大魔神逆襲のレビュー・感想・評価
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【自然を司る大魔神、悪逆非道なる村人を酷使する飛騨守を刃で成敗。成敗シーンはスカッとします。”シン大魔神”を庵野監督、製作してくれないかなあ。ヒットすると思うんですけど、どうでしょう。】
■荒川飛騨守の命令で地獄谷での武器作りに狩りだされた瓜生の村人たちは、隙あらば逃げだしたいところだが、祟りを恐れられている魔神の山を越えねばならず、しかも飛騨守の軍勢が警護を固めている。そんななか、4人の少年は村人を救出すべく魔神の山を越え地獄谷に向かう。
◆感想
・今から50年以上前とは思えない、美しい自然描写と特撮の組み合わせが巧い。
・今作では村人を救出すべく魔人の山を命懸けで超え、神に祈る子供達がメインである。
ー 雪の中で遭難しかけた子供達の願い。-
■面白くって、3作を一気に観てしまったシリーズである。
●大魔神あるある
1.前半は埴輪みたいな穏やかな表情で、民が酷い目に会っていてもナカナカ出現しない。早く出て来てよ!、と思いながら見ているのだが、焦らし方が特撮映画あるあるである。
2.女性の涙や、子供の祈りに弱い。で、よーやく大魔神になるのである。
大人の民が酷い目に会っているのに・・。
3.一番悪い奴を最後までドシンドシンと追いかけ、止めを刺す。
- ナント、本作では腰の剣を抜いて、飛騨守の胸に突き立てるのである。
大魔神は、悪者を刺すのがお好きなのである。
4.そして、全てが終わると散って行くのである。
<大魔神3部作シリーズは1966年に作られているそうである。一年にナント三本!。コスパ良しである。
”シン大魔神”を庵野監督、製作してくれないかなあ・・。ヒットすると思うんですけど、どうでしょう。>
アバター
前作までは、清らかな乙女の涙と祈りに動いた大魔神。今作はいたいけなこどものために動いた。そして、アバター的な鷹が、大魔神のレーダーとなる。
悪役が前作よりもいやらしい。刀で斬るならまだ武士っぽいが、硫黄の池に突き落とすとか、最低だよ。そんなんだから、最期も大魔神に直接手を下されるのだ。
こどもたちが、山に川に厳しいロケをがんばった。いかだの川下りは、マジで怖そうだった。一番小さい子は、嵐の大野くんにちょっと似てる。
BS日テレの放送を録画で。
大魔神のかっこよさ
吹雪の中に立つ大魔神が秀逸。単に怒りだけで動いているのではないというのが強烈に感じられる素晴らしい画だった。途中の展開はなかなか辛いところがあったが、その分魔神の見え方にも変化が出てきて、深みが増してとても良かった。
GYAO!
初めて刀を抜きました
オプションに鷹も付いてます。
主役は子ども四人。
揉めている隣国に連れ去られ強制労働させられている木こりの子ども達が“魔神のお山”を越えて親を助けに行くお話です。
過去2作品に比べて、特撮の技術、破壊シーンのアグレッシブさは向上しています。
冒頭の災害シーン(荒神さまのお怒り)は中々の迫力です。手を降り脚を踏みしめるだけで自然災害のオンパレードが発生するのを見ると気分で大魔神が山で暴れているのを想像してしまいました。
(ノ`Д´)==』オラァ~
ですが、何でしょう…神様が怒って天誅喰らわすのはパターンですが、理由が“父ちゃんたちを救いに山越えした子どもの願い” と言う…。
勿論、飛騨守さまも酷いことは酷いのですが、過去2作品の様に直接魔神像に何かした訳でもなく、子どもの願いに呼応していきなり襲われた飛騨守からすれば「あれは何だ?」しかないので、大魔神が罰を与えるギミックとしての役割しかないのがちょいもの足りません。
では物語の中心はと言うと、鶴吉(賢い)、金太(堅実で論理的)、大作(大柄で鈍いが腕力あり)、杉坊(穏行のセンスあり)の山登りアスレチックです。
杉坊が単なる足手まといでなく、笑える活躍もあるので面白みがありますが、それだけで作品が良くなる訳でもありません。
過去の2作品が時代劇らしい重厚さを見せていたのが、子どもが主役になり一気に物語の流れが切れ切れになりもうひとつ乗りきれませんでした。
唐突に抜かれた宝剣も“抜けるんだ?”と驚きはしたものの、こんなので刺したら人間真っ二つになりそうだけど、飛騨守いけてたなぁ。
お山に雪が降り積もるシーンから、今作の大魔神は雪で締める感じでしたが、前作の水ほどハマった気はしませんでした。
大魔神シリーズ…続かなかった理由は客層の設定を失敗したのかな?
