大日本帝国のレビュー・感想・評価
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情緒過多演出でみせる日本人の特質
太平洋戦争の開戦前から極東軍事裁判を経て東條英機の絞首刑まで、前線の兵士の様子、残された家族の様子、意思決定者たちの様子を交互に描いていきます。
主要登場人物は4人の男と3人の女。
男1:岩手生まれの陸軍少尉、小田島剛一(三浦友和)
女1:サイパンの沖縄料理屋の女、国吉靖子(佳那晃子)
やさしいイケメンの小田島は本作の中で唯一の理性代表です。ただ、これまでどんな困難な局面でも冷静だった彼も、最後の最後で自分を見失い自滅してしまいます。若い小田島は最期の地サイパンで沖縄出身の女、靖子と契を結びますが靖子は敵に見つかり自決してしまいます。
男2:元床屋の兵隊、小林幸吉(あおい輝彦)
女2:妻、新井美代(関根恵子)
小林は一般庶民代表です。戦場の過酷な現実を、家族を支えに生き延びます。厳しい戦中戦後を生きる肝っ玉母ちゃん美代を関根恵子が熱演しています。
男3:京大の文系学生、江上孝(篠田三郎)
女3:恋人、柏木京子・フィリピン人マリア(二役、夏目雅子)
江上はインテリイケメン代表です。同じクリスチャンの美人病弱絵描き、京子と恋仲に。二人はのんびり京都を婚前旅行(あんな時代にそんなことが出来たのか疑問ですが)。その思い出を胸に彼は自ら軍隊へ志願入隊し、特攻隊へ配属されます。現地では京子と瓜二つのフィリピン女性マリアと恋仲に。さすがインテリイケメンです。英語もペラペラです。戦後に簡易裁判で戦犯とされ銃殺刑に。
男4:開戦時の総理大臣、東条英機(丹波哲郎)
さすがにエリート軍人であるだけに、人前で感情は見せず、抑制した態度を保ちます。ただ、自分の家で一人になると、畳に端座してむせび泣きます。「お上」に忠誠を尽くすこと、それが軍人である彼の行動原理です。「お上」を守るため、すべての責任を一身に背負って死刑台の階段を登ります。「なむあみだぶつ…」と低く繰り返す彼の声が耳にこびりつきます。そんな東條英機を名優丹波哲郎が大熱演。彼の登場シーンだけは、本作に重みと冷静さが感じられます。
最後の御前会議。ポツダム宣言受諾と敗戦を受け入れる天皇の言葉に揃った閣僚たちはむせび泣き。天皇自身もそっと涙を拭います。大日本帝国の意思決定は「感情≫理性」を象徴するシーンでした。
本作には冷静に合理的に理性的に物事を判断するリーダーは出て来ません。みな熱く叫び、感涙に咽び、暑苦しい顔のどアップで情緒に流されていきます。彼らの言動を見ていると、みんな「感情にまかせて突っ走る」ひとばかり。もし戦争がなかったとしたら、彼らに大日本帝国憲法の改正はできたでしょうか。そんなこと言ったら暗殺されそうです。当時の日本人に自分たちの力で憲法を改正するなんて、きっとできなかったでしょう。外圧がなければ日本社会は変われないのかも知れません。
戦争は人を大量に動員する必要があり、そのためには理性よりも情緒に訴えかけます。音楽、軍歌が有効です。映画も観客を大量に動員する必要があり、そのためには大衆の情緒に訴えます。五木ひろしが有効です。満開の桜に重なる勇壮な音楽で始まる本作は、冒頭から日本人の情緒を刺激しまくりの演出です。戦争と映画、目的は違えど、情緒で人を大量に動かす点は似ています。戦後42年たって日本映画が戦争を描くとき、やっぱりべたべたの情緒まみれになってしまうのは、本質的にわれわれは戦争当時とそんなに変わっていない、ということかも知れません。
天皇の戦争責任や反戦思想や右や左からの批判や、いろんな見方がされる本作ですが、基本的には人物像に過剰な脚色を加え、日本人の情緒に訴えることに成功した大衆娯楽映画です。リアリズムは犠牲になっており、真面目な歴史的考察に耐えうるようなものではないと思います。ただ言えるのは、感情と理性のバランスを保つことが大切だと言うことです。特に国のリーダーと映画監督たちは。
天皇陛下を信崇していた時代の過酷な運命をたどった青春群像
