近松物語のレビュー・感想・評価
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不倫だけど純愛。不倫だから純愛
たまたま読んでいた本『教養としての映画』の中で、著者が初めて見る溝口監督作品として勧められていました。アマプラで鑑賞できたので、女優と料理人がキャンドルを交えて不倫している入る今が観るべき時に思えて鑑賞した次第です。
他の方のレビューを拝読すると、みなさん博識で監督だけでなく脚本や音楽にも言及されて賞賛されています。私は詳しいことはわかりませんが、何よりも純愛の美しさを感じれた、話そのものが大変好きでした。不義の罪で見せしめに町を引き回されている時、馬上でしばられ好奇の目線による羞恥に耐えながらも、固く握りあった手。このシーンは脳裏に焼き付くような美しさでした。
モノクロ映画に慣れていないと、観ることをためらってしまうことも自然だと思います。でも、この映画は男女を問わず全世代に観て欲しいですね。午前10時の映画祭で上映してくれたら、泣ける席を確保して鑑賞したいと思います。
前半に
前半に丁寧に描かれる人間模様によって
2人いじらしい純愛の道を選ぶことへの納得度がしっかり得られるので
普遍性の高い映画と評されることに納得。
江戸時代の身分制度がいかに高い敷居になっていたか、身分による強弱関係も良く描かれてて面白い。
素晴らしく綺麗な映画だった。
映画館にて大映4K映画祭で鑑賞
愛さえあれば身分は関係ない。
監督は溝口健二、キャメラは宮川一夫で
関係者からは「先生」と呼ばれる人です。
閉鎖された社会での恋愛。
愛より金の身内。
身分違いの純朴な愛。
告白した後の生きる意欲。
複雑なことは描いていない。
古い映画ですが、人の心の美しさと醜さ
それがハッキリしていて観やすくもあります。
お互いの両手を縛り、身を寄せ合う場面に
台詞は無いが「強い幸せと愛」を感じます。
※
西鶴+近松<溝口 最高傑作
こんなに素晴らしい芝居を映画館で、4Kデジタル復元版で見ることができるとは!
いきなり思い出した「目病み女に風邪ひき男」という言葉!色っぽいということ。映画冒頭、朝から長谷川一夫扮する茂兵衛は咳をしていて風邪気味で手代なのに床についてる。彼を慕う女中のお玉の思いを引き立たせるためかと思った。それもあるのだろうけれど、茂兵衛がいい男であることを示すための風邪ひきなんだ!と思い至りました。
道行は歌舞伎でも文楽でも普通は芝居の幕切れか舞踊。ところがこの映画では道行そのものが核になっている。親の情けに手を合わせながらも互いを慕う絆は強まるばかり。死に一直線の逃避行だが、初めておさん(香川京子)は人として生まれたことを心から喜び幸福感に満たされる。不義密通の見せしめに、おさん茂兵衛は背中合わせに縄で縛られ裸馬に乗せられ二人の手は握りあっている。その姿を見たかつての女中たちは、おさん様のあれほど明るい顔は見たことない、茂兵衛さんも晴れ晴れとしてと言う。
琵琶湖(この風景が夢のように美しい)の舟の上で死支度をして茂兵衛「以前からおさん様をお慕いしておりました」「それを聞いて死ねのうなった」とおさん。映画史上に残る台詞だと思う。
情景に合わせてある時は太棹、ある時は細棹三味線。降る雪は大太鼓。場面を盛り上げ観客を注目させハラハラとさせるツケ。茂兵衛の父の優しさと覚悟の様子に新口村の父親が重なる。茶屋からそっと逃げる茂兵衛は、自分を追って転んだおさんの傷ついた足を抱き口づけする。これは曽根崎心中のお初の足を縁の下でいだく徳兵衛だ。この映画で長谷川一夫は職人・手代なので押さえ気味の芝居だが、所作の美しさは絶品だ。
溝口監督らしく、男のみっともなさがよく表現されていた。男は妾も囲えるし女中に手を出しても咎められない。おさんの夫は妾に家をあてがう金は出せても兄弟も妻の実家も援助せず、手代の暖簾分けすら金がかかるからなるべくしたくないというドケチな独占商人。権力者にはペコペコして世間体が何より大事。三十も年上のそんな男におさんが嫁入りしたのも実家の商家安泰のため。おさんの兄はチャラチャラとだらしない。女たちの犠牲の上に成り立つ男性社会の愚劣さを突きつける溝口監督は古典を題材にしてもぶれない。
全くの偶然の積み重なりで始まる逃避行だが、おさんは途中から自分の意志で茂兵衛を抱きしめ幸せと自由を勝ち取った。
おまけ
香川京子さんは、こうすると女らしく見えますよと長谷川一夫に色々と所作を教わったらしい。120本以上の映画に出たと言われている香川さんが一番強く印象に残っている映画はこの「近松」との言葉は何だかとても嬉しかった。
一周回って現代的な話
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午前10時の映画祭の作品は
都合が合う限り無条件で観てますが
この作品も「観て良かった!」思う一作。
なんと言ってもモノクロ画面の美しさが秀逸!
