「ONE MORE FINAL」新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に どんすこいさんの映画レビュー(感想・評価)
ONE MORE FINAL
2025年10月から行われている、期間限定のリバイバル上映企画を機に初めて劇場で鑑賞。
それまで何度もビデオなどで見慣れたと言えるだけの回数観たが、劇場で鑑賞することの重要さを改めて感じた。サービス精神旺盛なシリーズの為、またこうした再上映企画が起きると思うので、是非劇場で観て欲しい。映画は映画館で観るに限る。たとえアニメ映画であっても。
テレビアニメ版とは違う結末を描いた、新世紀エヴァンゲリオンの劇場版。
分からない、と一言で片づけるには勿体ない作品。
流石に劇場版だけあって、アニメーションのクオリティが異様に高い。GAINAXの基礎力の高さと、Production I.Gの息吹きを感じる。
音響の質も高い。劇場作品として映画館で観るだけの価値を感じる程度には、控えめに表現して最高だった。
演技も文句無し。感情が乗り切っていて、もはや「没入感が高かった」ではなく「誘引力が凄まじかった」
再上映という機会で以て、映画館で鑑賞出来て良かった。
内容について、よく誤解されがちだと個人的に感じているのだが、この作品は別に哲学を語っていない。これは最初に言っておきたい。
あまり表に出したくない男性的な鬱状態が、他の追随を許さない程の精度の高さで表現されている。このメンタリティと思考内容をそのまま作品として映し出している表現力の高さへの驚きと、同調しすぎてしまう人が居るんじゃないかと言う心配が同時に沸き立つ。
苦悩と葛藤の吐露が凄すぎて圧倒されてしまうが、内容をよく聞くと別に理解に苦しいような難しい事は言っていない。上記の通りの、高精度高解像度の鬱を映画という形で浴びる驚きの体験に頭が追い付かないだけなのだと私は思う。
設定上の出来事が(名前まで込みで)若干ややこしいが、その辺はセリフの雰囲気を感じ取って上辺だけ掬い上げて、あとは登場人物たちのドラマに注視して観るのが一番良いと考える。細かな設定や考察を全て把握しておく必要は無く、登場人物たちを知りたいと言う心だけで、しっかり楽しめるはず。
人間の内面を、綺麗も汚いも関係なく、映ったまま映し出す。そんな作品だ。
どうあってもテレビアニメから続く劇場版なので、テレビアニメ版を見ておいた方がいい。未見でも見所を楽しめるとは思うが、視聴済みのほうが、把握しておくべき状況の数が減って、観易いはずだ。
この作品を全力で楽しみたいのなら、今回の再上映のような機会を利用して劇場で鑑賞するか、劇場と同じだけ作品に集中できる環境で鑑賞すること、翌日がお休み確定な日に観ることをお勧めする。マトモに食らうと大ダメージ。だがそうなるだけの凄さが、この映画にはある。
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残酷表現と性的描写に意味はあるのかと言う問いが散見されるが、逆にそれらが無ければ終盤のシンジのグロテスクな独白が変に浮き上がってしまって歪な作品になるのではないかと私は感じた。失うことで気持ちに気付くという物語のつくりが故に物語は過激になり、物語の過激さ故に映像も過激になった。という、ただそれだけの話なのではないだろうか。
第25話 Air
冒頭の病室のシーン、レーダーサイト破壊の報告が上がるシーンなどが顕著だが、音響がサブスク版とは異なっていた。サブスク版だと、少なくともこのAirに於いては明らかな音ズレがあるのだが、見事に合っていた。流石に合ってるよな、と安心した。
映画館での鑑賞は初めてだったのだが、音響が違うだけで(私が)見慣れたサブスク版とは全く違う作品を観ているような感覚に陥った。超感動した。特にVTOL攻撃機によってSAMが破壊される場面!あんな迫力あったっけ?!と驚くばかりだった。
各種ビデオディスク版もまた違うのだろうか。有識者の登場を願う。
最初の最初に一番衝撃的な性的描写があることで、全裸の綾波レイとかいう激物が霞んで見える。若干警告的な思惑もあったのだろうが、それにしても思い切りが良すぎないか?
鶴巻監督渾身の演出が輝きに輝く戦闘シーン。後にフリクリ等でも見られるアクションカットの数々に魅了される。人類を守る為に生み出されたはずのエヴァンゲリオンが人間に向かって武力を振るう上、エヴァ同士の戦闘なんていう最悪な状況とは到底思えない高揚感が独特としか形容できない……
演出という名の選択、という考え方がちゃんとあるように思う。一番面白い撮り方は何か?
その結果、綺麗でないもの、良くないとされているものだって映し出す。それがエヴァンゲリオンの魅力であり、本作最大の特徴だと私は感じた。
第26話 まごころを、君に
本作一番の見所。再上映で一番体験したかったエピソード。
感想としてはたった一言。「こーれ初見で劇場で浴びたら訳分かんなくなるだろうな」
独白の痛々しさに飲み込まれる。碇シンジが抱える心の闇。
とにかく寂しい、愛が欲しい、心の隙間の全てを誰かに埋めて欲しい。自分の周りにいる人たちに密かにそう願うが、決して思った通りに自分を慰めてくれる事は無いことに憤る。正直に言えば誰でもいい。誰でもいい癖に願いの矛先は女性ばかり。しかも無意識に性的な欲求も抱いており、それに自覚があり、自分の事ながらそれらすべてを心から嫌悪している。
これを私は『男性的な鬱状態』とよく言っている。男性的、と括りが大きい気もするが、少なくとも私がこれに覚えがある。これがそのまま映像にできるのは、庵野秀明ただ一人だと思う。こんなものを映像に乗せてしまおうと思い至って実行できる表現者は他にないはずだ。正直言って、観てて心地の良いものではない。でも、そんな醜く見える心の内も映し出したからこそ、踏ん張って前を向こうとするというプロットに、私は心打たれたのだと思う。
肝心の映像だが、正直何をどう言えば良いか分からない。印象を巧みに操る超絶技巧の数々に脳が翻弄されるばかり。パワータイプすぎるモンタージュの使い方だが、しかし絶対に真似できない程にこだわり抜かれている。
新世紀エヴァンゲリオンの終わり方としては、これ以上無いだろう。最高だった。
これを、訳の分からない作品として片付けるのは、本当に勿体ない。私はそう思う。
