新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君にのレビュー・感想・評価
全58件中、21~40件目を表示
新世紀エヴァンゲリオン劇場版Airまごころを君に
金曜14時の回、53人。(驚)
私も、その1人ですが。
さて、随分昔なんで、もう忘れてます。
の、つもりだったんですが、「そーそー、そうだった。」と、観るにつけ思いだします。
序盤は、『シト新生』の後半を見せられます。
あとは、TV版の編集です。
やはり、この作品の出来の良さは、あのセリフで終わり、劇場が明るくなる事。
昔に観てない方には、斬新でしょう。
昔に観た私が、そうでした。
28年間予習と復習を続けてきたけど、やっぱり難解なのには変わりない。でも、そこに痺れる憧れる~
作品、キャラクターの死と再生
初日劇場鑑賞は男の戰い!気持ち悪い…?
大人になるということ
リバイバルということで、初めての劇場鑑賞。
ビデオでTVシリーズを観て、旧劇を観て
14歳で新劇の序を観た世代です。
改めて名作であるという認識。
個人的にエヴァンゲリオンという作品は自己の確立がテーマだと感じている。
新劇であれ、旧劇やTVシリーズであれそれは変わらない。
新劇と旧劇やTVシリーズの違いは自己の確立度合いの違いだろう。
大人と大人への入り口の違い。
それを考えると主人公の14歳という年齢設定は素晴らしいと思いつつ
シリーズ通しての主人公の葛藤は、ある程度人間として共通なのだと感動もする。(個人的には、主人公とは碇シンジであり、庵野秀明であると思っている)
自覚したくない、人間の醜い部分を映像化した作品。だから気持ち悪い。
エヴァンゲリオンという作品において
"自身の考え方で世界の見方は変わる。が、それはそれぞれの人間がそれぞれの世界の見方があるということ。それぞれの見方があるからこそ自己が作られる"
というのが中心にあると考えているが、物語としての映像化に寄せたものが本作だろう
主人公の世界観の中に存在する他者、しかしながらそれは主人公の見方の中で分かる、想像できる範囲内の他者であり、作中後半では他者はそれだけではないという現実が突きつけられる。
そんな作品の中で異質な個を放つのがアスカである。
主人公においてアスカの反応の解像度だけが異様に高いのである。
だからこそそれは主人公と世界との繋がりを示し、異性への目覚めを暗示している。これほど美しく醜い表現を私は知らない。
まごころを君にでは、戦自との戦闘のシーンの描き方や実写シーンなどその奥底にジブリの系譜を感じることもできる。
これは庵野秀明の様々な思いが形となっているような気がしてならない。
結構な信者であると自負している私だが
エヴァンゲリオンに関してストーリーの整合性や意味合いを論じるのはナンセンスだと感じている。
私の中ではこの作品におけるストーリーは観覧しやすくするためのスパイスにすぎないからである。
社会現象の渦中で『なんかキモい』と言われながら
当時エヴァはまさに社会現象でした。1990年代の日本は世紀末オカルトブームの真っ只中であり、エヴァの持つオカルト・内面世界の要素はクリエイターの意図を超えて反響を呼んでいたと思います。その結果、エヴァは難解で意味深な作品であるというパブリックイメージが醸成され、道行く小学生達から「あんなアニメにのめり込む奴はおかしい」「なんかキモいよね」という声が日常風景として聞こえてくる程でした。インターネットの普及期だったこともエヴァのハイテク・近未来描写に説得力を与えていたかも知れません
小学生~中学生だったあの頃の私は「あんな作品にのめり込む、なんかキモいやつ」でしたが、いわゆる考察とは無縁のまま、単純にロボットアニメとしてエヴァを楽しんでいました。立ち位置が中途半端で肩身が狭かったことを覚えています。そして本作(通称:旧劇場版)に関しては、「面白い。圧倒される。でも意味がわからないし怖い」という感想を抱いていました
大人になって改めて旧劇を観ると、「シン~」と物語の骨子に大きな違いはないことが理解出来ます。シンジ、ゲンドウ、ユイ(綾波)の核家族におけるエディプス・コンプレックスのストーリーが決着し、主人公がヒロインと出会って終わるのです。テレビ版で各キャラクターが抱えた課題はほぼ同一ですから、終末世界をテーマにしたものが旧、終わりそこねた世界(つまり我々が今生きている日常です)をテーマに視野を広げたものがシンであるという認識で良いでしょう
