の人達の戯言にしか聞こえできませんでした。
鈴木清順って人もその時代のそう言う階層のひとのお遊びの、ように、私にはおもわれた。
私のこの感想はごく普通の階層のひがみかな。
邦画の形式美の美しさが満載のミステリー
計算された画面構図の美しさはじーっとしていても見飽きることはない。
いや、その先の動体がどうなるのかをイメージする余白を与えてくれる。
これはムービーと言うより自動移動式絵画展覧会であった。
さて、
内容についての解釈はちんぷんかんぷんでも仕方がない、と思う。
つまり、主題は不条理なんだからどんな理屈も当てはまらない。そして当てはまる。
故に、
これはホラーに思えるが僕にはミステリと思いたい。
ほら、あの音楽レコード内のサラサーティの会話が聴き取れないことが常態して何度も同じことが形を変えて繰り返されている。
更に、これは怨恨ミステリーだと思うのだ。
それは親友の二人が命を賭けて約束したこと。
先に死んだ者の頭部を生存者が髑髏💀にして所有する約束が反古されたことだ!
欧州でよくある事なのだが何故か約束を破った。
その上、暗黙で二人の妻を交換することだが、
暗にそれは事実として実践されていた。
そんなよからぬことがこのストーリーの底流に幾重にも重層的に展開されて現実と夢と幻想が入り乱れ見事だった。
そう言えば、
妹の言っていた、数の子はどうしたのだろう?
)^o^(
ツィゴイネルワイゼン
「殺しの烙印」(1967)、「悲愁物語」(77)の鈴木清順監督が、
内田百間の「サラサーテの盤」などいくつかの短編小説をもとに、
夢と幻が交錯するなかで狂気にとりつかれた男女の愛を描いた幻想譚。
大学教授の青地と友人の中砂は、旅先の宿で小稲という芸者と出会う。
1年後、中砂から結婚の知らせをうけた青地は中砂家を訪れると、
新妻の園は小稲に瓜二つだった。
1980年、東京タワーの下に建造されたドーム型の移動式映画館シネマ・プラセットで上映されたことも話題に。
第4回日本アカデミー賞の最優秀作品賞ほか、
第31回ベルリン国際映画祭の審査員特別賞を受賞するなど国内外で高い評価を受けた一作。
2012年、「浪漫3部作」と呼ばれる「陽炎座」(81)、「夢二」(91)とあわせてニュープリントでリバイバル上映。
2023年、鈴木清順監督生誕100年を記念して4Kデジタル完全修復版で再びリバイバル公開。
五感で感じる映画
前回の「夢二」(1991年)に引き続き、鈴木清順監督生誕100周年記念でデジタルリマスター版が上映された「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)を鑑賞。「陽炎座」(1981年)と併せて、「大正浪漫三部作」と言われる3作品の第1作目でしたが、先に観た「夢二」に比べると、色彩の点でやや暗い感じでした。ただ冒頭から音感に訴えて来る部分があり、不気味さはかなりありました。また、大谷直子と大楠道代の2人の女優が、これでもかと妖艶な演技を魅せてくれたので、エロティシズムとホラーの要素が見事なまでに同居する「大正浪漫」の世界を堪能できました。
いずれの作品についても言えることですが、場面がいきなり飛んだり、セリフが良く聞き取れなかったりで、ストーリー全体を詳細に把握することは結構難解なんですが、理性で理解するというよりは、視覚や聴覚から身体に染み込んでくる情報を浴びる感じの作品であり、そうした意味で非常に芸術性が高いというか、独特の世界観を持った作品だったと感じたところです。
本作の見せ場は、何と言っても大楠道代演じる周子が、原田芳雄演じる中砂の目玉を舐めるシーン。目に入ったゴミを舌で取るって発想が凄い!勿論現実のシーンではなく、幻想のシーンだったけれども、セクシーなんていう軽い言葉では表せない、もっと深い情念に訴えて来る映像で、実に耽美的というか、退廃的というか、非常に印象深く、ゾクゾクする場面でした。
あと、大谷直子演じる園が、こんにゃくをちぎり続けるシーンも印象的。食べる量を遥かに上回る量のこんにゃくをちぎり続ける姿は、不気味だけれどもなんかそそられるのが不思議でした。
また、題名にもなったサラサーテ作曲の「ツィゴイネルワイゼン」。サラサーテ自身が演奏したものを録音したレコードに、サラサーテの喋っている声が入っていることが冒頭のシーンで出て来ます。しかし結局これが何と言っていたのか分からず仕舞い。しかも中砂の死後、彼の後妻になった小稲が、このレコードのことやドイツ語の難し気な本のことを知っていて、しかも流ちょうなドイツ語でそれらを返してくれと青地に迫るシーンなども、一体何が現実なのか虚構なのか判別しかねるものでした。きっと狸とか狐に化かされた時は、こんな感覚なんでしょうね。
そんな訳で、五感に迫って来る大正浪漫を堪能できた本作の評価は、★4とします。
中砂
一体、何を観せられているのか⁉
意味はよくわからないが、不快ではない
藤田敏八を中心に、原田芳雄、大谷直子、大楠道代(唯一存命)が妖しい魅力を発していく
麿赤兒(大森南朋パパ)率いる三人組のシュールさは必見!!
大谷、大楠の色気もタマラン!
夢と幻想と現実の狭間
生温かい夜の森を彷徨い、気づくと自宅の玄関前に立っていたような幻想的な映画だった。
いや、幻想的という表現は美しすぎる。
異性の欲情、傲慢、そして悲壮が、あまりに強烈で芸術的な感性で描かれている。
見終わった後に感性疲れを起こすような、「ものすごい」名作だ。
生死に執着している華麗な絵巻物
とにかく食べる、とにかく意味不明なエピソードが次々に起こる。
ストーリーではなく場面展覧会であるがその絵がこれまた執着的に麗しい。
満開の桜、釈迦堂の切通、古風で洒落た洋館、黄泉のような屋敷、意味のわからないドイツ語談義、幻聴的な裸身の男の苦行的場面、骨への執着、女の悲劇、偏執的なちぎりこんにゃく、そうして何度も釈迦堂の切通を往来しているうちにどうも現実でない世界に引き摺り込まれていく怪異。
好き嫌いは分かれるがこんな映画は誰も作れないだろうと思うと現代版日本霊異記の絵巻物と思えて面白い
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