戦争映画が多いが、天皇が登場する作品は少ない。 天皇のほかに東条英機も登場し、零戦や真珠湾攻撃の映像もある。 勝者が敗者を裁く東京裁判(連合国による国際裁判)についても考えさせられる。 今作は、「太平洋戦争を一言で要約すると“天皇の軍隊の戦争であった”。軍隊といっても単に職業軍人だけを指すのではなく、日本人全体という意味である。登場人物すべてがなんらかの面で天皇とかかわるような設定で考えた」と、脚本を書いた笹原和夫氏がパンフレットで語っている。 本編3時間の中で三つの青春がピックアップされている。 柏木京子(夏目雅子)と江上孝(篠田三郎)...夏目雅子さんが二役していて凄い。 新井美代(関根恵子)と小林幸吉(あおい輝彦)...関根恵子さんの体を張った演技が良い。 国吉靖子(佳那晃子)と小田島剛一(三浦友和)...佳那晃子さんの演技もすばらしい。 とりわけ女優三名の演技が抜群で見応えがある。 五木ひろしが作曲している主題歌の『契り』。 五木ひろしの歌声を聞いていたら、子供のころ祖母にお願いされてカセットテープをダビングした記憶が蘇った。
本作は決して右翼的な映画でも、左翼に偏向した映画でもありません そこが右翼からも左翼からも評価されない作品になっている原因であると思います
東映の戦史映画三部作の第二作 第一作「二百三高地」 1980年8月 第二作「大日本帝国」 1982年8月 第三作「日本海大海戦 海ゆかば」 1983年6月 三作とも監督舛田利雄、脚本笠原和夫です 1981年公開作品が無いのは、その年に東宝が連合艦隊を公開したため競合を回避したそうです 東宝8.15シリーズは、1967年から1972年まで6年間続いたことになっています この6作品です 1967年「日本のいちばん長い日」 1968年「連合艦隊司令長官山本五十六」 1969年「日本海大海戦」 1970年「激動の昭和史軍閥」 1971年「激動の昭和史沖縄決戦」 1972年「激動の昭和史海軍特別年少兵」 ところが、そのあと断続的に戦争映画が三作品公開されています 1976年10月2日「大空のサムライ」 1981年8月8日「連合艦隊」 1984年8月11日「零戦燃ゆ」 連合艦隊と零戦燃ゆは8月公開であるので東宝8. 15シリーズに入れている人もいるようです 大空のサムライは1972年に発行されてロングセラーになった太平洋戦争のエースパイロット坂井三郎の自叙伝を映画化したもので、おそらく当の東宝も単発企画と考えていたでしょう 公開日も10月です 東映も、もう東宝が戦争映画を出さないだろうと思い込んだのでしょう そこで4年空けた1980年に二百三高地を公開したところ大ヒットしました そこで連続して次回作である本作を企画したところ、なんと逆に東映の二百三高地の成功をみて東宝が連合艦隊を出してきたのです 結果的に驚いた東映が競合を回避したという経緯であると思われます 本作のテーマはずばり、戦争責任です 東条英樹をメインに、サブに様々な人物を配してそれを描いていきます 脚本は笠原和夫は、軍閥の脚本を書いた笠原良三の弟子です(同姓でも縁戚関係ではないそうです) なので本作の内容は、軍閥を補完する内容となっています 昭和天皇に戦争責任はあったのか? 終戦の判断は遅すぎではなかったのか? 一般の兵隊や国民には戦争責任は無いのか? 大日本帝国が目指したことは本当に侵略戦争であったのか? 本作はそれを徹底的にえぐり出そうとしています 本作はそれらの答えに補助線は示しますが、断定して押し付けようとはしないところは好感は持つ事ができました それぞれの答えは本作を観た私達がそれぞれに考えるべきことです 天皇陛下陛下万歳と叫んで死んでいく日本兵が何人も登場します 終盤の戦犯の銃殺刑執行シーンもそれです 本作の意図は明らかに戦争責任は天皇にこそあるのだと主張しているように一見みえます しかし一方で、天皇陛下の戦争責任は明確に否定していると思われる描き方もされています 軍閥においても、戦争回避、終戦を模索されたのは天皇陛下ただお一人であったことが描かれています 本作においては、さらに踏み込んで御前会議で陛下には発言が憲法によって許されていなかったことが明らかにされており、それを破ってでも戦争回避と終戦の意志をお示しされたことを明確にしています