砂の器のレビュー・感想・評価
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宿命とは
映画とはこういうもん!
警察官の捜査としては現在(2015年)から観れば
少々ゆるい所もあるのですが、そういう自由のあった時代の作品。
全く関係無く見えている複数のものが
やがて1つに集約されて行くのは
サスペンスやミステリーの醍醐味なのですが
それが、海外では無く日本の原風景の中で展開してゆく
この映画の映像の美しさは記録映画としても価値あるものでしょう。
昭和の名優達のほんのワンカットの出演シーンも
あら!こんな所にこんな人が!と言う見つける楽しさあり
長い物語の中に引き込む力がやっぱ半端無いと言うか
まさに映画とはこういうもん!と言って遜色無い作品です。
実のところ、音楽の才能は、この映画の様な
簡単なもんじゃ無いな〜〜と
思うところもあるのですが、
そこは映画として勘弁して下さい。
一番大事なのは、
この作品の悲劇の元は形を変えて今でも残っているし
無知と貧困の残酷さは今の方が大きいかもしれません。
時代を超えて、人々に突きつけられる課題だと思いますわ。
父と子がたどった壮絶な運命には心を動かされた。 ただ、それまでに手...
やっとみれた、もっと早くみたかった。
一言「昭和スター勢揃い!」。
出演者が誰か知らずにみて、もうびっくりの連続。みんな若い!。
国鉄蒲田駅で起こった殺人事件。亡くなる前に犯人と話した東北弁の「カメダ」。
手がかりがなく、捜査本部は解散し継続捜査にランク落ち。
そこをひとつひとつ、今西刑事(丹波さん)が捜査していき。
各地に散らばる点を、一つにつなげていくところ。
ちょっと鉄道物のテイストも、前半あったのもアクセント。
終盤犯人の子供の頃の話、そしてどうやって生き延びていったか。
壮大な音楽にのせて、ほぼ台詞なしの30分ちょっとで描かれる。
その曲が「宿命」というのも、切ない。ちょっと泣けた。
戦後の混乱期の話等歴史的にも、観てほしい。
ドラマ化4作あるそうですが、どうかな。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「幸せなんてない。だからみんな影を追っている」
ALLTIME BESTでない理由が分からない
殺人事件を捜査する刑事が辿り着く、犯人の苦難の人生を描く物語。
日本映画史に残る名作ですね。このサイトのレビューでも、「5」を付ける方が多くいらっしゃいましたが、そのレビューに相応しい作品だと私も思います。
「ハンセン病患者への偏見」。日本の歴史に暗い影を落とす現実をベースに、「親子愛」と「善から生まれる犯罪」を描きます。
極めてシリアスな社会派サスペンス。それに合わせて、演出も重厚そのもの。特に中盤までの捜査シーンは、BGMは一切なし。酷暑の中、淡々と地道に捜査する刑事達を活写。極めて私好みの展開となりました。
その物語を担う俳優陣も、丹波哲郎を筆頭に実力者揃い。
見応えのある作品に仕上がりました。
それでも、評価は4。
評価を下げた理由の一つは、終盤の回想シーン。他の方のレビューでは賛否分かれているようですが、私は少しやり過ぎに感じました。
もう一つはサスペンスとしては、粗が多いこと。特に刑事達の「気付き」の部分が雑で、サスペンスとしては微妙に感じてしまいました。
少し、蛇足。病気等への偏見を題材にした作品として、個人的に好きな作品があります。逝去された西村京太郎氏の作品で「天使の傷痕」という作品です。映像化はされていませんので読むしかない作品なのですが、暇と機会がありましたらぜひ。
言うまでもなく日本映画の金字塔
組曲
蝉の音、うちわ、夏、田舎
脆い器
「宿命」
物語の真相が明らかになるシーンで「宿命」という題名の曲が独奏されるが、そこは小説では表現しきれないくらい胸が痛くなるシーンの連続だった。
小説は当然文字だけで表現される。想像を掻き立てられるがそれを文字で説明されてしまうので読み進めるほかないのだが、小説を映像化するにあたってそれをセリフではなく映像で説明する力量がとても胸を打つ。
ピアノがバックで流れる中、ある親子の壮絶な半生が再生されるのだがピアノの曲と相まって美しいけれど、その中ではとても言葉では説明できないような残酷な人生だったことがわかる。作品のとあるキャラクターがこの曲を作曲していく中で、この苦悩があったからこそ一つの作品として作り上げたのだと思うし彼の頭の中を観客にも同時に追体験させる意味で物語に落とし込んだのだと思うとこの映像化はよくできた作品だと思った。
不動の人生ベストワン映画。名作。今でも色褪せない。
私、高度成長期生まれなんだけれども、古い日本の映画、名作と言われている、小津安二郎とか黒澤明、溝口健二とかのモノクロ作品大嫌いなんですよ。そもそも言語体系が今と違うし、粗末で地味で、とても鑑賞に耐えられない。