ガメラは子どもの味方だったけど、それによせたのかな?
大魔神完結編
2019年5月19日 #大魔神逆襲 鑑賞
3部作の最終作。今作は子供が主人公です。大魔神が雪の魔神として雪の中から現れ粉雪となって消えていきます。魔神の使いとして大鷹が登場し、魔神が宝剣を抜きます。マイナーチェンジしつつ、しかも魔神の人間性が出てきた感じでした。
大魔神シリーズ打ち切りはクォリティーダウンが原因ではありません
大魔神シリーズ第三作
第一作 大魔神 1966年4月 安田公義監督
併映 大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン
第二作 大魔神怒る 同年8月 三隅研次監督
併映 座頭市海を渡る
第三作 大魔神逆襲 同年12月 森一生監督
併映 無し 冬休み前に公開終了
たった1年で三作も公開すればさすがにあきます
内容的にもパターンが固定されるので二作目にしてマンネリ感が有ります
如何に第一作がヒットして好評であったとしてもこれではコンテンツの消費が激しいと言わざるを得ません
大魔神シリーズは一年に三作も製作されてクォリティーダウンが激しく、第三作で打ち切りとなったとの記述を良く目にします
しかしシリーズ三作を全作観た人ならクォリティーのダウンが原因ではないと断言できるはずです
真の原因は調子にのって短期間に連続して製作したことです
これではどんな良コンテンツであっても、消耗してしまうのは当然です
大魔神シリーズの監督はそうそうたる名監督ばかりですが、これではいかな名監督でも流石に長く続けるシリーズにはできない相談というものです
本作の森一生監督も傑作の多い名監督です
本作では子供がメインに据えられていますが、それは単に子供だましでお茶を濁そうとしたいい加減な製作態度ではなく、森監督なりの新味を出すための工夫だったのです
村の子供4人の冒険はスタンドバイミーを思わせます
子供のリーダーはマグマ大使のガム少年です!
どうりでどこかで視た話し方だと思いました
本作に出演の為にマグマ大使のガム役が一時的に交代したそうです
長年の疑問が解けました
結局、大魔神シリーズは本作で終了して良かったのかも知れません
これ以上続けていれば、本当にクォリティーダウンになっていたはずです
大映の京都撮影所の特撮映画は、これ以降妖怪映画に活路を見いだす事になります
冬山の雪崩、洪水、干ばつ、地震・・・すべての天変地異は荒神様がお...
冬山の雪崩、洪水、干ばつ、地震・・・すべての天変地異は荒神様がお怒りになったこと。今三作目は雪山の吹雪の中から現れる大魔神。
少年たちはつらい山越えを始める。山の入り口では老婆(北林谷栄)が止めるものの、隠れて山へと向かう。魔神の石像にお祈りをして、強制労働させられている父親たちを救うため進むのだ。
雪になり、侍の追手からも逃げ延びた子供たちだったが、1人が川に流され、2人が寒さのせいで眠ってしまいそうになる。鶴吉(二宮)だけは無事だったが、魔神に祈りを捧げて身を投げる。すると、魔神が動き出し、地獄谷へと足を進めるのだった。
なぜだか怒りが足りない。強制労働にしても、それほど酷い扱いを受けてないような気もするし、硫黄の泉に放り込まれた男だって、逃げ出そうとした罰だったし、そんなことまで大魔神は知る由もなし・・・やはり子供が身を投げてまで救いを求めたという理由か。
大魔神3号はパワーアップ、テレポートに剣も抜く。さしずめV3(仮面...
大魔神3号はパワーアップ、テレポートに剣も抜く。さしずめV3(仮面ライダーか!)
今回はヒロイン不在。代わりに美形少年。その道に走ったのか大魔神。確かにこの子役はなかなか、と思ったらマグマ大使のガムじゃねえか、なんと懐かしい。あっさり引退してしまったようだが、今何してるのやら、あの人は今、とかでやってほしい(笑)
お話は安定の面白さ。しかし、やはりヒロイン不在が響いたのか、今回が最終作となってしまった。なんとも残念。
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