劇場公開日 1964年6月3日

「本作は日本で数年早く撮られたアメリカンニューシネマであると思えば理解が早いかも知れません」大殺陣 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5本作は日本で数年早く撮られたアメリカンニューシネマであると思えば理解が早いかも知れません

2025年5月24日
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鑑賞方法:VOD

大殺陣
1964年6月公開
東映、白黒作品
監督工藤栄一

圧倒的につまらない
カタルシスもない
何をいいたいのか皆目分からない
終盤の暗殺襲撃シーンの迫力だけは確かに迫力があり、ようやく観るに値したと、それまでの辛抱が報われます
序盤の老中側のテロリスト容疑者一斉検挙に向けての手順確認シーンなどはリアリティ重視の作品であると明確に主張していて、これは期待できそうだと思えたのに、中盤に向かってテロリスト側の描写になるにしたがって急速につまらなくなります
十三人の刺客のような綿密な襲撃側の計画と防備側の作戦との頭脳戦が有るわけでもなく、登場人物の誰にも観客は感情移入ができないのです
しかし、脚本は検挙を逃れて潜伏するテロリスト側に感情移入させようとするのですが、なんら共感できないまま、終盤の「大殺陣」に突入します
その殺陣すら画面の迫力はものすごく、お約束のチャンバラではない映像を観せてくれますが、斬られるのは非武装の中間(武士ではなく、行列の為に雇い入れられた町人)ばかりの一方的な殺戮なのです
画面の恐るべき迫力には瞠目させられても、観客にはカタルシスはないのです
この内容では、本作のタイトルが「大殺陣」なのは、そうとしか表現のしようが無いとさじを投げたものだとわかります

結末は体制側が慢心をつかれ敗北
し、反体制側が勝利してもなお、観客は置いておかれます
老中の発狂シーンは後年の「柳生一族の陰謀」でオマージュされているように印象的ではあっても、観客は置いておかれたままエンドマークを迎えてしまうのです
テロップがでても、ふーん、やっぱりそうなったのかというだけのなんの感慨ももたらさないのです

つまり、本作には、従来の時代劇のような勧善懲悪も、舞踊のような様式美の殺陣も排して、現代に通ずるリアリティに立脚した時代劇を確立するのだという意欲に溢れている作品であった訳です
そこが本作の画期的な点なのだと思います
しかし、本作の現代性とは、大衆は反体制を無条件に支持し熱狂するものだということに立脚しているのです
反体制側の辛苦や、女性は身体をなげうち、父親は妻や幼い子供達を斬ってまで反体制闘争に心血を注ぐ姿に大衆は深く共感し感動もし、熱狂して支持するのは当然だという姿勢なのです

脚本が要求するような反体制側の立場に立って観客が本作を観るならば、もしかしたら大きなカタルシスが訪れるのかも知れません
しかし結果は、まるで不発に終わった60年安保闘争のように、大衆の心は動かなかったのです

前作の十三人の刺客が体制側に立脚した物語であったことへの反省が本作をこのようにしたのかもしれません

しかし工藤監督の3年後の「十一人の侍」では、大幅な起動修正が行われて、体制側への反体制闘争という視点は排除され娯楽映画として徹底されることになります
その作品での吉原での襲撃未遂シーンは本作からロングパスであったと思います

本作は日本で数年早く撮られたアメリカンニューシネマであると思えば理解が早いかも知れません
1968年2月日本公開の「俺たちに明日は無い」とか1970年2月日本公開の「明日に向かって撃て」の時代劇版だったのかも知れません

あき240
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