真空地帯

劇場公開日:

解説

日本軍隊生活を始めて本格的に描いて毎日出版文化賞を獲得した野間宏の長篇小説『眞空地帯』の映画化で新星映画の嵯峨善兵、岩崎昶の製作により北星映画の配給になるものである。山形雄策の脚本を「箱根風雲録」の山本薩夫が監督している。出演者の主なるものは「暴力」の木村功、「今日は会社の月給日」の利根はる恵、「泣虫記者」の岡田英次、「嵐の中の母」の沼田曜一のほかに、薄田研二、神田隆、下元勉など、民藝、新協、青年俳優グループが出演している。

1952年製作/129分/日本
劇場公開日:1952年12月10日

ストーリー

週番士官の金入れを盗んだというかどで、二年間服役していた木谷一等兵は、敗戦の前年の冬に大坂の原隊に帰っていた。彼は入隊後二年目にすぐ入獄したのですでに四年兵だったが、中隊には同年兵は全くおらず、出むかえに来た立澤准尉も班長の吉田、大住軍曹も全く見覚えのない人々であった。部隊の様子はすっかり変わってた。木谷に対する班内の反応はさまざまであった。彼は名目上病院帰りとなっていたが、何もせず寝台の上に坐ったきりの彼は古年兵達の反感と疑惑をつのらせた。木谷が金入れをとったのは偶然であった。しかし被害者の林中尉は当時反対派の中堀中尉と経理委員の地位を争って居り、木谷は中堀派と思いこまれた事から林中尉の策動によって事件は拡大され、木谷の愛人山海樓の娼妓花枝のもとから押収された木谷の手紙の一寸した事も反軍的なものとして、一方的に審理は進められたのだった。兵隊達が唯一の楽しみにしている外出の日、外出の出来なかった木谷は班内でただ一人彼に好意をもっている曾田一等兵に軍隊のこうした出鱈目さを語るのだった。班内にはさまざまな人間がうごめいている。地野上等兵の獣性、補充兵達の猥褻な自慰、安西初年兵のエゴイズム。事務室要員の曾田は軍隊を「真空地帯」と呼んでいた。ここでは人間は強い圧力で人間らしさをふるいとられて一個の兵隊--真空管となるからだ。或日、野戦行十五名を出せという命令が出た。木谷は選外にあったが、曾田は陣営具倉庫で、金子班千葉県有為が隣室でしつこく木谷を野戦行きに廻す様に准尉に頼んでいるのを聞き驚いた。金子班長はあの事件の時中堀派の一人として木谷の面倒をみたのだが、今は木谷との関わり合いがうるさかったのだ。木谷が監獄帰りと聞こえがしに云う上等兵達の言葉に木谷は猛然と踊りかかっていった。木谷を監獄帰りにさせた真空地帯をぶちこわそうとする憎しみに燃えた鉄拳が彼等の頬に飛んだそれから木谷は最後の力をふりしぼって林中尉を探しまわった。彼に不利な証言をした林中尉に野戦行きの前に会わねば死んでも死にきれなかった。ついに二中隊の舎前で彼を発見した。彼の必死の弁解に対し木谷の拳骨は頬にとんだ。やがて、転属者が戦地に行く日が来た。花枝の写真を懐に抱いて船上の人となった木谷に、ようやく自分をきりきり舞いをさせた軍隊の機構、その実態のいくらかがわかりかけてきた。見知らぬ死の戦場へとおもむく乗組員達の捨てばちな野卑な歌声が隣から流れてくる。しかし木谷の眼からはもはや涙も流れなかった。

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映画レビュー

3.0なんとナイーブな、呆れる程にナイーブだ

2019年10月15日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

軍隊生活の過酷な実情を描く
エンドマークで原作者のメッセージにあるように新兵を教育する兵営の中は人間性を剥ぎ取り兵隊する為のところだ
人間性や自由というようなものは吸いだされて呼吸できずに死んでしまう真空となっている地帯なのだ