旧劇はわかりにくい作品です。終末論的な映像がひたすら続き、観客の中で情動と意味のリンクが中々成立しません。破滅のスペクタクルや宗教用語による衒学的な側面と、家族の物語として終着点を示そうとする監督の誠実性がそれぞれ矛盾したメッセージを発しているのです。それは加熱する一方だった観客の期待に対し、監督がどう応えるか苦心した結果の産物だったのでしょう。家族の物語としてよりストレートな表現を選んだシンが存在することで、今ではその二面性の整理が容易になったと言えるのではないでしょうか
夢から醒めてみれば
『シン・ゴジラ』抜きにはエヴァは語れないのかもしれません。
一応の完結を迎えたのがこの作品で、圧倒的なヴィジュアルは映画館の大スクリーンに映えていました。それにしても公開の手順が非常にトリッキーで、まずは総集編と、完結編の途中までという形で劇場版をやり、それにはDEATH&REBIRTHという2部形式のタイトルをつけ、まるで『伝説巨神イデオン』の劇場版を彷彿とさせる公開形式をとりました。
その、いよいよ完結編として公開されたのが本作。そして非常に残念な結末を迎えたのでした。それは、観念的な収束に過ぎず、人類がどうなったかなどの重要なポイントは描かれないまま、それぞれのキャラクターがフレームから消えていきます。
ある意味、テレビ版とは違う結末が描かれており、これが物語の帰結と言えなくもありませんが、その後コミック版が独自の結末を迎え、さらには劇場版の新シリーズも立ち上がるという、物語としては全く収拾つかない状態に。さすがに、追いかける気にもなれず、ひところの熱病が嘘のように冷めた状態になりました。ところが、『シン・ゴジラ』で、庵野秀明氏が復活なさって、がぜん注目を浴びる展開になりつつあります。
とにかく、この映画一本単体として見れば、非常に不完全で、なにが言いたいのかまったく理解できない内容になっています。ただ、異常にテンションが高く、漂う緊張感だけは、アニメ史上例を見ないものだったといってもいいのではないかと思います。
豊かさと不安と逃避と狂気の作品
感想その1
この頃はテレビやビデオやパソコンが大衆に浸透した直後であり日本の若者人口も非常に多かったためアニメやゲームなどの産業の盛り上がりが日本国内でかつてないほど最高潮に達しました。その1999年ごろに当時の若者の間で大ブームになったテレビSFアニメの25話と26話を映画化した作品。テレビ版アニメ全26話では町を防衛する巨大ロボットのパイロットにある日突然選ばれた主人公の少年シンジが下宿しているマンションや学校で学生生活を送りながらも基地でパイロットとしての任務をこなす日々を描く。25話と26話は物語のクライマックスにあたる。敵ロボットの襲来がくりかえされるなかでシンジの仲間たちが次々と再起不能になるがついに敵ロボットの黒幕の陰謀の正体が明らかになろうとする。シンジは多くの仲間を失い一人で困難に立ち向かわなければならなくなる。シンジはこの苦境に悩み、非常事態にもかかわらず現実逃避ともいえる行動をとる状況から映画はスタートする。劇中で状況がどんどん悪化するなかついにシンジは世界が崩壊していくさまを目撃する。常識だった世界が終わりをむかえて非常識な世界が再構築されシンジとヒロインのアスカの二人だけが生き残り物語が終わる。「1999年に人類が滅亡する」というオカルト的デマが当時の日本で流行りましたがそれに着想をえた世界滅亡がテーマの作品がこの映画だと思います。90年代ごろの日本の人々は明治維新以後や第二次大戦後苦労して手に入れた経済的に繁栄し豊かな日本が突然滅亡して豊かな生活を失ってしまうことが不安だったのだと思います。主人公の少年シンジは生活は豊かですがいつも不安で自信がない少年ですがシンジはこのころの日本を反映したキャラクターだと思います。エヴァンゲリオン初号機という圧倒的な力をもったロボットに乗っていてもシンジの不安がなくならずアスカの肉体に逃避しようとしたさまは当時世界2位の経済大国だった豊かさをいつ失うかと不安で娯楽に逃避した当時の日本社会に似ているとおもいます。漠然とした未来への不安から娯楽へ逃避する行為が本当に世界を滅亡させないようにラストシーンで作者ははっきりとこの状況を気持ち悪いと表現していると思いました。
結論1:この作品の作者のいいたいことは豊かさと不安からくる現実逃避は世界の滅亡につながることへの警鐘。
感想その2
