砂の女のレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
虫取りが趣味で、真剣にセカンドライフにしようとしてる学校の先生が蟻地獄の様な場所に捕まってしまう不条理劇で、流砂が生き物の様に撮影される映像と、ギラつく肌にまとわりつく砂粒、展開が読めない「砂の女」の低姿勢な、発言 態度 行動、そして恐らく砂が降る中でのカメラを守る撮影が大変だったであろう「裏日本」映画。
現代では「裏日本」なんて言わないが日本人達の都会と田舎の格差ギャップを台詞の言い回しで表現してたと思う。
オープニングの「印鑑」での苗字の表現方法、「各種証明書」の種類を全部言おうとする特定主義が「型にはめられる世界だけでは無い」世の中を表現しているのか?
序盤の"虫男"と"砂女"の会話が噛み合わないのが面白いが、後の"不条理"と"違和感"への予兆になる様に上手く作られている。
映画撮影は静岡県小笠郡浜岡町の千浜砂丘で行われた。
そもそもなんで男は砂女の所に降ろされたのかる? 砂女は何故こんな仕事をしてるのか? 村人たちの目的や利益は?
なんと「砂ビジネス」が理由だったとは、、
見所でもある「脱出、逃亡」のシーンでの複数の懐中電灯の灯りが闇夜を追ってくる演出。脱出は失敗したが、しかし新しい趣味を見つけて、教師の仕事を捨てる決心をしたのか、脱出よりも「それ」に没入する男。徐々に世捨て人になって行くが、それは村人から強制された事では無くて 自身で見つけた新たなセカンドライフなのか?
35mmフィルム上映にて。
ものすごい閉塞感
何十年も前にテレビの深夜枠で放映されていたのを観て、かなりのインパクトを受けていましたが、レンタルビデオも出ておらず、セルビデオを購入するまでもなく、そのまま記憶の奥に沈んでいました。
今回、たまたまyoutubeで再見する機会がありましたが、相変わらずの閉塞感と不快感に圧倒されました。
まず、岸田今日子の絶妙な不細工感が秀逸です。
これが、誰でも認める程の美人だったら、あの家は楽園になって脱出したいとは思わなかったでしょうが、そうではないだけに、逃れたい一心になったのだと思います。
日常でも、何とも思っていないちょっと不細工な異性から間接的な好意を寄せられ、困る事があると思います。性格も良いし別に嫌いではないが好きでもない、相手を尊重しつつも距離を保っている人間関係があると思います。
そんな相手と狭い空間に閉じ込められ、一生そのままかもと思う絶望感は半端ないと思います。
この作品はその感覚を上手く描いていると感じました。
また、最後の逆説的な行動も、諦めなのか余裕なのか、納得なのか、考えさせるものがありました。
未亡人役の岸田今日子氏の段々と女に目覚めていく過程は白眉、彼女の代表作ですね。
新文芸坐さんに「安部公房生誕100年 超越する芸術・勅使河原宏との仕事」と題した特集上映。初期代表作『砂の女』(1964)『他人の顔』(1966)を鑑賞。
『砂の女』(1964)
ある高校教師(演:岡田英次氏)が昆虫採集の途中、村人(演:三井弘次氏)に出会い宿を紹介されるが、蟻地獄のような砂地の宿から逃げることができず、宿に住む女(演:岸田今日子氏)と反目し合うが、やがて惹かれ合う話。プロットとしてはスティーヴン・キングの『ミザリー』(1990)に近いかと思いきやさにあらず。
男は何度も砂地からの脱出を試みるが、井戸水が毛細管現象で手に入ることを発見したり、女との間に子どもを授かったりするなかで、ストックホルム症候群なのか、新たな自分の居場所を見つけたのか脱出に成功しても砂場に戻ってしまう。
脚本も阿部公房氏が担当しており男と女の心境の変化、失踪三部作の第1弾として現代人の心の病巣をしっかりと描かれていましたね。
監督の勅使河原宏氏は流石、東京藝術大学日本画学科、洋画科卒業だけあって、どのシーンも美麗。特にもうひとつの主役である砂丘の風紋や崩れ落ちるシーンは白黒映画ならではの陰影、カラーでは再現できませんね。二人の体にこびりつく砂粒もリアルで砂場の生活の過酷さを見事表現していました。
岡田英次氏の演技も素晴らしいですが、未亡人役の岸田今日子氏の段々と女に目覚めていく過程は白眉、彼女の代表作ですね。
また村人役の三井弘次氏のいかにも訳ありで底意地が悪そうな感じも良かったです。
本当に真摯な映画化作品
石井岳龍による『箱男』が製作されていることもあってか、新文芸坐で本作がかかっていたので鑑賞。