YouTubeに午前10時の映画祭を応援する
「事務局オフタイム」と言うコンテンツがあるのですが
その中で解説されている通り
モノクロなのに、大豪商の奥様であるおさんの着物の豪華さ!
金糸銀糸が惜しみなく使われているであろう
大奥上臈並みの豪華な着物の質感まで伝わってきます。
そして物語全般としては、
原作は、言わずもがなの近松門左衛門の戯曲ですが
女性の立場の弱さ、男性社会、社会弱者への理不尽さは、
今も昔も変わらないことを現代人に突きつけてきます。
その中でも力強く生きて行く一般庶民も印象的で
見応えがあります。
で、月に8回ほど映画館に通う中途半端な映画好きとしては
長谷川一夫は当時は随一の色男。
若くて全盛期だった様ですが
私は今作の長谷川一夫よりは、
昨年観た「雪之丞変化」のちょいワルな
長谷川一夫の方が正直好きです。
だから私的には長谷川一夫よりも
相手のおさんを演じた若きの日の香川京子さんが素敵!
この夏の話題のドラマ「この世界の片隅に」で
現代編の鈴さんの娘を演じていた素敵なおばあ様です。
おさんは最初、
実家の都合で自分の父親ほどの相手の後妻に行かされ
その後も婚家と実家の板挟みでなかなか苦しい立場。
それでも、奉公人に気を配り後妻と侮られない様に
頑張って大豪商の奥様を勤めているのですが
それにもかかわらず、
自分を踏みつけにする狡い旦那に腹を立てて
人生に絶望してしまう。
まさにその時!!
生まれて初めて自分自身を純粋に見てくれる人に出会って
劇的に変わって行く。
ああ、女の強さ!発動!!
悲しいけど、そこが良い〜!
そしてラストシーンは〜〜
本当に象徴的ですね〜〜
それと、劇中、小川を渡るところで
着物の奥様をヒョイと抱え上げるシーンがある。
その抱え方が今まで見たことがない!
あれが出来ると、結構モテるかも!
そこだけでもぜひ観てみてください。
@もう一度観るなら?