まあ「ゴジラ」と「飢餓海峡」は例外的に面白いし良いのだけれども。
しかしその後ドラマ化何度もされた、元祖である、加藤剛、緒形拳、丹波哲郎、加藤嘉、春田和秀の「砂の器」は別格。
昭和49年だからこそ表現できた、ジメジメして、不便で、暑苦しく、閉鎖的な日本。美しい四季の日本。
逮捕状請求の捜査会議が始まる。コンサート会場では犯人である天才音楽家のタクト指揮棒が振られ壮大な音楽が奏でられる。併せて差別され続ける悲しい親子の放浪の旅路が画面上展開される。この同時進行、カットバックの構成が情感を揺さぶり見事である。丹波哲郎はガタイも良いけど、語りも素晴らしい。加藤嘉の無理をした「こんな人知らねぇ!」と前後して映し出される緒形拳の善意の空転。イタイけれども犯人にとっては鬱陶しかったんだろなぁ。差別も含め古き日本。昭和の日本。
その後先述のとおりテレビ版何度も作られたけれども、一つもこのオリジナル映画に及ばないどころか迫らない。
無駄な捜査シーンも、最後の逮捕直前で尻切れトンボもかえって計算されていて味がある。丹波哲郎が山陰地方の列車に乗る、宍道湖の景色が背景となる。新聞を買うそこには天才音楽家の記事が・・・という構成もいかにも昭和的で素晴らしい。
ただ血まみれの服を列車の窓から塩山で処分は余計。水洗トイレか昔の黒いゴミ袋で処分すれば良い。
ただそれでも色褪せない名作。生涯映画No.1。ちなみに2番目は「シンドラーのリスト」両方ともVHS ビデオ、DVD、ブルーレイ全て買い増し。砂の器は本とDVDセットのやつも買った。ただ私リアルタイムでは当時幼児だから当然観てない。映画館で見たかった。
原作の松本清張よりも脚本の橋本忍の力量によるところ大。エゴイストの殺人であるが、やるせなさに涙すること必至。
昭和の闇、親子の光と影…
間違い無く星5だろう。今の映画やドラマを考えたら星5では少ない星6か7くらいだ。
作中の隔離政策である「らい予防法」が撤廃されたのは実に1996年の事で、平成中頃までは行旅人と称される方が河川敷に居る噂が時折流れる。
決して近づいてはいけない。ヤクザなのかそれが何者なのか学生の私には判らなかった。
現在地上波ではこの日本人が歩んだ黒歴史を放送禁止としているようだ。この国は共産国ですか?w
さて物語は過酷な旅、肉親との離別で音楽の才能を開花する秀夫少年。改名し和賀英良となったが学歴も家族親族も無い彼にとって音楽家としての名声は唯一無二の武器だった。
なぜ彼は自分の武器を運命を信じられなかったのか?
秀夫少年なら父親に会っていたろう。
三流ゴシップ誌にすっぱ抜かれて世間の評価が落ちようとも闇を抱え込んだろう。だが秀夫少年の心は和賀英良の中に埋もれてしまったようだった。
闇を飲み込んだ人間は強いと聞く。
この作品を見てそれに気付く筈だ。
和賀は闇を宿して音楽を作り続けるべきだった。
その闇には愛があった。仮に再び漂泊の身と成り果てようとその才能に陰る事は無い筈だ。
だが金と名声に欲を曝け出し始めた彼にはそれが出来なかった。清廉で愚直…。
それが才能が要求する糧だった。
和賀にとって偶然手に入れた才能が道具に変わった。
残念な言い方だが…器では無かったんだ彼は。
タイトルの通り砂の器だった訳だ。
現在の栄光と過去の影にまつわる哀しい性
小説は読んだことがあったが、だいぶ前なので、ストーリーは記憶があいまいになっていたのと、映画レビューで高評価が多いので観てみた。野村芳太郎監督だと、1970年代では犬神家の一族がとてもよかったので、間違いはないだろうと。
1974年当時の時代背景なので、伝染病や放浪等といった過去も当時の設定ならではであるが、現在の栄光を手放したくないために過去の経歴を消し去ろうとして手段を選ばない人間の性、エゴを追求した松本清張ならではのテーマがこの作品にも息づいている。愛情を受けたはずが、仇で返すことになってしまった人間のエゴの哀しさ。
あとは、21歳の島田陽子の品の良さといったら!当時最高潮だったのではないか、とても美しい。1970年代の島田陽子の確実なファンです。
満たされぬもの
さて『砂の器』です
もうそうとう昔の映画で、ほとんど忘れていたような作品だったのに
一度も見たこともなかったし暗そうで何度かつまらなそうだな〜ってずっと思って遠のけていました
でも
『砂の器』
このインパクトのあるタイトルは忘れることがなく気になっていたことも事実です
やっと私にも作品の言わんとする意味や気持ちが分かる歳になったのかな
どうやらあちら側から私に近づいてきたように思えてなりません
私はかねがね、世の中の全てには「時期」がありその時期が来れば自然に出会えるのではないかと思うのです
それは人だったり物だったり音楽や映画、言葉もそうだし音や匂いも、とにかく全てが何らかの出会いのように思えてなりません