学生のころ友人の家で初めて観たとき、高品質の戦争映画やサスペンスやメロドラマやエロビデオの詰め合わせを見せられたような1秒も目が離せない展開の映像にくぎ付けになる90分間のあと突然ラストでわけわからない実写映像や不気味な絵画に入り込んだようなシーンになりあっけにとられました。当時の視聴直後、私は作者にからかわれたような気がして困惑した気分にさせられました。特にラストシーンで主人公のヒロインの二人だけが生き残り、ヒロインのアスカが主人公のシンジに言う「気持ち悪い。」という言葉は何十年も私の頭に残り続けています。ラストシーンはアスカは意識がもうろうとしながら顔を空に向け寝ていてシンジはその上におおいかぶさってアスカの首に手をかけようとするが涙を流してその行為を途中でやめます。そのとき意識がもうろうとしているアスカがつぶやいた言葉が「気持ち悪い。」でした。このシーンはアダルトな内容のビデオを連想させますがそもそも90年代はビデオデッキやパソコンの普及率上昇などによりアダルトな内容のビデオやゲームなどの生産が盛んな時期でした。それらの内容や行為は生理的に気持ち悪いと感じるのがあたりまえですがこの作品の作者のいいたいことは気持ち悪くないと人類は成り立たないということだと思います。現実世界とは人類には永久に理解できないカオス(不条理)なものゆえに個人個人にとって気持ち悪いことだらけですがそれは整然とした美しい現実世界を愛するがゆえにおこる当然の反応なのだと思いました。しかし本当の現実世界は狂気も内包していると思いました。
結論2:作者が言う気持ち悪いという言葉の本質はカオスな面をもつ現実世界への深い愛情からきている。
視覚的にも感情的にも気持ち悪い
エヴァンゲリオンに関しては、TVシリーズ、旧劇場版、新劇場版を鑑賞済みです。漫画版は未読です。前述のとおりこの作品もすでに何度か見ていますが、久しぶりに見返したので、いまさらながら感想を書かせていただきます。
個人的にこの作品の見どころは2つだと思っています。1つ目は作画、2つ目は気持ち悪さです。
1つ目の作画ですが、やはり注目すべきは「Air」の中のエヴァ2号機がゼーレの用意したエヴァシリーズとの戦闘シーンです。
ここ最近のアニメは作画のスピード感とエフェクトが重視されているように感じます。(画面の中の情報量の多さが重視されているというか…?)この作品では、それらよりも重さや慣性といった、より特撮的というか現実的な動きで作画されていると思います。2号機が食い散らかされるシーンはまさにリアルで視覚的に気持ち悪さがあります。
話は脱線しますが、TVシリーズの第19話「男の戦い」の初号機が覚醒するシーンはカット割りを含めて、まさにリアルな作画を代表するシーンだと思っています。
2つ目の気持ち悪さについては、1つ目の作画も関係していますが、脚本、演出、作画で表現されていると思います。
個人的にシンジ君のウジウジ感は割と好き(というか割と納得はできる)のですが、どう考えているのかをしっかりと吐露させています。この考え自体は決して耳心地のよいものではなく、また鬱屈しているけれど、人が持つ根源的な感情であるようにも私は感じますが、日常であればわざわざ人につまびらかにしない感情をここまで吐露させました。人によってはこのシンジ君の考え方自体が気持ち悪いと思うだろうな、と思います。
また、初っ端からシンジ君の自慰シーンや、途中でミサトさんの性描写シーンもあり、そこに嫌悪感を覚える人も多いだろうな、とも思います。こういったシーンが散りばめられていることや、アニメという虚構でそれらを描く、という気持ち悪さにも繋がっていると思います。(これらの「気持ち悪い」をしっかりと担保しているのが、リアルな作画という部分でもあると思います。)
正直、映画自体が独りよがり感が強いなと思いますし、気持ち悪い感情に自分でも分かっているんですよと言い訳している(ミサトやアスカに言わせている)ように見える、その描写自体にも気持ち悪いと感じることもあるかと思います。
何度か見ていますし、解説動画も過去に見たことがありますが、宗教的な専門用語とかは未だに全然わかりません笑。
ですが、そういったものを置いておいて、画面からあふれ出る感情やそれに伴う気持ち悪さ、というものが表現されていると思いますし、綺麗に取り繕うことなく、気持ち悪いものを気持ち悪いままで表現したこの作品は、自分としてはとても貴重な作品だと思います。
エヴァンゲリオン初心者で若者の意見
「気持ち悪い」
オ◯ニーする主人公は恐らくこの作品のみであろう。
そして軍団のNERV職員惨殺シーン「大人のキス」の下り、アスカの覚醒。心が踊ると同時に脳内がバグる感覚。
トドメはシンジからアスカの首絞めや人類補完計画。
全て含めての「気持ち悪い」
本来、ファーストインパクトはグレートインパクトと見るのだろうが、人類はファーストインパクトで終わる運命が決まっていた。と言いたいのか?