「数年後にまた企画上映で観たいですね。」
人形には負ける
当代きっての俳優たちに濡れ場を演じさせないその抑制が、失敗の原因だと感じた。
主、大経師が、女中お玉にも後妻おさんにも手を出し放題であったことを、女中の寝間で今少しあからさまにしなければ、物語の何が発端であるかの導入が欠如しているというものだ。
井原も近松も、庶民の心情を爆発させた作家。
お上の「掟」を、大経師には“仕置き”としてその結末に快哉を叫び、同じ決まりごとで裁かれるおさんたちについては、掟の無情さへの抵抗という矛盾を合わせ持つ庶民。
そこが面白いのだ。
しかし大経師の悪役ぶりが描ききれていないゆえに、コントラストがボケた。
原作と原原作を知っているなら、実写化の表現の不足を頭中で補完して、映画の二人に感情移入も出来ようが、
いまの時代にはそれは無理というもの。
この102分で観客の涙をしぼるのはたいへん難しい。
人形ならば、もっと激しい情念と愛欲の迫りを観客にイメージさせて、客席を動悸の渦に巻き込んだはずだ。
長谷川と香川の道行きや、痛めた足への抱擁、そして舟の幕、
いずれも人形の動きを俳優の動作に写して演出しているが、いかんせんそこで音声が邪魔をした。
身分制度の中の男と女の愛の情念を突き詰めた溝口芸術の素晴らしさ
溝口映画のひとつの頂点を極めた傑作。映画芸術の観点では「祇園の姉妹」「西鶴一代女」に首位を譲るも、脚本・演出・演技・撮影・音楽・美術の諸要素のまとまりの完成度の点では孤高の地位に聳え立つ。それを強引に、分野が違う音楽のマーラーの交響曲で例えるならば、第6番「悲劇的」の完成度と内容に類似している。名曲の「復活」や「第9番」とは別格の完成度を構築した交響曲「悲劇的」の世界観に、溝口映画の厳しさが当て嵌まるのだ。
依田義賢の脚本が完璧である。数多くの溝口作品の脚本を手掛けた依田義賢の最高傑作であろう。身分制度に逆らう男女の立場の違いで、どのように追い詰めらていくのかを段階的に描き、愛を成就する人間暴露の真実性に到達している。茂兵衛が死ぬ覚悟で呟く愛の告白で、おさんが生きたいと翻意する場面が凄い。そこからの溝口演出の厳しさが更に増し、足を怪我したおさんを残し山を下る茂兵衛と、彼を追い掛け叱るおさんの男と女の姿。身分制度の中の男女逆転の優位性から導き出され描かれた、男と女の愛の情念の違いとズレが見事に表現されている。
長谷川一夫と香川京子の演技が素晴らしい。特に長谷川一夫はミスキャストであるにも関わらず、名演であり白眉であり魅力的である。演技論を超越した境地にある。その成果は、作品の様式美を高め、映画的な効果より日本的な舞台芸術の繊細さを堪能させてくれる。内心はきめ細かく表現は強く大胆な演技が、溝口映画で遺産となる。
改めて、宮川一夫の撮影、水谷浩の美術、早坂文雄の音楽など充実したスタッフの舞台背景と効果の素晴らしさ。すべてが溝口演出に同調し、高いレベルで完成された作品と評価したい。戦後の日本映画を代表する映画ベストには、小津の「東京物語」と溝口の「西鶴一代女」、そして、この「近松物語」を挙げたいと思う。
原作を知っていて、文楽を観ていたとしても、さらにその上をいく映像を作り出しています
腰抜けました
中盤からは強烈に心をわしづかみにされてしまいました
茶屋から逃げ出したにもかかわらず、倒れたおさんににじり寄り抱き合ってしまうシーン
おさんの実家の庭で再会して抱き合うシーン
心が熱くなり震えるとはこのことです
物語は300年近い昔の実話です
当時の一大スキャンダルですから、それを事件の三年後に人気作家の井原西鶴が実録小説化します
これが大ベストセラーになったので、さらにその小説の30年後に近松門左衛門が今度は文楽として上演します
今ならベストセラー小説の映画化みたいな流れです
当然、文楽用にこのとき西鶴の原作をかなり脚色しています
本作は題名にある通り、近松の文楽の脚本の方を原作にしています
なので本作は西鶴からすると250年後の2度目の映画化みたいなものです
というか、近松門左衛門の文楽のリメイク版というべきでしょうか
それともアニメの実写版に相当すると言うべきでしょうか
不倫はしてはいけない
こんなことは誰でも思っています
