劇場公開日 1952年12月10日

真空地帯のレビュー・感想・評価

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3.0なんとナイーブな、呆れる程にナイーブだ

2019年10月15日
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鑑賞方法:DVD/BD

軍隊生活の過酷な実情を描く
エンドマークで原作者のメッセージにあるように新兵を教育する兵営の中は人間性を剥ぎ取り兵隊する為のところだ
人間性や自由というようなものは吸いだされて呼吸できずに死んでしまう真空となっている地帯なのだ

しかし、そんなことは洋の東西を問わず、どこの国の兵営であっても同じだ
へビーメタルジャケットの鬼軍曹にしごかれ自殺する太っちょを思い出せばいい
原作者や監督が理想とするだろう共産圏の国ならば、本作に描かれた世界など甘すぎるほどだろう
まして同時期のスターリン体制下のソ連なら本作の兵営内の日常など天国と思える程のこの世の地獄があったのだ
内務班の陰険ないじめは民族性の違いに過ぎない

本作は1952年の公開だ、平和憲法発布から5年が経過している
そして2年前の1950年には朝鮮戦争が勃発している
そのため軍備を廃止した筈の米軍占領下の日本はGHQの指令により警察予備隊という今の自衛隊の前身となる組織を設置した
そして本作が公開された1952年に日本は独立を回復するが、警察予備隊という再軍備の動きは保安隊と名称を変え強化されていたのだ
本作はそのアレルギー反応として撮られたものと言ってよい
むしろそれを焚き付けようとしたものだ
1952年は学生運動が破防法反対で盛り上がっていた年だ
学生達は再軍備を逆コースとよび、本作で描かれるような軍隊の復活に激しく反対を叫び、やがて60年安保闘争に向かっていくことになる
現代に続く自衛隊反対の源流は本作にある

本作はその運動に火をつけた作品でもあるといえる

しかし21世紀の私達からみれば、大成功したプロパガンダ映画、洗脳映画としか見えない
利用されたのだ
純粋な当時の若者達を洗脳したのだ
終戦からまだ7年、兵営の記憶が生々しい大衆のもうこりごりという気分を盛り上げもしたのも確かだろう

このようなブラック体質の暴力的な組織はまっぴらごめんだ
戦争も嫌だ
軍隊になんか行きたくはない

しかし軍隊の本質は日本だけが特殊なのではない
世界中どこの軍隊でもおなじなのだ
それが軍隊の本質だからだ
平和的で民主的な軍隊なんてそんなものは存在するわけはない

戦争は軍事力の真空地帯に吸い寄せられるのだ
軍隊を持たなければ、その軍隊が弱体ならば、戦争は吸い寄せられ私達の国土にふりかかるのだ

そもそも朝鮮戦争自体、日本が非武装であったから誘発された側面もあったはずだ

本作はそんな自明のことを考えさせる力を奪い麻痺させる映画なのだ
ヒステリックに国土防衛の努力に反発させ、空想的平和主義を守れと盲目的に信じこませ、考える力をなくす映画なのだ

団塊左翼老人達が未だに本作を使って若者達を洗脳するツールに常用している理由がよくわかる
21世紀になっても未だに老人達は若者達を本作を使って洗脳して自分たちが若者だった頃の古く固定したままの価値観と思い込みを実現するために、老いた自分たちの手先として利用しようとしているのだ

21世紀の若者が本作を観る意義はこうした批判的な視線をもって団塊左翼老人達の洗脳を打ち破る為に観ることだろう

製作の新星映画社とは1948年の東宝争議で同社を退社した社員が設立した製作会社
山本薩夫監督は戦前からの左翼主義者であり、1947年には日本共産党に入党している
その翌年の東宝争議では組合の代表格となり争議の先頭にたったがあまりにも大規模な争議となりGHQが米軍を繰り出して鎮圧されて退社に至り、新星映画社を設立したものなのだ
原作者の野間宏も終戦と同時に共産党に入党した人物だ
果たして後年には共産党内部で原作の共産主義的な思想的解釈で論争にすらなっている
つまり共産党員による共産主義革命達成の為に日本を自ら武装解除させる為の映画だ

近場で上映会があったなら、団塊左翼老人が若者を洗脳候補者をリクルートする場だとこころすべきだ
その気が無いのであれば迂闊に近寄らないことだ
近寄れば彼らとの接点を持つ事になる

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あき240