「「凶暴」の前後にある「静穏」」その男、凶暴につき すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
「凶暴」の前後にある「静穏」
○作品全体
「凶暴」そのものの破天荒さよりもその前後にある「静穏」が印象的だった。
例えば冒頭のシーン。ホームレスに襲いかかる「凶暴」の前にはぼーっと座るホームレスの「静穏」。そして「凶暴」が過ぎ去った後の「静穏」。そこには本来誰にでもあるはずの静穏があって、蹂躙していった凶暴の恐怖が際立つ。単に暴力の派手さ、キャッチーさ、映像的な見栄えを意識しているのであれば見過ごすであろう、普通の人の生活の音、「静音」に存在感があった。
「凶暴」が「狂気」に見えないのは、おそらく私たちの生活に近い場所に我妻が存在しているように感じるからだろう。同僚に冗談を言って、後輩をからかう。親しい目上の人間の前ではぺこぺこと頭を下げる。岩城に返事をする我妻のかしこまった「はい…はい…」という返事は自分にも身に覚えがあるし、生っぽさを感じる芝居だった。その静かな態度も「凶暴」とはギャップがある「静穏」であった。
なにより仕事に対して強引な近道をして解決しようとする我妻の姿は、逸脱行為とは思いながらも「確かにそうすれば仕事楽なんだよなぁ」と納得してしまう自分も居た。
以前本作を見た時はラストの新開のセリフ「どいつもこいつもキ○ガイだ」に頷く気持ちしかなかったが、今の自分は我妻の振る舞いに羨ましさも感じる。屁理屈をこねるDV夫や薬の売人に問答無用で叩き込む「凶暴」の明朗快活さは、「静穏」に浸かってしまった自分には持ち得ないから。
ラストは悲惨としか言いようがないが、近道が多い我妻の生き様は、ちょっぴり羨ましい。
○カメラワークとか
・画面内を意図的に狭める演出が面白い。清弘が柄本(遠藤憲一若い!)と対峙するカットは真ん中に遮蔽物を作って画面分割。
ラストのシーンは圧巻だった。我妻が倉庫に入ってきたところのカットで光がスポットライトのように清弘の方へ狭まっていく。クライマックスの勝負、その緊張感が伝わってくる視界の狭さにも似ている。
全てが終わった後に、新開が倉庫の灯りをつけるとその倉庫の広さが強調される。カメラに映る世界は我妻と清弘、その二人を直線で結んだ極々狭い世界でしかなかったのに、全てが終わった後は倉庫の広さによってすごく小さな世界だったことに気付かされる。全員が死んで、なにも残らなかった世界の無情さが一気に押し寄せてくる。強烈なラストだった。
○その他
・みんな若い。武が全力疾走で走ってるの見ると、最近のザ・おじいちゃんな感じとギャップがあって驚く。
映画.com、キ○ガイって書けなかったんだ…