まして不倫が死刑の江戸時代なら固く固く自分に言い聞かせているはずです
しかし誰もがそう思っていても、そこは男女ですから、好意は芽生えてしまいます
それは心の底のことで表面にはでて来ません
そのまま忙しい日常の中で、いつしか忘れ去られてしまうものです
それがふとした弾みからあれよあれよという間に
花火のように火花を発して燃え上がってしまう
断ち切ろうとする想いが、蜘蛛の糸に絡み取られたか蟻地獄にはまったかのように、もがけばもがくほど忘れられなくなるのです
甘美な熱情が理性を失わせるのです
体をしびれさせる毒をあおったようなものです
だから誰にでも突然起こるかも知れないのです
だからこの物語は古今も洋の東西も問わず、普遍性のあるものなのです
それ故に誰もが胸が震える共感を呼ぶのだと思います
この男女の心の機微、原作の物語の巧みさを溝口監督は文楽の世界、つまり人形浄瑠璃という人形劇を、肉体を持つ俳優を使い、実物大のセットとロケ撮影で、想像で補完している文楽の世界を、観客の想像イメージ以上の高いレベルで具象化してみせています
原作を知っていて、文楽を観ていたとしても、さらにその上をいく映像を作り出しているのです
琵琶湖の湖水を夜霧の中を二人の小舟が進むシーンは雨月物語のそれを上回る映像美です
そして肝心の不倫のタブーを乗り越えてしまう、しかしそれもむべないことだと私達観客を納得させてしまう配役が長谷川一夫と香川京子なのです
進藤栄太郎、浪花千栄子もまた名演でした
溝口監督の感情表現演出の素晴らしさ、驚嘆すべき美意識が炸裂していると言えます
香川京子が非常に魅力的に撮られています。 悲劇ではあるが、ハッピー...
香川京子が非常に魅力的に撮られています。
悲劇ではあるが、ハッピーエンドとも捉えられる結末が見事でした。
長谷川一夫はどうも自分には合いませんが。
シェイクスピアのような息詰まる悲劇
何の罪もない男女が、些細なことからあれよあれよと猛烈なスピードで転落していく様が、すごくリアルで、とても60年以上前の作品とは思えません。ところが、誤解と成り行きから始まった道行きが、本物の駆け落ちになってしまうあたりが人間の情念の怖さで、ここがこの作品の普遍的なところなんでしょうね。
命懸けの逃避行
身分の違う男女が駆け落ちする二人の逃避行物語。ただその背景には現代に置き換えれば男女差別やハラスメント問題が多々重なっている。傑作と云われるだけの素晴らしさを感じた。ラストカットも印象深い。
(午前十時の映画祭にて鑑賞)
2018-222
一周回って現代的な話
午前10時の映画祭の作品は
都合が合う限り無条件で観てますが
この作品も「観て良かった!」思う一作。
なんと言ってもモノクロ画面の美しさが秀逸!
YouTubeに午前10時の映画祭を応援する
「事務局オフタイム」と言うコンテンツがあるのですが
その中で解説されている通り
モノクロなのに、大豪商の奥様であるおさんの着物の豪華さ!
金糸銀糸が惜しみなく使われているであろう
大奥上臈並みの豪華な着物の質感まで伝わってきます。
そして物語全般としては、
原作は、言わずもがなの近松門左衛門の戯曲ですが
女性の立場の弱さ、男性社会、階級差別の
弱者への理不尽さは、今も昔も変わらないことを
現代人に突きつけてきます。
その中でも力強く生きて行く一般庶民も印象的で
見応えがあります。
で、月に8回ほど映画館に通う中途半端な映画好きとしては
長谷川一夫は当時の当代随一の色男。
若くて全盛期だった様ですが
私は今作の長谷川一夫よりは、
昨年観た「雪之丞変化」のちょいワルな
長谷川一夫の方が正直好きです。
だから私的には長谷川一夫よりも
相手のおさんを演じる若きの日の香川京子さんが素敵!
この夏の話題のドラマ「この世界の片隅に」で
現代編の鈴さんの娘を演じていた素敵なおばあ様です。
おさんは最初、
実家の都合で自分の父親ほどの相手の後妻に行かされ
その後も婚家と実家の板挟みでなかなか苦しい立場。
それでも、奉公人に気を配り後妻と侮られない様に
頑張って大豪商の奥様を勤めているのですが
それにもかかわらず、
自分を踏みつけにする狡い旦那に腹を立てて
人生に絶望してしまう。
まさにその時!!