つまり、本作は決して右翼的な映画でも、左翼に偏向した映画でもありません そこが右翼からも左翼からも評価されない作品になっている原因であると思います シンガポール攻略戦においては、欧米諸国の植民地支配からアジアを解放する戦いであるという大日本帝国の建て前が、現地の人々から支持されていなかった現実を描いています サイパン玉砕の悲劇をたっぷりと時間を割いて描かれています 沖縄戦の悲劇は1年も前にサイパンにおいて起こっていたのです この時点で戦争の勝敗は決していたのです サイパンが失陥すると日本本土が空襲を受けることが明白であることは分かっていたのです だから絶対的国防圏と呼称して必死に戦ったのです ここで終戦していればどうだったでしょうか? これ以降のフィリピンの攻防での大量の餓死、特攻隊の出撃、沖縄戦の悲劇、本土空襲の悲惨、原爆の地獄は、全て防ぎ得たのです ラストシーンで復員を果たした兵隊は、あのサイパンで俺が還らなかったら、お前が住民を連れて降伏しろと命令を受けた兵隊です 彼の職業は散髪屋です そうです、もちろん東宝の沖縄決戦で、田中邦衛が演じた司令部付きの散髪屋を受けているのです ここで終戦を図るべきであったのは明白です サイパンのシークエンスは東宝の沖縄決戦への回答であったと思います 当然の帰結だったのだ サイパンで答えがでていたのだという主張です 洞窟に立てこもる兵隊と住民達 降伏を呼びかける米軍の声 無視する日本人達 仕方なく投げ込まれる手榴弾、そして銃撃 それは沖縄や本土で決戦を挑もうとしている日本の運命の縮図そのものだったのです かって反戦的な考えをもっていた人物が、フィリピン戦の敗走においては、現地民を理不尽に殺害する部下を止めず黙認した人物として描かれています そのような人物であっても、結局戦争を支持して協力していたのは国民であったことを描いています バツの悪いことでも事実だと思います それでも国民もまたこの戦争を支持して始めたのは間違いないことです そしてなかなか負けを認めようとしなかったのは、国民も同じだったのです 知らされていなかったから? かも知れません 本作はそれを主張しています 果たしてそれだけであったのでしょうか? 国民が負けを本当に認めるのは、自分の身の回りに戦災が降りかかってからではなかったかと思われます だから特攻隊員は、次々に自ら戦死してそれぞれの家族に痛みを直接伝えることによって、早く国民に負ける心構えを無意識に作ろうとしていたのでないでしょうか? 彼らは負ける為に死んでいったのだと思います 様々なことを本作を観て考える事でしょう 右にも、左にも偏らず、自分の考えで太平洋戦争とは何であったのか? 大日本帝国とは何であったのか? そこを考えることは、21世紀の日本がこれから困難な時代に入ろうというときに本作を見直す意義は大いにあると思います 是非軍閥と合わせてご覧下さい
東宝8.15シリーズとは一味違う
天皇の戦争責任にあえて切り込んだり指導者が全責任を引っ被ったという論調など、「あゝ決戦航空隊」と主張が似ているなと思ったら、脚本が同じ人だった。 2回目鑑賞だが、前回より深く重く感じた。東宝映画が特撮で爽快アクションに走るのとは対照的。 関根恵子のバストは吹き替えらしいので盛り上がり過ぎないよう注意。それはともかく真珠湾攻撃シーンを丸ごと「トラトラトラ」から拝借しているのは日本映画人の矜持としてはいかがなものか……
公開時の「切実さ」が感じられる。
とにかく「あの戦争は何だったのか?」という問いかけと本作なりの答えが痛烈に描かれていて、映画だから娯楽ではあるのだろうが、見ていて「楽しい」とは思えない…が、その切実さが当時ならではの素晴らしさだと思う。 見ごたえはあったし、考えさせられる所も多かった。 それにしても、純粋な作劇論として言わせてもらえば、エピソードは絞った方が良かったんじゃないかな、という気はする。 まあ、作り手の情念的には全て必要なエピソードなのだろうけどね…(汗)
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