「50年を経ても映画館を満席にする日本映画の傑作」砂の器 片喰鶏肋さんの映画レビュー(感想・評価)
50年を経ても映画館を満席にする日本映画の傑作
言わずと知れた傑作。
私も好きな邦画を問われると必ずこの名を挙げます。
主演の丹波哲郎さんはとても格好よく、森田健作さんも若々しく、
どの役者さんにも引き込まれてしまいますが、
やはり特筆すべきは加藤嘉さんでしょう。
あのセリフは数ある名作映画の中でもトップクラスに、
みなさんの心を締め付けたのではないでしょうか。
導入は物騒な殺人事件だったはずなのに、ラストでは涙を抑えられない展開。
さすがに50年前の作品なので、色々と表現も価値観も今とは違います。
私の性別が女性であることも大いに影響しますが、
ただの舞台装置のように扱われるリエコには何とも言えない気持ちになりました。
さてこの映画は語り手である刑事のある一言を境に、
それ以前とそれ以降の空気感が一瞬で変わります。
その一言からしばらくは説明シーンもセリフもほぼありません。
ですが、罪を犯した男がどのような人生を背負ってきたか、
それがこの一言で一瞬でわかるようになっているのです。
多くを語らないのに、観る者に畳みかけるように強く訴えかける映像。
これが本作を傑作たらしめる理由のひとつであるに違いありません。
しかし、この理解の解像度は時代によって・人によって大きく変わります。
令和の時代を若者として過ごしている人たちが、
果たして公開当時に鑑賞した人たちと同じ衝撃を受けるでしょうか。
恐らくですが、答えはNoです。
映画の最後に社会背景の説明などが語られるのですが、
これだけでは不十分で「へえそうなんだ」程度の感想になるのではないでしょうか。
後半も「身なりが汚いから・乞食だから虐められてるのかな」、
そう思われても何らおかしくありません。
現在は特に、歴史を学ぶことや社会背景を知ることは二の次で、
すぐに役立つ技術や能力の取得がより優先されているように感じます。
ですが、この病気を抱える人たちの扱いがどうであったかを知っているか否かで、
この映画の感想は一味も二味も違ってくると考えます。
私の近くには、この病気の社会的扱いを研究対象とした方がいました。
そのため自ずと理解度が深まり、忘れられない映画となっています。
いわゆる「文系」の知識は無駄が多いとすら言われますが、
その「無駄」があることで気が付くことができるものが、
世の中にはたくさんあると思うのです。
話は横にそれますが、そろそろ桜の季節です。
東京には多摩全生園という桜の名所があります。
これはハンセン病患者療養施設ですが、
「いつか患者も、そうでない人たちも一緒に桜を愛でられるように」
という思いで今から約70年前に植樹されたものだそうです。
それが今こうして桜の名所として親しまれていることは、
とても素敵なことではないでしょうか。
この映画を観た後でこのエピソードを知ったとすれば
去年も見た桜並木が、また違う景色として見えてくるのではないでしょうか。
長くなりましたが、原作超えの傑作です。
古い作品だと脇に置かず、若い世代の方にもぜひ観ていただきたいですね。