生まれて初めて自分自身を純粋に見てくれる人に出会って
劇的に変わって行く。
ああ、女の強さ!発動!!
悲しいけど、そこが良い〜!
そしてラストシーンは〜〜
本当に象徴的ですね〜〜
それと、劇中、小川を渡るところで
着物の奥様をヒョイと抱え上げるシーンがある。
その抱え方が今まで見たことがない!
あれが出来ると、結構モテるかも!
そこだけでもぜひ観てみてください。
@もう一度観るなら?
「数年後にまた企画上映で観たいですね。」
文楽好きなら必見です。
近松作「大経師昔暦」を下敷きに、川口松太郎が戯作化したもの。「おさん茂兵衛」は、落語や浪曲にもあるが若干設定が異なる。
江戸時代の風俗と当時の常識、商家の主従のしきたり、しみったれでイケズな大店の旦那、主人に忠義を尽くしながらも報われない奉公人、借金をこさえながらも懲りない当主、漁夫の利を得ようと画策する同業者、、まさに近松浄瑠璃の世界。もうその設定だけで、最後がどうなるのか、文楽好きには筋道が見えすぎている。見えすぎるから「退屈」なのではなく、見えすぎているからこそ「見届けたい」と思うのが文楽好きの心情か。
華奢に見えたおさんが恋の欲情に燃えて信念の女に変わっていく様、常に控えめだった茂兵衛が我が身を賭してもおさんに惚れ行く一途さ、目が離せなかった。おまけに、今ではどこにもないだろうロケ地や小道具の数々も眼福。
ほかの方が筋書き全部書いちゃっているのが、とにかく最後に群衆の一人(同じ店の下女だった娘)がつぶやく一言が胸に詰まる。その言葉が、報われることのなかった茂兵衛とおさんへの最大級のはなむけだった。
できれば江戸時代という社会を知っていればさらに楽しめます。例えば、主人が腰に差した小刀を刀架にさりげなくかけるのだが、そこで、ああこの家は名字帯刀を許された大店なのだな、と気づくと、そのあとの「商人ならいいかもしれんが、武家なら不義密通は磔だぞ」におののく主人の姿にすっと納得できる。
しかしまあ、小川を渡るときに茂兵衛がしたおさんの抱え方には驚いた。そう、着物では背負うことができないからなあ。
追記(2023.2.5.)
角川シネマ有楽町にて。
はじめてこの映画を劇場で見てから、何度かDVDでも観、近松ものの文楽も観た。そしてこの日、香川京子さんトークイベントありということで、改めて劇場観賞。なぜ、これほどまでに、おさんと茂兵衛の二人に心惹かれるのだろう。これほど純粋に人を好きになれることへの憧れからだろうか。舞台はモノクロの江戸時代であっても、人を好きになってその人のためなら、その人と一緒なら、どうなっても構いやしない、そう突き進むことの尊ささえ感じてしまう。
上映後の香川京子さんは、齢90を過ぎているとは思えぬほどの清楚さと、一線で活躍してきたからこそ漂う気高さに満ちていた。話は溝口監督の人となりや、浪花千恵子さんとの交流など。正直、話の内容云々よりも生の香川さんのおしゃべりが聞けることのありがたさで胸いっぱいだった。
引き算の美学
江戸時代。大商人の以春の元で真面目に働く茂兵衛が風邪を押して床から起き上がる場面からスタートする。以春は女中奉公に出ていたお玉に言い寄っていたが、別宅を持たせると口説いた際に茂兵衛と夫婦約束をしたと言ってしまう。以春の妻であるおさんはカネに困っており、茂兵衛に相談し茂兵衛は以春にカネの無心を願い出る。怒った以春は茂兵衛を罵倒するが、お玉がそれは自分から申し出たことなのだと嘘をつく。おさんはお玉と話をして、以春がお玉に言い寄っていることを知る。おさんの心は以春から離れてしまう。茂兵衛はお玉にお礼を言おうとするが、そこに居たのはおさんだった。ふたりが一緒に居るところを見た同僚は、彼らが不義密通を重ねていると誤解する。ふたりは逃げることになる……これがプロットである。
