太陽を盗んだ男のレビュー・感想・評価
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猛毒爆弾
菅原文太さんが死去された頃に、日本映画専門チャンネルで特集で放映されたと思うが、沢田研二主演の『太陽を盗んだ男』。赤か黒かどちらかの線を切らなければ東京都心で原発が爆発する交換条件に5億円をビルの屋上からばらまけという犯人の指示を警察がしたところ、もしかしたらすぐに原爆が爆発するかも知れないにばらまけれた5億円に熱狂して拾い集めようとする群集のシーン。これは何か多くを表していたように思う。1979年にハリウッド級に荒唐無稽なアクション映画が製作されていたのだが、池上季実子はわざわざ精神を病んだ犯人に接近して怖くないところが、堂々たるフィクションである。以前海に突き落とされていたのに。それで敵か味方かわからない不可解な女をみせる。敵でもあり味方でもあったということなのか。カーチェイスの場面が哀愁ある音楽になる所なども気になる。犯人の心理を問うのも何か大きい所があるのかも知れないが、アクションとサスペンス映画としても、ハラハラする。東宝映画だが、角川映画の『野性の証明』のようなのも思い出した。だいたい、菅原文太はあんなに上空のヘリコプターから飛び降りたら現実なら即死なのだが、重傷を負いながらも迫っていった。沢田研二も原爆を作る過程で被ばくしていて、症状が出て来る。楽しく遊んでいる子どもたちのプールに犯人が放射性物質の破片というのか、それらを入れてしまい、公害で仰向けに浮いてしまった魚たちのようになるイメージが出てきて、犯人まで一緒に浮いているような場面があった。これはわかりにくい。大体、猛毒の放射性物質は茨城県の東海村から盗み出したのだった。なぜヘリコプターで追った所で逃げられて、ローリングストーンズが来日した場面に移れたのか現実ではないのだが現実的ではない。後に、菅原文太さんも沢田研二さんも反原発の姿勢を打ち出している。この映画の影響もあるのだろうか。この映画の長谷川という監督は、この作品以降映画監督をしていないという。被ばく二世だという。なにかしらそういう所に本音があるのか。菅原文太が最後にあんなに撃たれたのにどうしてまだ闘えたのかも現実では無いのだが。そして、最悪の結末を予感させて終えた。ネタバレだらけに書いてしまった。
ただ衝動だけがあった
長谷川和彦監督作。寡作な監督でこの映画以降撮っていない。狂気とコメディ、アクションが混在するいい意味で狂っている傑作。脚本はバイリンガルで日米両方で書いていたレナード・シュレーダー。音楽は井上バンドで主演は人気絶頂の沢田研二と東映の顔役菅原文太。
主人公城戸誠はバスジャック事件で山下警部の揺るぎない正義を目の当たりにし、自分というものを失ってしまった。空虚さを埋めるために誠は愛と狂気を込めて原子力爆弾の製造を進めていく。何がしたいかも分からず純粋に禁忌を犯していってしまう。作ることが目的であってその先には何もないのだ。何を考えているか分からない誠を沢田研二が熱演している。
アトムを歌いながら原爆を作り、猫の死を悲しむ。とことん純粋。狂人へと変貌していく誠は沢田研二が演じているだけあって美しいの一言。変わらない日常とのギャップが鮮烈でカメラワークも秀逸。キューブリックぽい画作りだったり、コメディありと全編飽きない。
音楽も秒針の音やガイガーカウンターの音が効果的に使われ緊張感が凄まじい。スコアもよくて当時の空気感が伝わってくる。
同士を求め続けたた哀しい男、何と戦うかも知らず何をしたいのかもわからないままだった。被爆し朽ちていく自らの身体とは対照的に衝動だけはあった。既にこの街は死んでいたのだ。何もない、ただ何もなかった。
70年代の東京の風景がふんだんに映されていて、その雰囲気と沢田研二...
ジュリー文太
希望。
こんな映画を今は作れないのかな〜
素晴らしかった
猫しか友達がいないのに、その猫も死んでしまって可哀想だった。なんでそこまで孤独なのか、多分周囲の人間が全員バカだと思っていたのだろう。
一心不乱に原爆をDIYしている時が最も幸福そうだった。
以前にVHSで見た時は菅原文太の不死身ぶりが常軌を逸していると思ったのだが、改めてみたらこれはこれでありかなと思った。ヘリに捕まって現れて銃を乱射して落下するところは驚いた。
圧倒的なスケールで、これでもかとスクリーン全体が叫びをあげるような、言いたいことをすべてぶちまけたような映画で、これ以降長谷川監督が映画を撮れなくなってしまったことも仕方がないと思えた。スクリーンで見れてよかった。
邦画至上最高のスケール感!!
ゴジよ、また映画を撮っておくれ
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