旅の重さのレビュー・感想・評価
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スカスカのアイドル映画。人生は旅でも詩でも無い。
私にとって、秋吉久美子さん好きじゃなかった。最後まで見直してその理由が分かった。この映画見て、嫌いになったのかもしれない。
『詩と真実』ゲーテ著 でそう言った結果になるのだろうか?
さて、
なんで日本人はああ言った田舎芝居が好きなのだろうか?
殺陣、踊り、歌、そもそもの芝居が下手なのに、何が良いのか?全く分からない。
オリビア・ハッセー、トレーシー・ハイド、高橋洋子、関根恵子がこの頃の私のアイドルかなぁ。あと、栗田よう子さんがいた。
脱ぎっぷりは高橋洋子凄いかもしれないが、この映画の上映前に『高校生ブルース』の関根恵子の存在があったので、それほど長くは続かなかった。そして
『青い体験』のラウラ・アントネッリを見て、また、外人に戻った。
まぁ、性の目覚めダネ。
高校の修学旅行が、広島、高知、高松、岡山だった。1974年位だと思う。その約10年経って石鎚山へ行った。一人のお坊さんと出会い、一緒に、突然現れたブロッケン現象に祈りを捧げた。一人で山頂にビバークした後、面河渓谷に下山した。旅の重さはなかった。
隠れた傑作
素晴らしい
前半は間延びしてるような感じも受けるが、だんだん引き込まれて行く。
高橋洋子の瑞々しさと(秋吉久美子を差し置いて、監督が選んだのも分かる)、あの時代の空気、脇の役者さん達、どれも素晴らしい。
自分探しというだけでなく、人間の永遠のテーマ・分かり合うことの難しさを、この映画は問うている。
映画はその時代の空気を閉じ込めるものだが、『時をかける少女』と同じくらいに、この映画も高橋洋子とその時代の空気を閉じ込めた傑作映画だと思う。
16才の旅
素 九鬼子のベストセラーの映画化(1972)
その頃の四国の遍路道や自然の美しさ、石垣の漁村などを背景に 少女(高橋洋子)の旅が叙情的に描かれる
作者がこれを完成させたのは 1964年らしく、そのモノローグと物語展開に その時代の文学少女的な青くささ、みたいなものも感じた
(結婚後の執筆だけどね)
遍路道の周辺の人々の温情に甘えながらも、結局は誰かの庇護の下に入らないと生きられない16才
母とその男を嫌悪しながら、でもファザコン気味である彼女は 旅芸人の座長(三国)に好意を持ち、媚びるが冷たくされる
また その無意識の媚びは、別のトラブルを招き 座員の女の怒りをかう
奔放な政子(横山リエ)との交流や 美しい自然の中で 性の解放を夢見たりもするが、そんなものは有りはしない
(女であることの負担ばかり)
語り合えそうだった 漁村の文学少女加代(秋吉久美子)の自死
どうしようもない無力感を 魚の行商人木村(高橋悦史)に救われた形なのに、母には自ら選び取ったような自慢気な手紙を書いたりする
16才の早熟な少女の 精神と肉体のアンビバレンツ
すっかりオバサンになった私は この結末にふと
〈割れ鍋に綴じ蓋〉という諺を思い浮かべてしまいました
吉田拓郎の歌が懐かしかったです
「私はこの重さを嫌ってるんじゃないの」
コジキ遍路を16歳の女の子がするという、今でも、あるいは当時でも珍しいヘンテコ道中記。ホントにその辺で寝て野宿してる。このおぼこさ、垢抜けさはオーディションで蹴落とした秋吉久美子でなくてやはり正解だったのでは。三國連太郎御大のたるみまくった半裸が拝めます。
作中のセリフは、中年の凡夫の私に突き刺さるものがありました。人生そのものの旅の重さ。
「何かが肩の上にどさっとのしかかってるみたいで……重い、…重いの。これは、そう、旅の重さ……旅の重さなんだわ。でも、私はこの重さを嫌ってるんじゃない。これを感じなくなったら、おしまいとさえ思ってるの……。
……だけど…重いわ。……辛いわ…」
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