率直に、真摯な映画化作品だったと感じた。原作の閉塞感やテクスチャが上手い具合に映像に落とし込まれている。高低差のある砂の崖をちゃんと用意したり、家屋の内部まで砂を敷き詰めたりと、原作にあった砂の鬱陶しさをきちんと再現していたのが偉い。
特に感心したのは、原作同様に隣家の様子を一切描かなかったことだ。原作は隣家の存在を示唆しつつもそれを一切描かないことによって寓話としての浮遊性を獲得していた。本作もまたそこに無駄な差し引きをしておらず、寓話としての原作の強度を継承できていた。
また脚本にも過不足がなく、数年前に読んだ原作の内容をはっきりと思い出すことができた。万物が機能に還元されてしまう砂の集落に放り込まれた男の苦悩を通じて、現実世界もまた曖昧な社会システムによってかろうじて個人なるフィクションが担保されているだけの虚構世界であることを喝破してみせた安部公房の文学的手捌きにただただ圧倒される。
とはいえ本作は「真摯な映画化作品」であっても映画としてはそこまで傑出していない。昆虫や肉体を接写することで生物の持つグロテスクな側面を誇張するような映像表現は半世紀以上前にルイス・ブニュエルが散々試みていたことだし、意味があるとは思えないところで手持ちカメラを使っているのも興を削ぐ。覗かれた穴側からのフレーミングや太鼓の鼓動による焦燥感の表現なども言いたかないけど凡庸だ。
勅使河原宏の映画を観るのは本作が初だが、どうにもセンスだけで撮っているような感が否めない。無論、上記のような諸演出を思いつくことができるのは彼の卓越したセンスゆえだとは思うが、百余年を数える映画史の前で臆面もなくそれを誇示できるのはいささか傲慢なのではないか。
ただ、繰り返すようだが映像の完成度と原作の再現性という点においては本作は非常に優れている。映画史とかどうでもいいよ!という方には普通に自信を持って勧められる一作だ。
人間の個としての独立 人間社会の個の封じ込めと個の埋没 その不条理 それでは陳腐かもしれません でもそうとしか表現出来ません
人間は犬じゃない
鎖をつなぐわけにはいかないよ
1964年公開、白黒作品
原作は安部公房の1962年の小説
川端康成の次に日本人でノーベル文学賞をとるのは彼であろうと目された作家でした
作風は本当に難解
本作と同じく何が何だか皆目わからない
本作はその原作が難解そのまま映像となっていて、その難解さを忠実に映画化したと言えます
なぜなのか訳もわからず蟻地獄のようなところに閉じ込められ生活することを強要される物語
逃げようとするのだがどう足掻いても逃げられない
家庭生活というものはそんなものだ
文字通り砂を噛むような単調な毎日
そこから逃げて出そうとしてもどうにもならない
いつしかあきらめてそこに安住している自分を発見する
単にそのような底の浅い物語のようにも思える
しかし、その程度の幼稚な内容ではないし、そんなものを書くような原作者ではないともわかっている
ところで
プリズナーNo.6というイギリスのテレビドラマをあなたはご存知でしょうか?
伝説のカルト作品です
日本では最初1969年にNHKで放送されました
以後民放などアチコチで再放送されました
放映当時まだ子供でしたが、訳も分からないくせに何かしらとても惹きつけられて夜遅い時間帯なのに夢中で毎回視ていました
本作はそれと似ています
あるいはジョージ・オーウェル「1984年」にも似ているかも知れない
その「プリズナーNo.6」は一見、スパイもの
辞表を上司に叩きつけたばかりの元イギリス情報局員が拉致されて、外界から隔離された不思議な村に閉じ込められ何故辞めたのかをしきりに問われるが主人公は絶対に口を割らず、毎回隙を見て村からの脱出を試みるという物語
これも東西冷戦を背景にした共産圏の管理社会の当てこすりのようで、そんな程度のそこの浅いものではなかったのです
人間の個としての独立
人間社会の個の封じ込めと個の埋没
その不条理
簡単に言えばそんなところなのでしょうか?
それでは陳腐かもしれません
でもそうとしか表現出来ません
プリズナ-No.6はそこに安住するならば快適な村
砂の女の家は、絶えず不快な砂まみれ
表裏一体です
本作もそういう作品なのだと思います
海辺の貧しい村の住民に捕らわれた昆虫学者の運命とは⁉
人間の根源的な生命力を特殊な環境で描き切った日本映画の力作、その驚嘆と圧倒
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