地球交響曲 ガイアシンフォニー 第三番のレビュー・感想・評価
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自然と生きるってこういうことなのね
友人に勧められて鑑賞。 涙が止まらなかった。と、同時に自然に圧倒されました。命が自然に溶け込んでいくような気がしました。 予告だけをみると、”魂”の永遠性が強調されすぎて、ちょっと宗教がかった危ない映画にも見えますが、多様性によってつながれていくもの、過去と未来をつなくもの等、三者三様の話が紡ぎだされます。 「”死”は敗北ではない。”死”は終わりではない」というキャッチコピーが、しみじみとゆっくり体の中に沈殿して、昇華してゆきます。 監督ご自身が、ガイア(地球)の声を追いかけるだけではなく、この第3番では、星野氏の魂を追っているような映画。だから、ダイソン氏の話の中に「…『死』があるということは、とても幸運なことだと思います。次の世代に生きる場を明け渡すことができるからです。(それが進化を生む)…」というのが出てきたのかな。元々の持論でもあるようですが。 星野道夫氏(写真家)編: 「…アラスカの自然の中で熊が一番すごいのは何かっていうと一撃で人間を倒せる…」「熊がどこかにいて、もしかしたら自分がやられるかも知れないという感覚は、いろんなことに敏感な気持ちにさせてくれるんです」とおっしゃっていた星野氏が熊に襲われて命を落とされる。なんという事実。それを奥様を始め親しかった方が、それぞれに受け止め、その世界観を紡いでいらっしゃいます。突然の別れに、自分なりの答えを見つけ出そうとしています。「ワタリガラス」の神話を追っていた星野氏に思いを馳せながら。 星野道夫氏の写真は絵本とかで見ていました。透明感がありながら存在感がある彼の写真は、彼の魂が映し出されていたのだろうな。自然に溶け込んで、アラスカの動物たちが彼がいることに気がつかなかったこともあるそうな。そんな彼の命は自然によって断たれ、自然に帰る。自然と共に生きると言うことはこういうことなんだよね。自然に襲われる危険性と対峙しながらの生活を受け入れるその強さ。決して、レジャー化された、管理された自然ではないことを認識したうえで踏み込む世界。 彼の友人や奥様の話でウルウルしそうになった時に、よちよち歩きの星野氏の遺児の姿が映り、号泣。彼の魂が風や大地に溶け込んでいるのと同時に、”子孫”という形で繋がっていくのだなあと心に染みました。 フリーマン・ダイソン氏(理論物理学者)編: 息子さんのジョ―ジ氏(カヌーイスト)、ポール・スポング氏(オルカの音声を研究する海洋生物学者)も一緒に出演されています。オルカの声とトーテムポールが心に残ります。 「…生命には、根本的に、多様化しようとする傾向があります。環境の変化に柔軟に適応して多様化するのです。…」だとしたら、今、大きな変革の時?自分と違う感覚は、自分が受け入れてもらえなさそうで、つい、自分の感覚にしがみつきそうになるけれど、自分自身を多様化する、多様化を受け入れるって。変化を恐れないで。言うは易し、行うは難し。 ナイノア・トンプソン氏(タヒチからハワイまで古代遠洋航海カヌーで航行した方)編: フラって祈りの踊りだったのねと改めて荘厳な気持ちに包まれます。 「…全く目の使えない状況が時として生じるのです。例えば、厚い雲に覆われた夜です。波だけでも見えればそれによって方角を知ることもできますが、それすらできない闇夜があります。そんな時に頼れるのは、海との関係で生まれる自分の身体内感覚だけなのです。…」そんな身体感覚を磨き上げる。簡単なことではないけれど、憧れます。自分だけではない。周りと自分の感覚。それなくては何も生まれない。 自然に甘えれば、一歩間違えば死に直結するのだけれど、なぜか空・海・空気・大地に見守られている気がして、おごそかな気持ちになりました。 ああ、そうか。最近、山を、海を黙って眺める。自分を山や海に預け、対峙したくなるのはこういうことだったのね。原点回帰。 空を見れば、どちらに進めばいいのか、星が教えてくれるような気がして、時々空を見上げてしまいます。 挑戦する勇気が欲しくなる時、いろいろと身につけてしまった錆を落としたくなるとき、思いだす映画です。
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