溝口健二作品を観たのはこれが初めてである。充分に楽しめたかと言われれば答えに詰まってしまうというのが本当のところだ。あまり普段から古い映画を観ないことや、そもそも映画自体を観るようになったのが本当につい最近のことなのでまだまだ楽しみ方を分かっていない……なんてことは言い訳にもならないのだろう。だがもう少し言い訳を重ねれば、私は映画を観るにあたってどうしても「スジ」に目が行ってしまう人間なので映像美を楽しめないという弱みを備えてもいるのだった。その意味で溝口作品ならではの長回しやカット割りといった技法を楽しめたかどうかというと甚だ疑問である。
だが、最初は江戸時代の映画を観慣れていない人間として若干退屈さを感じながら観始めたのだけれど、次第にふたりの逃避行に引きずり込まれてしまったこともまた事実である。長谷川一夫と香川京子の演技が素晴らしい。ふたりが湖の上でいよいよ追い詰められて心中を図る場面があるが、おさんを演じる香川京子はいよいよという時になってそれでもなお生きていたいと願うようになる。不義密通は江戸時代にあっては死刑に処される重罪である(実際にそれを明示するシーンが登場する)。それでもなお生きたいという一途な思いを、迫力ある演技で表現していると思う。
長谷川一夫の演技もまた素晴らしい。男なのだけれど、何処か微妙に色気を感じさせる。男臭いというのではない。むしろ女形が似合いそうな中性的な佇まいを感じるのである。茂兵衛とおさんの関係は、奉公人とその奉公される側の妻という身分的に釣り合わないものである。ここにも前述した不義密通と同じくらい強烈なタブーがある。しかしふたりはそれを超えて愛し合おうとするわけである。その恋の持つ迫力に呑み込まれるようにして観てしまった。なるほどこれは今の目で見ても充分に迫力のある映画だな、と思わされてしまったのだ。
先述したように映画に関しては私はまだまだ素人なので、カメラワークや演出の妙を堪能したとは言い難い。こればかりは他の溝口作品を観て勉強することが肝要となるだろう。だが、これは褒め言葉としてはかなり安直な部類に入るものであることを承知の上で言えば、今の目で見ても全然古く見えない。悲恋の持つ強烈な力を、しかし今の映画の目に慣れた人間からすればむしろ淡々としたタッチで描き切った一作であるなと思わされる。これは早速『雨月物語』などの作品を観なければならないなと思わされてしまった。こんな監督を知らないとはもったいないことをしていたものだ。
最後の最後、ふたりは結局捕まってしまう。そしてふたりは縛られて晒し者にされてしまうわけだが、ふたりは手を固く握って離さない。そこにふたりの強烈な恋愛の証が記されている……先ほどから同じことしか書いていないが、未熟な観衆故にこんなことしか書けないのが限界だと思っていただきたい。ふたりの成り行きは先述したプロットの整理から分かるように半ばほどまでは偶然がもたらした悲劇なのだけれど、途中から彼らは自分から身を投げるようにしてその非業の運命に呑み込まれて行く。江戸時代の封建的な制度の狭苦しさがもたらすその悲劇は、繰り返しになるが本当に悲しい。
そんなところだろうか……いや、思い返してみても(いや思い返せば思い返すほど)この映画の凄味を感じさせられる。無駄なショット、シーン、台詞といったものが一切ない。引き算の美学で余剰を削ぎ落とされたことから生じる、淡々とした中にあって本当に重要な要素だけを説明抜きで抽出した映画だという印象を受けるのだ。だが、これ以上のことはもう語れそうにない。これもまた繰り返しになるが、私の映画鑑賞歴の浅さ故に解釈も必然的に浅はかになってしまうのだった。そんな中途半端な感想を駄文として綴って、この一文を〆たいと思う。
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