「父は自衛隊員で戦国時代にタイムスリップ」戦国自衛隊 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
父は自衛隊員で戦国時代にタイムスリップ
半村良のSF小説を映画化した1979年の作品。
以前、リメイク版の『~1549』でも書いたが、当時の角川映画の破天荒さ、スケールを象徴する大作。
いや、70年~80年代どころか、今尚『犬神家の一族』と双璧を成す角川映画の看板人気作。
今回、久々に鑑賞。鑑賞の理由は、言うまでもない。追悼。
久々に見ても、思った。
破天荒とはいい意味で。
別の言い方をすれば、ツッコミ所満載、決して出来映えのいい作品ではない。
演習中の陸上自衛隊の一個小隊が戦国時代にタイムスリップ。
何故…?
戦車やヘリがずっと動いていられる謎。弾薬の補給は…?
隊員それぞれのエピソード。でも巧みとは言えず、とっ散らかってる印象。
元の時代に戻るには、天下を取り、時の流れに抗う。何故に謎の宣戦布告。
この時代の誰も殺してはならぬと言ってたくせに、最後は近代兵器で無差別攻撃。
…などなどなど、挙げたらキリがない。
しかし、それらを敢えて凌駕するエンタメ無双。
本当にアクションとしてのスケール、デカさ、迫力、たっぷりの見せ場は、日本映画歴代の中でも稀有と言っていい。
自ら危険なスタントやアクション監督も務めた千葉真一のこだわり。
戦車、ヘリ、機関銃などの近代兵器対弓矢、鉄砲、落とし穴などの戦国奇策。クライマックスの大合戦は何だかんだ言って最大のカタルシス。
荒唐無稽こそ、褒め言葉。
終始、ノーテンキな娯楽作ではない。
仲間割れ。欲望や本能剥き出し。近代兵器で敵ナシの如く、抑圧。
戦国時代の武器で近代兵器に勝てる訳が無い…否! 人数では圧倒的にあちらが勝る。多勢に無勢。次第に劣勢になっていく…。
何故、俺たちがこんな目に…? これは運命か、時の流れに抗ったからか…?
そんな中で育まれていく、伊庭義明三等陸尉と後の上杉謙信こと長尾平三景虎の友情。
景虎は自身を戦乱の世でしか生き甲斐を感じられない男と表す。
そして伊庭の中に、自分と同じものを感じる。
それに刺激されたかのように、感化されたかのように、伊庭の中の眠っていたものが目を醒ます。
共に天下を取ると誓い合う。
武器だけあって平和ボケした生温い時代に戻るより、この時代で闘う。
聞こえによっては、危険思想。
闘う事の愚かさ。
別行動を取っていた伊庭と景虎が信玄軍討伐後再び顔を合わせた時…、“天下人”はただ一人。
戦で倒れた武士たち。
元の時代に戻れぬまま、死んでいった隊員たち。
そして伊庭。
本作は端から負け戦の様式をまとっていた。
そこが、リメイク版と強烈なインパクトと余韻の違う所。
…いや、もっと日本的な言い方をしたら、
滅びの美学。
本格時代劇や『戦国自衛隊』の新版を作りたいという構想があったらしい。
最近はバラエティーなどで姿を見る事が多かったが、やはりスクリーンで、いぶし銀のアクション・スターの姿を見たかった。
まだまだハリウッドにリスペクトされ、挑戦する姿も見たかった。
コロナによってまた一人、命を奪われていった…。
改めて、千葉真一さんのご冥福をお祈り申し上げます。