石森章太郎先生の『リュウの道』みたいな終わり方。観念的に曖昧に終わらせるのは良いが、商業ベースにのせるのはどうかと思う。
『人は互いに理解できる?』現状からして出来る訳がない!
2001年宇宙の旅を模倣している。しかし、宗教が違えば、この解釈が成り立たないと理解すべき。少なくとも、キリスト教に生まれ変わりと言う概念はあったろうか!
まぁ、でも、シンエヴァンゲリオンと比較した場合、この終わり方の方が良かったのではと感じる。
ラストシーンが意味不明も、いつも予想を覆す庵野監督らしさは満載
テレビシリーズの大円団からの一転し、ミサトは銃撃で戦死し、赤木リツコはゲンドウに射殺され、アスカの弐号機は量産機により貪り食われてしまうという見る者たちの予想を覆す展開。
そういえば、映画館でエヴァを見る観客の姿も映し出され、相当にオタクファンに挑発的でもあった。
そしてラスト赤い海の海岸で、シンジはアスカの首を絞めるが止め、アスカが気持ち悪いと呟いて、映画はいきなり終わる。色々な解釈有る様だが、未だに自分には大いなる謎のままのラストシーン。
うげげ……
私はエヴァンゲリオンがテレビ放送開始した当初、まさにシンジ君と同い年。
テレビシリーズの終わり方に納得していましたので、別に観に行きたいと思っていませんでした。
大人になり、『あのテレビのエンディングが変わるのかな?』と、思いレンタルして視聴しドン引き。無かったことにしました。
そして、今回『新劇場版:||』の感想を聞き、『過去作全て復習して見た方が良い』と言われ興味が出て、過去作復習。
順番は
『テレビシリーズ』『序』『 破』『Q』と観て、『Air/まごこころを、君に』を今見ました。
えっと、『何かやっぱ、もう、お腹いっぱい』って感じになってます(笑)
見る順番を間違った…💧
そして、やっぱ気持ち悪くて、内容的にも見なくて個人的には良かった
わけがわからないよ....
ひとつになりたい
渚カヲルを死なせてしまった碇シンジは心を閉ざしてしまう。やがてNERVと決裂した“人類補完計画」をすすめるゼーレは本部を攻撃し始める。アスカは意識不明だったが、弐号機に放り込まれ、自然回復を待つことに。襲い掛かる羽根のあるエヴァシリーズ9体。活動限界まで3分半の間に倒さねばならないという危機的状況でアスカが復活して撃破したかのように思われたが、思わぬところから“ロンギヌスの槍”が・・・
TV版25話と26話の別バージョンではあるが、アクション満載の25話と、シンジの精神世界が描かれていて、大人向けのエロいシーンもある。綾波は何してるんだよ~と思っていると、ゲンドウにあちこちまさぐられてからリリスと一体化してしまう。
人間もリリスと呼ばれる生命体から生まれた第18の使徒だった?神のような存在となった綾波が巨大化して、結局はサードインパクトが起きてしまったということなのか。映像が気持ち悪いぞ!そして、人類は滅亡しても意識は残る。綾波とカヲルが一体化しちゃったぞ!どうするシンジ?!終盤には街並みだとか劇場の様子という実写が織り込まれ、これは過去か未来かと、いろいろ想像させられる。
その色んな想像の中で、シンジの妄想世界と実直なアスカ、未来をシンジに託すミサト、一体化したり液状化したりと忙しい綾波がそれぞれ個性をぶつけてくる。多分、シンジは綾波のことをプラトニックラブの対象、同志として助け合う存在としてとらえているのだろう。また、アスカは自慰のためのオカズとしてとらえ、精神的にSとMの関係を築きあげている。ミサトは母のイメージとして、性的対象にはしていない・・・だけでキスしてみたい関係。それにしても綾波との一体化はエロいけど、アンチATフィールドで液状化してるからなぁ・・・最後には海岸で倒れているシンジと左目を失った上に傷だらけのアスカ。ここから新しい世界が始まるのね(多分)。
全58件中、21~40件目を表示