このサイトもそうだし私にくださる「いいね!」もそう感じさせるものです
この映画との出会いは古いですが観賞したのは初めてで今とてもとても深く心に刺さってきました
訳の分からないものに人は恐怖して遠のけ出来るだけ関わらぬようにしたいものです
知らないのですからね
コロナ禍で学んだことに「正しく知って怖がる」を学びました
まずは噂やデマなどでなく正しく知る努力をしなければ世間に流されて右往左往するばかりで目指す方向が定まらず集団であらぬ方向へ流されてしまいますからね
映画の話もしなければ
丹波哲郎さんと言えば私には「007」のタイガー役くらいしか記憶にないのでとても新鮮でいい役者さんなのだな〜と
森田健作さんは(笑わんでくださいよ)私の兄に驚くほどそっくりでぶったまげです(皆さんは確認不可能ですな)
映画の話はこのくらいでいいですね
『砂の器』いいタイトルです、何年も忘れずにやっと出会えた作品です。
善意は時に残酷、でもそれもまた宿命かもしれない
遅まきながら、鑑賞。テーマはハンセン病の差別、というぼんやりとしたイメージを持っていましたが、自分の全く的外れな思い込みを反省しました。
もっと大きなテーマです。人間とは、どういう生き物なのか。宿命とは何か。愛情や幸せをみんな欲しがるけれど、どれだけわかって言うのか。優生思想はいまも世の中を蝕み続ける。まず自分を見つめよ、と促されているような気がしました。
演出と役者さんの素晴らしさ、セリフなく眼で全てを物語れる子役主人公。彼の存在なくしては、成立しない作品です。映画とは何かをも教えてくれる、普遍的一本。
運命の分岐点となる田舎の巡査(緒形拳)が、わたしは印象に残りました。誰もが認める仏様のような善人。しかし社会的つまはじきの親子を救おうとした善意によって、この親子は永遠に引き裂かれてしまいます。善意とは、こんなにも危険なものなのか。今回わたしの心に刺さった棘。でも一生抜かないで、持ち続けようと思います。浮浪の親子が持っていた本物の愛情。彼らが社会的強者に勝る、最強にして唯一の財産を、巡査は悪意無き優しさで主人公から奪ってしまう。それは魂の殺人に匹敵する罪。
そして巡査は、二度も善意の罪をおかします。
失踪ののち別人となって音楽の道で自らを開花させた主人公を、なんの宿命か偶然見つけてしまい、またもや善意によって実父との再会を熱心に勧めるのです。
療養所に入った父親を、巡査は赤の他人なのに見捨てず何十年と文通します。引退した身でもなおこの親子を放っておかない。
でも。息子である主人公が、どんな思いでここまで歩いてきたか。
父と会うのを拒む、そこにどれだけ複雑な思いがあるのかを、巡査は真っ直ぐ純粋無垢で情熱のある人柄ゆえに、またもわからない。
巡査は善人夫婦、唯一欠けている点があるとしたら、子がいないことだけ、という設定です。とはいえ、全身全霊で誰にでも親身になれる、立派な人。
かたや、病という宿命を背負わされ、世間から疎まれ故郷を追われ、職もなにも持たない実父。持っているのは子だけ。巡査とは、まるで真逆。ですが実父の主人公への愛情は本物であり、人としてなにものにも変えられない、稀有な宝石をすでにこの親子は持っている。どれだけ立派な他者の善意も不要なほどの。とうてい質の違うものです。
観ていて、主人公だけでなく、この巡査もまた、砂の器なのだと気が付きました。
でもわたしは彼を責められない。巡査は巡査が持てるなりの最大級の自分を注いだ。この親子に。
それは主人公もわかっている。
しかし砂の器は、注がれたら崩れるほかありません。
たまたまお互いの人生の中で、好むと好まざるとに関わらず、ある役目を背負わされることになっている。それをまさしく宿命と呼ぶのでしょう。主人公は幼き時からずっと、あの射るような眼差しで、それを見つめ続けていたのではないか。
主人公がつくる音楽だけが、砂ではなく、本物の器として生まれました。父親の本物の愛情が、壊れない器となって、息子を通じて結実しました。しかしその昇華の恩恵に浴するのは、父ではなく、全く関係のない一般市民たちです。かつてこの親子に石を投げ蔑んだ、普通の市井の人間たちを喜ばせる役目を担う皮肉。これもまた、宿命。父子の間に流れる、強くて美しく、かなしい何かを、言葉ではなかなか言いあらわせない。
これを表現した松本清張という人があり、それを映画にできた監督や役者さんたち、凄いです。そしてこの物語をリアルにできるかどうか鍵を握っていたのは音楽でした。楽曲をつくった芥川さん達、あっぱれです。陳腐な曲ならきっと駄作になっていたはず。
人が人らしく生きていくために失ってはいけない何かを、徒労になるかもしれないが、形にして残そうとする。その魂に、人類の末席にいるわたしも震えました。
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