しかし、そんなことは洋の東西を問わず、どこの国の兵営であっても同じだ
へビーメタルジャケットの鬼軍曹にしごかれ自殺する太っちょを思い出せばいい
原作者や監督が理想とするだろう共産圏の国ならば、本作に描かれた世界など甘すぎるほどだろう
まして同時期のスターリン体制下のソ連なら本作の兵営内の日常など天国と思える程のこの世の地獄があったのだ
内務班の陰険ないじめは民族性の違いに過ぎない

本作は1952年の公開だ、平和憲法発布から5年が経過している
そして2年前の1950年には朝鮮戦争が勃発している
そのため軍備を廃止した筈の米軍占領下の日本はGHQの指令により警察予備隊という今の自衛隊の前身となる組織を設置した
そして本作が公開された1952年に日本は独立を回復するが、警察予備隊という再軍備の動きは保安隊と名称を変え強化されていたのだ
本作はそのアレルギー反応として撮られたものと言ってよい
むしろそれを焚き付けようとしたものだ
1952年は学生運動が破防法反対で盛り上がっていた年だ
学生達は再軍備を逆コースとよび、本作で描かれるような軍隊の復活に激しく反対を叫び、やがて60年安保闘争に向かっていくことになる
現代に続く自衛隊反対の源流は本作にある

本作はその運動に火をつけた作品でもあるといえる

しかし21世紀の私達からみれば、大成功したプロパガンダ映画、洗脳映画としか見えない
利用されたのだ
純粋な当時の若者達を洗脳したのだ
終戦からまだ7年、兵営の記憶が生々しい大衆のもうこりごりという気分を盛り上げもしたのも確かだろう

このようなブラック体質の暴力的な組織はまっぴらごめんだ
戦争も嫌だ
軍隊になんか行きたくはない

しかし軍隊の本質は日本だけが特殊なのではない
世界中どこの軍隊でもおなじなのだ
それが軍隊の本質だからだ
平和的で民主的な軍隊なんてそんなものは存在するわけはない

戦争は軍事力の真空地帯に吸い寄せられるのだ
軍隊を持たなければ、その軍隊が弱体ならば、戦争は吸い寄せられ私達の国土にふりかかるのだ

そもそも朝鮮戦争自体、日本が非武装であったから誘発された側面もあったはずだ

本作はそんな自明のことを考えさせる力を奪い麻痺させる映画なのだ
ヒステリックに国土防衛の努力に反発させ、空想的平和主義を守れと盲目的に信じこませ、考える力をなくす映画なのだ

団塊左翼老人達が未だに本作を使って若者達を洗脳するツールに常用している理由がよくわかる
21世紀になっても未だに老人達は若者達を本作を使って洗脳して自分たちが若者だった頃の古く固定したままの価値観と思い込みを実現するために、老いた自分たちの手先として利用しようとしているのだ

21世紀の若者が本作を観る意義はこうした批判的な視線をもって団塊左翼老人達の洗脳を打ち破る為に観ることだろう

製作の新星映画社とは1948年の東宝争議で同社を退社した社員が設立した製作会社
山本薩夫監督は戦前からの左翼主義者であり、1947年には日本共産党に入党している
その翌年の東宝争議では組合の代表格となり争議の先頭にたったがあまりにも大規模な争議となりGHQが米軍を繰り出して鎮圧されて退社に至り、新星映画社を設立したものなのだ
原作者の野間宏も終戦と同時に共産党に入党した人物だ
果たして後年には共産党内部で原作の共産主義的な思想的解釈で論争にすらなっている
つまり共産党員による共産主義革命達成の為に日本を自ら武装解除させる為の映画だ

近場で上映会があったなら、団塊左翼老人が若者を洗脳候補者をリクルートする場だとこころすべきだ
その気が無いのであれば迂闊に近寄らないことだ
近寄れば彼らとの接点を持つ事になる

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